谷田邦一(たにだ・くにいち) ジャーナリスト、シンクタンク研究員
1959年生まれ。90年、朝日新聞社入社。社会部、那覇支局、論説委員、編集委員、長崎総局長などを経て、2021年5月に退社。現在は未来工学研究所(東京)のシニア研究員(非常勤)。主要国の防衛政策から基地問題、軍用技術まで幅広く外交・防衛問題全般に関心がある。防衛大学校と防衛研究所で習得した専門知識を生かし、安全保障問題の新しいアプローチ方法を模索中。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
嫌な奴だから罵る。言われたから言い返す。これではネトウヨやブサヨと変わらない
自衛隊の日報問題に揺れる防衛省で、またもや幹部自衛官の見識が問われる不祥事である。朝鮮半島の非核化をめぐり世界は歴史的な激震の渦中にあるというのに、国内では何ともお粗末なトラブルが続く。政治と軍事の歯車がうまくかみ合わず、どこかにきしみがあるのは間違いない。だからといって戦前の旧軍の横暴の再来と言われても空疎で実感に乏しい。問題の本質はどこにあるのか。
ことの発端は、4月16日夜、東京・永田町の国会周辺でジョギング中の30代の幹部自衛官が、たまたま遭遇した国会議員に暴言を吐いたことだった。自衛官は、新宿・市谷の統合幕僚監部に勤務する3等空佐。議員は、民進党所属で千葉県選出の小西洋之参院議員。航空自衛隊の3佐といえば、中央の防衛省勤務の場合はまだ初級幹部にすぎないが、第一線の通信や高射部隊ならば数百人の隊員を部下にもつ立派な指揮官の階級にあたる。
小西議員によると、3佐はまず国会図書館近くの交差点で「小西か?」と声を掛けたあと、「おまえ、ちゃんと仕事しろ」とからんできたという。
小西氏が、安全保障関連法の国会審議で集団的自衛権の解釈変更について批判してきたことなどを説明すると、3佐は「俺は自衛官なんだよ。おまえは国民の敵だ」と言い放ったという。
小西氏への罵倒は続く。自衛官であることを名乗った3佐に対し、小西氏が「憲法違反の戦争で自衛隊員が戦地に送られるのを阻止するため、政治生命をかけて闘っています」と言うと、3佐は「おまえ、気持ち悪いんだよ」などと約30分にわたって罵(ののし)り続けたという。
国会周辺とはいえ突然、大柄の男から威圧的な態度で暴言を浴びせられ、小西氏はさぞや驚いたことだろう。
防衛省は同24日になって、3佐からの聞き取り結果として「『国民の敵とまでは言っていない』と主張している」と中間報告したが、その言動に行き過ぎがあったことに変わりはない。
3佐がやったことは自衛隊法が定める「品位を保つ義務」(58条)に違反し、条文にある「隊員としての信用を傷つけ、自衛隊の威信を損するような行為」に当てはまることは明白だ。しかも相手は、日本の民主制を支える国政選挙で選ばれた国民の代表者である。それがわかっていながら相手を罵倒した。これ以上の非常識はない。厳罰は免れないだろう。
しかし事態を受け止める防衛省・自衛隊の側に、「猛省」を口にしつつも、どこか「とはいっても……」と含むところがあるように感じられるのはなぜだろう。
小野寺五典防衛相は17日に謝罪した際、「若い隊員で様々な思いもあり、国民のひとりであるので当然思うことはある」と、この3佐をかばうかのような発言をした。本人は否定したが、すっきりとしない。また直属の上司で制服組トップでもある河野克俊統合幕僚長も、同19日の記者会見で陳謝する傍ら、戦前の軍部が暴走したように文民統制(シビリアン・コントロール)が崩れかけているのではとの質問に対し、こう答えた。「戦前と違い、こういう事態は自衛隊として絶対に許されない。そこは安心していただきたい」。
若手海軍将校たちが白昼、義憤に駆られて首相官邸を襲撃し、丸腰の老首相をピストルで殺害した5・15事件(1932年)とは深刻さが違う、とでも河野氏は言いたかったのだろうか。しかし事実関係や3佐の動機について尋ねられ、何度も「調査中でまだ何も言えない」と逃げておきながら、そうしたところだけ早手回しに断定するのはいかがなものか。
こうした煮え切らない受け止め方は、組織のトップだけではない。筆者の知り合いの現職隊員たちから聞いた中にも「やってはいけないことだったが、3佐の気持ちは理解できなくもない」などと同情とも非難ともつかないような感想が目立つ。彼らの奥歯に何がはさまっているのか。