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県民投票と連動?沖縄の政界再編の行方

革新色が強まり崩壊したオール沖縄。若者主導の県民投票は次のステージをつくるか?

山本章子 琉球大学准教授

県民投票をめぐって瓦解した「オール沖縄」

 2018年2月末、2014年の沖縄県知事選から翁長雄志氏を支えてきた保革連合「オール沖縄会議」を、沖縄県内でスーパーなどを展開する金秀(かねひで)グループの呉屋守将(ごや・もりまさ)会長が脱退したことは、県内に大きな衝撃を与えた。しかも、続けて4月初頭には、沖縄観光コンベンションビューローの平良朝敬(たいら・ちょうけい)会長がオーナーを務める、かりゆしグループもオール沖縄から脱退すると発表した。

 呉屋氏もかりゆしグループも脱退の主な理由として、オール沖縄の「革新色が強くなった」ことにくわえ、米軍普天間飛行場の辺野古移設の賛否を問う県民投票を実施すべきだと主張したが、「自分たちを交えた議論を経ずに却下された」ことを挙げた。県民投票がオール沖縄の瓦解(がかい)の引き金をひいたかたちだ。

 県民投票とは、県全体で行う住民投票のことで、請求代表者が全有権者の50分の1以上の署名を集めて知事に条例制定を請求し、県議会が県民投票条例を可決すれば実施される。県民投票も含めて住民投票の結果には法的拘束力がない。県民投票という選択肢が、オール沖縄内で議論することなく否定された背景には、オール沖縄に参加している労働組合などが、県民投票への強いトラウマを持っていることがある。

時期が悪かった1996年の県民投票

県民投票をめざし署名集めへの協力を呼びかける市民団体のメンバー=2018年5月2日、沖縄県庁県民投票をめざし署名集めへの協力を呼びかける市民団体のメンバー=2018年5月2日、沖縄県庁

 住民投票の歴史は新しい。1996年に新潟で原発建設をめぐって行われたのが日本最初の住民投票だ。同じ年の9月に沖縄で初めて実施された県民投票では、労働組合が中心となって署名を集めた結果、日米地位協定見直し・基地縮小の賛否を問う県民投票が実現し、全有権者の過半数、投票者の約9割が賛成している。

 しかし、このときはタイミングが悪すぎた。当時、大田昌秀・沖縄県知事は1995年9月以来、県内の軍用地を米軍に提供するために知事が地主の代わりに一括で同意の署名をする、代理署名を拒否していた。県民投票直前の1996年8月下旬、最高裁判所は、代理署名の上告審について沖縄県の訴えを棄却し、県の全面敗訴となった。そのため、大田知事は県民投票の結果に反して、その5日後、代理署名に応じることを表明したのである。

 当然ながら、県民投票を推進した市民を中心に、大田知事は代理署名に応じるのではなく、辞任して再選に打って出るべきだったなどの批判が噴出した。また、大田知事の選択は結果的に、沖縄県内に基地問題に対する無気力感も広げた。

SEALDS RYUKYUの元メンバーが動く

 現在に話を戻すと、県民投票という選択肢を最初に検討し始めたのは翁長県政である。沖縄県は2017年初頭、知事権限で県民投票を実施する可能性を探って、各市町村に水面下で協力を求めてきたが、うまく協力をとりつけられなかったといわれる。

 そのため、沖縄県は2017年春、地元紙を使って県民投票の観測気球を上げた。また同じ頃、住民投票に詳しい武田真一郎・成蹊大学教授に対して、市民中心で県民投票の機運を高めるよう依頼したとされる。

 武田教授の協力のもと、実際に県民投票に向けて動き出したのは、学生団体SEALDS RYUKYUの元メンバーで26歳の元山仁士郎氏である。普天間飛行場のある宜野湾市で育ち、東京の大学・大学院に進学した元山氏は、上京するまで基地問題に関心を持ったことがなかったという、普通の沖縄の若者だ。

 オール沖縄やSEALDS RYUKYUの元メンバーの多くが反対するなか、元山氏は大学院を一年間休学することを決断。2018年4月までに「『辺野古』県民投票を考える会」を立ち上げた。

 この会には、ある特色がある。中心メンバーの多くが、普天間飛行場の移設先であるキャンプ・シュワブのゲート前での「座り込み」を、ほとんど経験していないことだ。

座り込みに抵抗感がある若者世代

 沖縄の基地反対運動が、深刻な世代の断絶に直面しているということは、たびたび指摘されてきた。

 キャンプ・シュワブ前での座り込みによる移設工事反対運動の参加者は、主に、1945年から1972年まで続いた米軍占領下で、反基地運動に参加してきた復帰前世代である。一方、30代以下の県内の多くの若者にとって、座り込みは仕事や子育て、学業を犠牲にするという点でも、また、暴力を恐れず権力と対峙(たいじ)するという手法の点でも、負荷や抵抗感が大きい。

