メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

無料

歴史に学ぶ「朝鮮半島非核化問題」の真実(1)

休戦して65年になる朝鮮戦争。米朝首脳会談に至るすべての始まりはこの戦争にある

菅英輝 京都外国語大学客員教授、九州大学名誉教授

朝鮮半島の歴史で初の現象

 1945年の日本の敗戦による朝鮮半島植民地支配の崩壊に続き、米国とソ連による冷戦が発生したことで、朝鮮半島に分断国家が出現した。50年6月に勃発した朝鮮戦争は、朝鮮半島の統一をさらに遠のかせることになった。

 半島に多大な犠牲をもたらしたこの戦争はまた、アジア冷戦を激化させた。米ソ対立にくわえて、米国と中国の対立が東アジアおよび朝鮮半島に新たな対立と緊張をもたらしたからだ。

 60年代に入り、米ソのデタントが進展する中においても、朝鮮半島は米、中、ソといった大国の政治的思惑に翻弄され、半島の当事者である韓国と北朝鮮がイニシアティブを発揮できる余地は少なかった。

 その意味で、2018年3月以降、本格化した「半島の非核化」をめぐる動きにおいて、南北両首脳がイニシアティブを発揮している状況は、朝鮮半島の歴史でこれまでみられなかった現象であり、歴史的な変化を示すものだといえよう。

CVIDは盛り込まれなかった米朝首脳会談

史上初の米朝両首脳会談。両首脳が握手すると、シンガポールのメディアセンターではカメラのシャッター音が響いた=2018年6月12日拡大史上初の米朝両首脳会談。両首脳が握手すると、シンガポールのメディアセンターではカメラのシャッター音が響いた=2018年6月12日

 そんななか、韓国の文正寅大統領が、トランプ米大統領と金正恩朝鮮労働党委員長との間の仲介役を果たしたことで、紆余曲折を経ながらも、6月12日に米朝首脳による初の会談がシンガポールで開催された。

 シンガポール会談の半年前まで、米朝は激しい舌戦と「戦争ゲーム」を繰り返し、戦争の危険が懸念されるほどであったことを考えるならば、初の米朝首脳会談は南北間に緊張緩和をもたらすという点では評価できる。

 だが、発表された共同声明では、4月27日の南北首脳会談時に発表された板門店宣言で言及された「朝鮮半島の非核化」が再確認されたものの、米側が譲れない条件だと主張してきた北朝鮮の「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化」(CVID)は盛り込まれなかった。

 記者会見でこの点を追及されると、トランプ大統領は「時間がなかった」と釈明に追われる始末である。「朝鮮半島の非核化」が具体的に何を意味するかについて、双方の考え方の違いは残ったままだし、その実現のためのロードマップも示されていない。

意味があいまいな「安全の保証」

 その一方で、「トランプ氏」は北朝鮮に「安全の保証」を与えるとの文言が盛り込まれ、一見、北朝鮮に譲歩したかのような印象を残した。ただし、「安全の保証」が何を意味するかもあいまいだ。

 北朝鮮はこれまで、この言葉に、敵視政策と核の威嚇の恒久的停止、平和協定の締結と経済制裁の停止、経済支援、米朝国交正常化、在韓米軍の削減・撤退、軍事的挑発の終結、人権問題での非難の中止などの意味を込めてきた。換言すれば、北朝鮮側からすれば、これらの条件が満たされなければ、「安全の保証」や「体制保証」は空証文同然なのだ。

 しかるにトランプ大統領は、米韓合同軍事演習など軍事的挑発は交渉をしている状況では「不適切だ」と述べた程度で、在韓米軍の縮小・撤退は時期尚早、朝鮮戦争の終結宣言や経済制裁の停止の先送りなど、北朝鮮が求める「安全の保証」や「体制保証」の具体的中身については、何ら明示されなかった。

米朝の間に根深い相互不信

 6者協議で合意された内容よりも後退したとも受け止められる共同声明にとどまったことは、朝鮮戦争以来、アメリカが北朝鮮に対してとってきた敵視政策と、北朝鮮が生き残りをかけて繰り出してきた合意の破棄や権謀術数がもたらした相互不信の根深さをうかがわせる。

