犠牲になった兵士を「英雄」とたたえる大統領。結束して戦う姿勢を示す国民……
2018年04月10日
フランスで今、知名度が急上昇しているのは「アルノー・ベルトラム」だ。スーパー・マーケットを襲撃したイスラム過激派のテロリストの人質の身代わりになって殺害された憲兵である。
享年44歳。国民葬でエマニュエル・マクロン大統領はベルトラム中佐を「英雄」と呼び、レジョン・ドヌール勲章のコマンド―ル章(5段階の上から3番目)の授与、大佐への昇級が告げられた。極左も極右も“識者”も、誰一人として異を唱える者はいなかった。
いざというときの、見事な国民の一致団結。そして、粛々と実施されたラシーヌの悲劇の一場面のごとき荘厳な葬儀。これこそが、「フランス流テロとの戦い方」かもしれない。
「彼は自分の身で、われわれの国をこれほどに殺戮(さつりく)した、このヒュドゥ(頭を切ると二つの頭が生えてくる怪物)のような過激派イスラム教徒に抗議したのだ」。マクロン大統領は国民葬で、テロリストを「怪物」と呼んで激しく糾弾した。また、「テロリストたちが栄光と考える死は卑劣な行為で、彼らの家族にとっては長い間、恥辱となる」と述べ、テロリストの死が殉教ではなく、単なる「下劣な死」と蔑(さげす)んだ。
レトリックを駆使し、古今の名句などを引用するいつもの演説と異なり、事件を時系列で明確、詳細に伝えた。引用した名前も第2次世界大戦中にレジスタンスを率いたドゴール将軍やレジスタンスの闘士のジャン・ムーラン、英軍などの外敵と戦ったジャンヌ・ダルクと数人にとどまった。
むしろ強調されたのは、第2次大戦中にレジスタンスとして戦った多数の無名の戦士たちであり、アルノー・ベルトラムもテロに抵抗したレジスタンスの闘士と位置づけた。つまり、マクロンは国民全体に、「テロと戦うレジスタンスの闘士たれ」と檄(げき)を飛ばしたのだ。
国民葬の行われた3月28日、パリは雨だった。午前10時過ぎ、降りしきる雨の中、ベルトラム中佐の遺骸を運ぶ霊柩(れいきゅう)車がパンテオン(偉人を合祀する霊廟)前を10数台の白バイに護送されて出発すると、雨に打たれながら待ち構えていた数百人の市民から拍手が起きた。
沿道では、傘をさした老若男女、子供連れの家族(復活祭で休暇中の学区あり)、肌の色もさまざまな人たちが、雨にぬれることもいとわずに見送った。カルティエ・ラタン(学生街)を通り、ノートルダム大寺院前を通過した時には、弔鐘が鳴り響いた。
棺はセーヌ河に沿ってアレクサンドル3世橋まで進み、約2千人が参集した国民葬の場、アンバリッド(廃兵院)に到着した。途中、中佐が勤務したことのあるエリゼ宮(大統領府)の騎馬隊も伴奏した。こうした様子は国営、民営のテレビ、ラジオで生中継された。
葬儀には、中佐の遺族、テロの犠牲者の遺族や負傷者の家族に加え、大統領や首相経験者、上下議員、中佐が所属した各部隊の代表者などの招待者のほか、一般の市民も多数、参加した。国家が主宰する国葬ではなく、国民が主体の国民葬にふさわしい光景だった。「イスラム教徒全員が過激派ではない。ましてテロリストではない」ことを主張したいからだろうか、イスラム教徒の姿も数多くみられた。
事件があったのは、葬儀その5日前の23日だ。午前11時頃、南仏カルカソンヌ近くの小都市トレーブのスーパーを、「イスラム国(IS)」兵士を名乗るテロリスト、モロッコ系フランス人のラドアンヌ・ラディム(25)が、ピストルと大型ナイフで襲撃した。事前に乗用車を奪うために運転手に重傷を負わせ、同乗者を射殺した。ジョッキング中の無武装の機動隊(CSR)グループも襲撃し、1人が重傷を負った。
スーパーでは店員2人と顧客1人が死亡。女性店員の人質の身代わりになった中佐はテロリストの説得に当たったが、それも空しく、最後はピストルで腕や脚など撃たれた末、喉(のど)を切られて殺害された。ラディムはこの直後、突入した国家憲兵隊突撃班(GIGN)に射殺されたが、手製の爆弾3個も所持していた。
ベルトラム中佐は絵に描いたような軍人の手本だ。
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