「辺野古ゲート前座り込み5000日突破集会」に集まった参加者たち=2017年12月26日、沖縄県名護市のキャンプ・シュワブ前「辺野古ゲート前座り込み5000日突破集会」に集まった参加者たち=2017年12月26日、沖縄県名護市のキャンプ・シュワブ前

 選挙などの公的な政治参加を通じて、沖縄の基地反対の民意を政治に反映させることがかなわないために、沖縄では、座り込みなどの非公式な政治参加の方法が重視されてきた。だが、座り込みに対する抵抗感が強い県内の若者は、翁長県政が誕生して以来、国政選挙で多くのオール沖縄候補が当選し続けるという結果を出しても、辺野古移設反対の民意が国政に反映されない状況を目の当たりにして、「チルダイ」(沖縄の言葉で「無気力」の意)に陥りやすくなっている。

県民の間に広がる「チルダイ」

 とりわけ、2015年10月の安倍晋三内閣による辺野古埋め立て本体工事への着手に対抗して、翁長知事が仲井眞弘多・前知事による辺野古埋め立て承認を取り消した後の経緯は、若者を含め多くの沖縄県民に大きな心理的ダメージを与えた。

 安倍内閣は、国土交通大臣による撤回勧告と指示をへて、沖縄県に対する代執行訴訟をおこした。2016年1月に出された福岡高裁の和解勧告後には工事を中断したが、同年7月の参議院選で現職の島尻安伊子沖縄北方担当大臣が敗れ、沖縄が衆参ともに「自民空白県」になった直後、あらためて沖縄県の埋め立て承認取り消しの違法確認訴訟をおこす。福岡高裁は9月、国の主張を全面的に認め、最高裁が12月に高裁判決を確定させた。そして、最高裁判決から一週間後、辺野古埋め立て工事は再開される。

 こうした経緯が、「どうせ工事は止められない」というチルダイを県民の間に広げたのは間違いない。2018年2月の名護市長選で、10代から50代までの有権者の6割が、辺野古移設に反対する現職の稲嶺進氏を支持しなかったことがそれを象徴している。

結果よりプロセス重視の県民投票運動

 元山氏をはじめとする県民投票の会幹部が、県民投票を重視しているのには、チルダイに陥りがちな若者に対して、座り込みに代わる闘う方法を考えさせるという意味合いが大きい。元山氏は、「県民同士でもう一度議論する」機会として、県民投票を位置づけている。

 県民投票に反対する意見は、その実現可能性や有効性を問うものがほとんどである。具体的には、もし実現しなかったらどうするのか、実現したとして賛成多数だったらどうするのか、反対多数だとしても1996年のような結果に終わったらどうするのか、などだ。住民投票に公職選挙法が適用されないため、県民投票に反対する勢力による買収が行われる可能性や、条例が制定されても各市町村が投票所の設置などを拒否する可能性なども指摘される。

 こうした意見に対して、元山氏や、同じく県民投票の会の中心メンバーである、平井裕歩、瀬名波奎(ともに23歳)の両氏は「失敗してもいい」とこともなげに言う。彼らにとっていちばん大事なのは、「やってみて、だめだったらその教訓をいかして、別の方法を考える」ことだという。こうした、結果よりもプロセスに重きをおいた運動という点にも、これまでの運動にはない特色が見られる。

運動の世代交代につながる可能性も

 こうした、若者による新たな運動の提案は、将来的な運動の世代交代につながる可能性を持っている。それは、沖縄の民主主義のためには不可欠なものである。金秀などが、黒衣に徹する形で県民投票の会を支援し、若者たちを表に立たせていることも、新世代のリーダー育成に一役買っている。

 5月23日から始まった県民投票の条例制定を求める署名集めでは、2カ月間で11万5000筆を集めることが目標とされている。

 最低限必要なのは、沖縄県の有権者数の50分の1にあたる2万4000筆だが、あえて有権者の10分の1を目標としているのには理由がある。翁長知事を支持する議員が与党を形成している県議会では、県民投票条例が否決される可能性は低いが、翁長県政に批判的な市町村が多いため、市町村長が県民投票条例に協力しないという選択が困難になるよう、目に見える世論を形成しようとしているのだ。

 若者ならではのユニークなアイデアもある。街頭署名や組織ぐるみの署名活動だけではなく、県民投票に賛同する商業施設や店舗、事務所を「署名スポット」と名づけて、「『辺野古』県民投票を考える会」のステッカーを貼り、近所の住民に署名をうながす方法をとっている。「運動」にアレルギーがある若者の心理的抵抗を下げる、うまい方法といえよう。(詳細は「『辺野古』県民投票の会」HPを参照)

沖縄で初の「中道勢力」を結集する試み

 県民投票に向けた動きは、期せずして、沖縄県内の政界再編の流れを生みだした。

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