 米朝首脳会談冒頭に金委員長は、「私たちの足を引っ張る過去」、「誤った偏見と慣行」など「すべてを乗り越えてここまで来た」と述べたが、この発言は、今回の首脳会談への道のりが容易でなかったことを率直に表している。

 米朝会談に向けた実務者協議で、北朝鮮側は、トランプ政権が「イラン核合意」をはじめ、国際合意から次々に離脱した事実を指摘し、トランプ政権に対して、「信頼できる証拠を」示すように求めたという(「朝日新聞」2018年5月31日)。今回の共同声明で「安全の保証」を与えるのは「トランプ氏」となっており、「アメリカ合衆国政府」ではないことにも留意する必要がある。政権交代で対応が変わるという懸念を北朝鮮が抱いているとしても不思議ではない。

 シンガポール声明は半島の緊張緩和と平和への第一歩ではあっても、米朝双方に横たわる根深い相互不信を緩和し、信頼醸成を積み重ねていかない限り、「朝鮮半島の非核化」と「安全の保証」を実現、定着させていくことは容易ではない。

 そこで、本稿では4回にわけて、今回のシンガポール会談を朝鮮戦争以来の「歴史の文脈」の中で考察し、初の米朝首脳会談の歴史的意義と、この会談が日本外交にとってどのような意味を持つかを考えてみたい。

朝鮮戦争は冷戦下で初の「限定戦争」

朝鮮戦争で韓国・仁川地区の港湾施設を視察するマッカーサー将軍拡大朝鮮戦争で韓国・仁川地区の港湾施設を視察するマッカーサー将軍

 まず、朝鮮戦争の戦後国際政治史上の意味について考えたい。 

 多くの人々にとって、1950年6月に勃発した朝鮮戦争はいまや「忘れられた戦争」であるかもしれない。だが、この戦争が戦後国際社会に与えた影響の大きさを考えると、「忘れられた戦争」として片づけることはできない。

 この戦争は冷戦後に起きた初の「限定戦争」であり、第1次世界大戦、第2次世界大戦といった総力戦を戦って勝利に貢献したアメリカにとっても、どう対処すべきか大いに戸惑う性格の戦争だった。それは、戦争が予想外に長期化して膠着状態に陥るなかで、米国内では世論の不満が高まり、民主党政権が52年の大統領選挙で共和党に政権の座を奪われる結果を招き、休戦協定という形で戦争を終結させざるを得なかったことに示されている。

 その意味で朝鮮戦争は、ヴェトナム戦争などその後のアメリカの戦争の戦い方にも影響を与えた。

グローバルな規模で影響も

 この「忘れられた戦争」はまた、戦後の国際政治にグローバルな規模で影響を与えた。

 極東の朝鮮半島で起きた限定戦争が、なぜグローバルなインパクトをもったか。それは、連合国の一員として、日独伊三国同盟で結束する枢軸国と戦って勝利した米ソ両国が、第2次世界大戦の終結後に対立し、米ソ冷戦という状況が出現したからである。

 朝鮮戦争は、戦後世界において、超大国として登場しつつあった米ソ両国の間に発生した冷戦(冷たい戦い)の脈絡の中で勃発したため、アメリカは、この戦争をソ連の世界制覇の一環だと受け止め、いわゆる「国連軍」を率いて、朝鮮半島に軍事介入した。その結果、現在まで続く朝鮮半島の分断をさらに固定化することになった。

 朝鮮戦争が勃発すると、アメリカ政府内では、東アジアでの危機に乗じて、ソ連がヨーロッパに軍事進攻するのではないかとの懸念が高まった。このため、50年12月にドイツ再軍備と北大西洋条約機構(NATO)軍60個師団の創設を急ぎ、さらに西ドイツ軍を創設し、NATOへの編入を決定した。

 このように、朝鮮戦争は冷戦のグローバル化と軍事化を招いた世界史的な事件であった。

議会と世論とを一変させた朝鮮戦争

 朝鮮戦争はアメリカ社会にとっても、国家体制の変質をもたらす大事件であった。

 この戦争が勃発する直前、ワシントンでは、冷戦が共産主義陣営に有利に展開しつつあるとの懸念が高まっていた。このため、トルーマン大統領は、国務・国防両省に対して、包括的な軍事・外交政策の再検討を命じた。この検討作業は朝鮮戦争勃発の2か月前の1950年4月、国家安全保障会議文書NSC68として結実した。

