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国民投票に最低投票率は必要ですか?

リベラルの皆さん、安倍政権の失速で改憲論が鎮まった今こそ、再考して欲しいのです

石川智也 朝日新聞記者

拡大国会議事堂

 国の独立、指導者の信任、禁酒、同性婚……。世界では様々なイッシューで国民投票が実施されてきました。その数、2500件以上。でも、日本はまだ一度も経験がありません。

 その日本で、これまで一度も変えられなかった今の憲法を改正するか、しないかという重大なテーマについて、私たちが判断を迫られる日が、近い将来、訪れるかもしれないのです。

2007年世論調査では8割が「必要」

 安倍晋三首相はちょうど1年前の憲法記念日に、戦力不保持と交戦権否認をうたった9条2項を残したまま自衛隊を明記するという改憲案を提起しました。この首相案を軸に、自民党憲法改正推進本部は条文案を固める作業を進めています。

拡大改憲を求める集会で安倍首相のビデオメッセージが流された=2017年5月3日、東京都千代田区

 学校法人「森友学園」をめぐる決裁文書改ざん問題などで急速に求心力が低下し、安倍首相の宿願には暗雲が垂れ込めていますが、この1年でにわかに沸騰した改憲論議のなかで、2007年に成立した国民投票法の「不備」にあらためて光があたりました。

 公務員の運動を萎縮させる余地がある、感情訴求力が強いテレビCMへの規制がほとんどない、運動費用の上限がなく資金力で不公平が生じかねない、といった指摘と並んでいま議論になっているのが、最低投票率の問題です。

 最低投票率制は、一定の投票率に達しなかった場合に国民投票そのものを不成立とするものです。たとえば、投票率が4割だったとしたら有権者の2割の賛成で改憲が承認されることになります。それで国民が承認したという正当性を担保できるのか――と、法案審議の過程で共産、社民が(参院では民主も)制度導入を主張しました。

 当時の各種メディアの世論調査では、8割近くが最低投票率を「必要」と答えていました。海外では、韓国やロシアやポーランドが、憲法改正国民投票で50%以上の最低投票率制を設けています。

 結局、自民、公明の反対で導入は見送られましたが、国民投票法成立時、参院は「憲法審査会で意義・是非について検討を加える」との付帯決議をしました。その後、国会で議論は進みませんでした。

導入反対、5つの論点

 この制度の導入をめぐっては、諸々の論点があります。私自身の意見を先に述べておけば、歯切れの悪い言い方になりますが、「必ずしも反対ではないが、いまの導入論の主張には賛同できない」です。ちなみに、私が記者として属する朝日新聞は、これまでに社説で計7回、最低投票率を取り上げています。もっと議論を、という内容がほとんどですが、基本的には導入に前向きな主張です。

拡大立憲民主党の枝野幸男代表は2007年当時、民主党憲法調査会長として国民投票法案の国会審議の先頭に立っていた=2007月4月9日、東京・永田町

 議論の整理のために、まずは導入反対の立場からの論点を、以下に列挙してみます。
(1) 改憲手続きを定めた憲法96条は、衆参各議院の総議員の3分の2以上の賛成での発議と国民投票での過半数の賛成という条件しか課していない。その上に憲法がまったく触れていないハードルを加えるのは明らかに加重要件だ。

(2) 投票ボイコット運動を呼び、制度そのものが低投票率を招いてしまう。少数の棄権者が改正案の承認の是非を左右してしまう。

(3) 最低投票率に達せず不成立になった場合の賛成者数が、成立した場合の賛成者数より多いという事態(いわゆる「民意のパラドックス」)が生じてしまう可能性がある。

(4) 導入論者の中には「多くの国が設けている」との主張があるが、導入国は10カ国(2005年衆院法制局資料より)。うち6カ国(ロシア、ポーランド、韓国、セルビア、ウルグアイ、コロンビア)は憲法に規定しており、残り4カ国は法律での規定。

(5) 棄権票を反対票と事実上同一視することになり、棄権者の意思の合理的解釈として無理がある。秘密投票を原則とする自由主義的民主主義の体制下では、参政権は文字どおり権利であり(義務投票制で棄権に罰則を設けている国は少数派)、市民は権利を行使しない権利も有している。もちろん原理的には、意思決定に参与しなかったからといって全体的結果への責任(主権者としての政治的責任)から逃れられるわけではない。棄権は、民主的決定プロセスにおいて判断・意思表示する機会を放棄すること。その意味では、反対の積極的意思表示をしないことは、そのアジェンダへの賛成とみなされ得る。たとえばスイスではこれまで600件以上の国民投票が行われてきたが、移民政策や統治機構の改変などのイッシューでは高投票率になる一方、タバコやガソリンの増税承認などでは30%台ということもあった。国民投票先進国では「棄権は投票者の意思に従うこと」とのコンセンサスがある。

拡大国民投票法が成立した当時、最低投票率が決められていないことなどを理由に反対するデモが各地で行われた=2007年5月14日、大阪市

 前述のうち(1)~(3)は、国民投票法審議時に与党が導入反対の理由として主張していたものです。このうち(3)の「民意のパラドックス」については、一定の有権者の賛成がなければ投票を不成立とする「最低絶対得票率」を導入すれば解消できます。ただそれでも、棄権を反対票と同一視している点と、場合によっては「過半数」をはるかに超える加重要件を課してしまうことになるという点は、変わりません。

