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[76]3・11から7年。公文書を改ざんする国

金平茂紀 TBS報道局記者、キャスター、ディレクター

首相官邸前で、抗議のメッセージを掲げる人たち=12日午後8時42分、東京・永田町首相官邸前で、抗議のメッセージを掲げる人たち=2018年3月12日

3月6日(火) 朝、局で「報道特集」の定例会議のあと、雑務を一気に処理して外へ。恵比寿の東京都写真美術館で開催中の「写真発祥地の原風景 長崎」の展示がとても魅力的だ。長崎という場所は、日本の江戸時代に長く続けられた鎖国政策の唯一の例外の場所で、「出島」という限られた地域にオランダ人やポルトガル人、ロシア人らが出入りしていた。当然、そこから文化や学術、そして何よりも生身の人間同士の交流が生まれていた。写真技術もそのなかの一つだ。当時の写真が残っており、鎖国時代の日本人の顔や姿、服装などが写真に写っているだけでもわくわくするのだが、それらの写真に、僕からみると、歴史の事実確定という意味合いで、とんでもなく貴重な写真が混じっているように思うのだ。1枚は、明治天皇の姿をとらえた写真。明治5年に内田九一という人物の撮ったものとある。僕らの一般的なイメージとして刷り込まれて定着している明治天皇の顔とはかなり違っているように思う。それ以外にも、相撲力士や武士の姿や、当時輸入されたラクダの写真もあった。人物としてはシーボルト父子や島津斉彬の肖像もある。熊本城や長崎くんちの写真もある。本当に写真は時間を定着させる魔術だ。

 もうひとつの展示「『光画』と新興写真 モダニズムの日本』もよかった。木村伊兵衛や中山岩太のほかに、野島康三という写真家が1932年あたりに撮っていた女性の写真が、何だか抜き差しならないエロティシズムを放っていた。どうもこの野島康三には反時代的な退廃的な空気が漂っていて、いいなあ。

 夕方から、お誘いを受けていた日本映画『菊とギロチン』(瀬々敬久監督)をみる。3時間以上の長い劇映画だが、すっかり魅了されてしまった。ラストシーンでは自然に自分のこぶしを握り締めていた。舞台は関東大震災後の日本。アナーキスト団体「ギロチン社」の「主義者たち」中浜哲、古田大次郎らが一方の主人公であり、もう一方の主人公は、当時、日本各地で正式に興行を行っていた女相撲一座の女力士たちであり、この両者が見事に結びついてストーリーが展開するのである。震災後の朝鮮人虐殺などの荒涼とした精神風土のなかで、貧困にあえぐ農村部の女性や、沖縄、朝鮮半島、夫の暴力から逃がれてきた訳ありの女性たちが女相撲の一座に参加する「必然」と、ユートピア社会主義の、絶対自由の暴力的実現を夢想する「主義者たち」の行動が破滅に至る「必然」。この2つの「必然」が、何の疑問も感じられないくらい見事に一体化している。それと対比的に描かれている自警団や帰還兵たちの悲しいほどの蒙昧さ。これは何とも現在の日本という国の精神風土に連綿とつながっている今の物語ではないか。見終わって拍手をして、お誘いを受けるままに飲み会に参加して、瀬々監督ともお話をした。それにしても、あのラストシーン!

3月7日(水) 午前中、重要な人物と重要な話。報道の仕事とは何か。3月11日に南三陸のSさんを訪ねるためのアレンジをいろいろと行う。87歳のSさんはお元気だろうか。毎年お世話になっている仙台のにこにこタクシーさんに今回もお願いする。沖縄タイムスの連載「新ワジワジー通信」を担当していただいてきたYさんが、人事異動で4月から別のセクションに移るとのこと。そういえば春の人事異動の季節だ。

 早めに帰宅する。夕方からプールに行ってがっつり泳ぐ。こんな時間帯に泳ぐのは久しぶりのことだ。そこそこの数の人たちが黙々と泳いでいた。

大きなニュースが続々と

3月8日(木) 国会の参議院予算委員会、大紛糾。森友学園の決裁文書問題で、財務省が理事会に出してきた「決裁文書」のコピーなるものが、すでに過去に国会議員らに開示されたものと全く同じものだったことから、野党側は反発を強め、審議出席をボイコットした。当たり前だ。いくら何でも財務省のやり口はひどい。

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