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[74]大杉漣さんの死去、むしょうに寂しい

金平茂紀 TBS報道局記者、キャスター、ディレクター

名:
大杉漣さん俳優・大杉漣さん(1951―2018) 

2月20日(火) 朝、局で「報道特集」の定例会議。今週は裁量労働制のデータ不適正問題をはじめとする「働き方改革」なるものをめぐって取材をすることになった。これは僕らテレビ局で働く人間にとっては全くもって他人事ではないのだ。いくつかの原稿の調整。夕刻より国会周辺。憲法改正関連のお勉強。局に戻って雑務。

 その後、六本木に行く。風邪気味だと言うと、マスターが生姜入りのホットワインを出してくれた。平昌五輪の開会式の演出をした宋承桓という人物は、以前NYでみた「NANTA」というミュージカルを手掛けた人物とわかる。なるほどね。あのミュージカルはとてもよくできていた。

大杉漣を初めてみた舞台

2月21日(水) 「毎日新聞」のコラム原稿。小平奈緒選手に電話で祝福した安倍首相のことについて軽く触れることにする。今の日本の首相の振る舞いはまるで幼稚な国家元首のようだ。JAGATARA(じゃがたら)の名曲『裸の王様』を思い出す。

 原一男監督の新作映画『ニッポン国VS泉南石綿村』の制作ノートを小冊子にするため大分以前に行った対談の校正作業。もう随分時間がたっちゃったので、映画の衝撃が薄れたのかと言えば、全然そんなことはなくて、むしろあの3時間15分の作品はあれくらい長くなければダメだということがより確信に近いものとなってきたのだ。

 夜遅く、ネットで大杉漣が急死したことを知る。何だか深くて鈍い衝撃を受ける。まだ66歳だったという。大杉漣のことを初めてみたのは、劇団・転形劇場の舞台『水の駅』だった。西高時代の畏友・Kさんが「とてもクオリティが高いよ」となぜか知らせてくれて確か赤坂の小さな劇場でみたはずだ。サティの「ジムノペディ」が延々と流れていて、そこに旅人男女2人組が次々に現れて枯れかかっている水道管から(だったっけな?)水を飲むというだけのストーリーだ。だがその動きが

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