「いないが悪い」

 なぜ最低投票率制導入論に全面賛同できないのか。私が重視しているのは以下の点です。

 現在の導入論者は、いわゆる護憲派でほぼ占められています。仮に低投票率の方が改憲案否決に有利という情勢になったとしたら、彼らは導入に固執するでしょうか。

 国内でこれまで数々行われた住民投票では、ふだんは直接民主制に好意的なリベラル陣営が、自ら望む投票結果に有利か不利かによって、住民投票条例制定や投票実施の発議・請求への賛成・反対の態度を変えています。手段と目的が完全に独立して在ることはない(特に政治の世界では)ので、自分たちに不都合な結果になりそうだから良いものであっても反対する、ということはあり得ます。だからといって、「ご都合主義」「ダブルスタンダード」との批判は免れ得ません。護憲勢力の最低投票率導入論も、同じ陥穽にはまっていないと言い切れるでしょうか。

 また、もし最低投票率を導入するとなると、何%が適当なのか、具体的な数字をめぐって争いが生じます。これは、国民投票法審議時に議論となった、「過半数」の分母を有効投票にするのか投票総数にするのか、はたまた有権者にするのかという問題同様、改憲のハードルの高低をめぐる争点です。

 これを、ときどきの政権の思惑どおりに単純多数で変えられてしまう法律に規定するのは、きわめて危ういことではないでしょうか。もし導入するのであれば、それこそ96条を改正し、きちんと憲法の条文に明記すべきではないでしょうか。硬性性をさらに高める改憲であれば、立憲主義にも反しないでしょう。

拡大EU離脱をめぐる英国の国民投票の開票作業にあたる市職員ら=2016年6月23日、英中部マンチェスター

 最も本質的な論点は、棄権者をどう位置づけるのかという上記(5)の問題です。この見解は、民主主義論を語る際によく引用されるフランスの諺 ”Les absents ont toujours tort.”(欠席者は常に間違っている=英語だと ”The absents are always in the wrong.”)の含意に通じます。この成句は必ずしも高尚な意味ばかりではなく、もともとは「欠席裁判」「いないが悪い」といった利得絡みの使われ方をしたようですが、参加型民主主義の要諦として用いられることもしばしばあります。要は、その場にいない人間の権利は守られない、参加しない人間が決定権を握ることはない、ということです。

ドイツ・緑の党は「反対」した

 ひとつ紹介したい逸話があります。

 連邦制のドイツには国民投票の制度はありませんが、バーデン=ヴェルテンベルク州での州民投票制をめぐる審議で、第一党のキリスト教民主同盟が最低投票率や絶対得票率の導入を主張したのに対し、最リベラルの緑の党は、投票成立に「有効投票の過半数」以上の要件を加えることに反対しました。

 その理由は「(他の条件をつけない方が)投票のテーマに関心を持つすべての社会的・政治的勢力が、それに応じた政治的討論に参加する気を起こさせることにつながる」から。そして、不成立の要件を設けることは「議論の拒否カルテルに対する政治的プレミアムを意味し、積極的市民社会の考え方に反する」と主張しました(村上英明『ドイツ州民投票制度の研究』)。意訳すれば、権利を放棄した人間がキャスティングボートを握ってしまうことは民主主義の理念に反する、ということでしょう。

 最低投票率導入に反対するある知人のジャーナリストが、イタリアのマルクス主義者アントニオ・グラムシのこんな言葉を紹介してくれました。

 「本当に生きている人は、市民でパルチザンでいられないことはできない。無関心は意志欠如、寄生で卑怯である。だから私は無関心を憎む」

「何も言わずにいるよりは、皆さんに話しかけることを選んだ」

 政治的弾圧を受け長く獄中にいた大思想家の境地を理想とされても凡人としては困るばかりですが、ひとつヒントになるような言葉を私も思い出しました。2009年に村上春樹さんがエルサレム賞を受賞した際の、あの有名な「壁と卵」のスピーチです。

拡大エルサレム賞の授賞式で、記念講演する村上春樹さん=2009年2月16日、イスラエルのエルサレムで

 市民が多数標的となったガザ地区の戦闘で国際社会の批判を浴びていたイスラエルを訪問し賞を受けることに対して、村上さんには国内外から激しい批判がありました。受賞を断わることを何度も考えたそうですが、ご存じのとおり村上さんはエルサレムに足を運び、「来ないことよりは、来ることを選んだのです。何も見ないよりは、何かを見ることを選んだのです。何も言わずにいるよりは、皆さんに話しかけることを選んだのです」と述べたうえで、爆撃機や機関銃ではなく焼かれ貫かれる市民の側、もろい個人である卵の側に私は常に立つ、と語りました。 ・・・ログインして読む
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筆者

石川智也

石川智也(いしかわ・ともや) 朝日新聞記者

1998年、朝日新聞社入社。岐阜総局などを経て社会部でメディアや教育、原発などを担当。2018年4月から特別報道部記者。慶応義塾大学SFC研究所上席所員を経て明治大学感染症情報分析センターIDIA客員研究員。共著に「それでも日本人は原発を選んだ」(朝日新聞出版)等

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