「バレてはならない」ことと「やってはならないこと」
2018年05月07日
『フクシマへの帰郷』と題した今秋の読書シーズンに出版予定の原稿を送ってくれたので、早速読んでみたら、冒頭に引いた文章が出てきた。
南ドイツ在住の主人公パウルがふとしたきっかけからフクシマを訪問し、浪江や飯館を訪れ、現地の人間関係にも巻き込まれていく。日本人女性との恋愛などもあるのだが、福島の美しい村や放射能汚染地帯の描写の背景に19世紀オーストリアの作家シュティフターも絡ませた結構難しい小説だ。冒頭の感想もあくまで主人公のそれであって、ムシュク君のそれかどうかはわからない。
帰還困難地域を早期に解除して賠償金などを少しでも倹約したい政府や東電の態度を聞き、原発労働者のピンハネつきの雇用の実態なども知り、さらには多くの原発の再稼働を狙う政府の方針を耳にしたときに主人公が得た印象が、「日本の政府は犯罪組織なのかもしれないな?」というものだ。次第にフクシマの人々への理解を深めていく流れの中では、どちらかというと副次的な部分に出てくるこの文章だが、それでも、「日本の政府は犯罪組織なのかもしれないな?」という主人公の感想は、日本の政治の現状に多少は興味を持っているヨーロッパ人ならばその多くが抱くものだろう。
しかも、この文章のあとには、「でもこういう質問はしてはいけないだろう。この国のならわしでは、政府によりも感情に敏感なのだから」と続く。なるほどそうかもしれない。日本人の中には、自分が批判している政治の醜悪さでも、外国人に言われると、むっとする人が多い心理もよく見ている。
現今の政府の中枢が、少し広い意味で「犯罪組織」と変わらないというのは、わからないことはない。国有地の――適法な手続きを装っての――不当な値引きでの右翼学校への譲り渡し、財務省内部の文書の――適法を装うための――改ざんとその隠蔽、加計学園の獣医学部認可をめぐっての――合法的手続きに乗せるための――不透明な一連の動き、厚生労働省で都合のいい資料の――“不当労働行為”の合法化を図るための――作成とその部分的隠蔽、自衛隊の日報の――海外派遣の合憲性をなんとか押し通すための――隠蔽ないし怠慢な捜索、全部自分たちに都合のいいように手続きを済ませるための仕業だ。「首相案件」として便宜をはかることで、役所での書類の細かいチェックがスピーディに進む。
もちろんのこと、いわゆる森友問題でも、厳密に法的に安倍首相と今井補佐官、安倍昭恵総理夫人と財務省の迫田元理財局長の責任を証明するのは難しい。しかし、法廷と政治(国会)は異なる。法的には「疑わしきは罰せず」の原則がある。被疑者の人権の保護も重要だからだ。
しかし、国会論戦では、信頼が得られるかどうかが重要だ。法廷では形式論理を駆使した、時には詭弁めいたことも議論としてまかり通るが、国会ではそういう議論では国民の信頼は得られない。信頼という資本は形式論や言い逃れで得られるものでは、その定義からしてない。愛が力やカネで得られないのと同じだ。
だいたい、経産省から派遣されている(今井補佐官が背後で操っていた気配が濃厚とは、前川前文科次官の推測だが)首相夫人つきの職員が財務省とファクスのやり取りを国有財産の貸与や売却問題でしているというだけで、もう明らかだ。信頼は地に落ちている。無理筋の自己弁護はお白州でしてくれればいい。
毎日のように忖度を返上して張り切っている(このやりがい忘れないでね)新聞やテレビで次から次へと明らかになる新事実は、「オモシロイ」には違いないが、もう全体の枠組みは十分に証明されている。加計と森友は、官邸サイドの暗々裏の働きかけ、日報や労働条件調査は、国会で「騒がれる」のが困るから、見えなくしただけだ。
だいたい、政府と官僚が一番恐れるのは、
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