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金正恩を運んだ「中国機」のナゾ

米朝首脳会談の影の主役は中国だった。習近平が「中国機」に込めた狙いとは?

古谷浩一 朝日新聞論説委員(前中国総局長)

 

拡大金正恩朝鮮労働党委員長が米朝首脳会談が開かれたシンガポールを訪問するのに使ったのは中国国際航空の大型旅客機だった=2018年6月10日(朝鮮通信)

「彼は私の友人で、中国の偉大なリーダーだ。この歴史的な日に私たちを導いてくれた彼ら(中国)の努力に感謝したい」

 トランプ米大統領は金正恩・朝鮮労働党委員長とのシンガポール会談後の記者会見で、中国の習近平国家主席に対して謝意を表明した。中国が北朝鮮に対する厳しい圧力に踏み込んだことが会談実現に大きな役割を果たしたと評価する発言である。

 トランプ氏は会談に先立つ5月下旬には「(習氏は)世界一流のポーカープレーヤーだ」などと批判していただけに、一転した称賛ぶりだった。

 今回の会談でも、中国の存在感がじわりと示されたことは否定できない。何しろまず、金正恩氏が平壌からシンガポールまで乗ってきたのが、中国国際航空の大型旅客機ボーイング747だった。

中国は当初「パイロットの提供」を打診した

 金正恩氏が5月に中国・大連を訪問したときに使用した旧ソ連製の専用機「チャムメ(オオタカ)1号」と北朝鮮の持つ旧ソ連製の貨物機「イリューシン」の2機も一緒に飛んできた。しかしシンガポールのチャンギ空港で、金正恩氏は中国国際航空機のタラップから降りてきた。

 機体の横に大きく書かれた「AIR CHINA」の文字。そこに北京から派遣された中国政府高官の姿はなかったが、中国の北朝鮮への影響力をいやでも印象づけるものだった。

 なぜ米朝会談に中国機なのか。

 「チャムメ1号」の運航距離は9200キロと言われる。平壌~シンガポール間の距離は4800キロなので、飛行距離に問題はない。

拡大シンガポール・チャンギ空港に駐機する北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長専用機。金委員長はこの専用機に乗ってこなかった=2018年6月12日

 ところが、私の中国の友人によると、北朝鮮側は機体もパイロットも長距離飛行に慣れていないため、安全対策を理由に中国側の協力を求めてきたという。

 これに対し、中国側は即答を避け、内部で検討を進めたそうだ。当初は、長距離飛行の経験豊富な中国のパイロットが金正恩氏の専用機のコックピットに乗り込み、北朝鮮のパイロットと一緒に飛ばすことを提案したそうだ。

 ところが、北朝鮮はこの案を拒否し、やはり乗員とともに中国機の提供を、と求めたという。金正恩氏はよほど、自国の専用機の飛行の安全に不安を感じていたのだろうか。

習近平が金正恩に直接「中国機の提供」を伝えた

 確かに本当に安全上の問題を気にして、最も頼みやすい中国に頼んだのかもしれない。

 ただ、世界中の視線が注がれるなか、中国機でシンガポール入りすることに政治的な意味がないはずがない。自らの「後ろ盾」である中国の存在を内外に改めて示す狙いがあったとの推論も十分に成り立つ。

 また、どの機に金正恩氏が乗っているか分からない状態にして、万が一、専用機が攻撃される場合に備えたという臆測もあるようだ。あるいは、中国大陸の上を飛行しなければならないのだから、中国に責任を持たせる形で、安全をすべて委ねたということかもしれない。

拡大中国・大連を訪れた金正恩朝鮮労働党委員長と乾杯する中国の習近平国家主席=労働新聞ホームページから

 友人によると、中国側も様々な検討を進めた末、最終的には、国有企業である中国国際航空が所有するボーイング747を中国人パイロットとともに北朝鮮に提供することを決めたという。これを、大連での2度目の中朝首脳会談で、習氏本人が直接、金正恩氏に伝えた。

 中国としては、米朝会談にちゃんと関与しているとの意思の表れであり、また、朝鮮半島問題で中国が「蚊帳の外」に置かれることは許されないとの思いの裏返しでもあったのだろう。

中国高官たちは政府専用機を「共有」している

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筆者

古谷浩一

古谷浩一(ふるや・こういち) 朝日新聞論説委員(前中国総局長)

1966年生まれ、神奈川県出身。1990年、朝日新聞社に入社。前橋支局、大阪本社社会部、東京本社経済部などを経て、上海、北京、瀋陽で特派員に。2012年1月から2013年8月まで東京本社国際報道部次長。2013年9月から2018年1月まで中国総局長。2018年4月から国際社説担当の論説委員。 1993年から1994年まで中国・南京大学、1997年から1998年まで韓国・延世大学でそれぞれ留学研修。

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