 NSC68は、共産圏の攻勢に対抗するために、上限とされていた国防予算を135億ドルから450億ドルへと、一挙に3倍に増額することを勧告していた。しかし、トルーマン大統領や予算局長が財政均衡論者だったこと、議会においても共和党議員を中心に反対が根強かったことで、巨額の国防予算が議会で承認される状況にはなかった。

 朝鮮戦争の勃発は議会と世論の空気を一変させ、NSC68はトルーマン大統領と議会の承認を得ることになった。かくして「NSC68の世界」が実現していく。ディーン・アチソン国務長官はこのとき、朝鮮戦争を「天祐」だと歓迎したのは、それゆえである。

サンフランシスコ対日講和会議の開会式で演説するトルーマン・アメリカ大統領。1951年9月4日。オペラハウス拡大サンフランシスコ対日講和会議の開会式で演説するトルーマン・アメリカ大統領。1951年9月4日。オペラハウス

「NSC68の世界」とはどんな世界か

 では、「NSC68の世界」とはどのような世界なのか。

 第一に、「安全保障国家体制」の成立である。1947年7月国家安全保障法の成立によって、国家安全保障会議(NSC)、米中央情報局(CIA)、国防総省(ペンタゴン)、統合参謀本部が設置されていたが、これらの制度が強化されることになった。同法は、「軍産官学複合体」勢力に安全保障国家体制の法的・制度的基盤を提供するものであり、朝鮮戦争は、アメリカが冷戦の長期化に備え、冷戦を戦い抜くための制度の定着を促進した。

 第二に、自由主義イデオロギーの変質が生じた。アメリカはウィルソン主義的リベラリズムを標榜し、民主主義や自由主義を重視する社会であった。だが、朝鮮戦争を契機に、戦争の準備態勢が整えられるなか、対共産圏「封じ込め」や国家安全保障の論理を、こうした理念より優先するようになる。安全保障国家体制がアメリカ社会に定着する過程はまた、リベラル国家が変質する過程でもあった。

 第三に、アメリカ経済の軍事化が進み、「恒久的戦争経済」が出現した。朝鮮戦争を契機に、一挙に3倍に膨れ上がった国防予算はその後、50年年代を通して400億ドル(GNPの10%)を下回ることはなかった。また、財政政策も軍事的ケインズ主義といわれる手法が定着し、国防予算額を調整することで、景気回復を図ることが常態化する。

 第四に、アメリカ外交の軍事化が進んだ。具体的には、対外援助における軍事援助の占める割合が高まった。51年に相互安全保障法が議会で成立し、経済援助と軍事援助の統合が図られた結果、経済援助と軍事援助の比率は、1946~50年度に96.6%対3.4%であったものが、1951~60年には51.0%対49.0%となった。

 戦後に基軸通貨となったドルがアメリカに集中したため、アメリカ以外の国は深刻なドル不足に悩み、国々はアメリカから購入する製品、物資の輸入代金を支払うことができず、このままでは、アメリカ経済にも大きな悪影響が及ぶと懸念されていた。国防予算の大幅増は、軍事援助を通して西側諸国にドルを供給する手段でもあった。

 第五に、米軍の増強が急速に進んだ。米軍兵力は朝鮮戦争当初150万人であったが、1年後は320万人以上に増員された。陸軍は10個師団から18個師団へ、空軍は42飛行隊から72飛行隊へ、海軍は618隻から1千隻へ、空母艦隊は9航空群から14航空群へ、それぞれ増強された。

朝鮮戦争がもたらした北東アジアの分断

 朝鮮戦争は、ヨーロッパでドイツの再軍備とNATOの軍事力強化を促進し、ヨーロッパにおけるアメリカのヘゲモニーの確立に貢献した。さらに、アジアにおいても、日本の再軍備、51年の日米安保条約の締結を通して、日本に対するアメリカのヘゲモニーの確立に役立った。

 この戦争はまた、50年10月の中国義勇軍の参戦によって米中戦争へと拡大し、アメリカの対ソ「封じ込め」政策は、中国にも適用されることになり、対中「封じ込め」政策が開始された。米ソ冷戦は、米中冷戦に拡大し、アジア全体が米ソ冷戦の場へと変貌することになった。

 その結果、朝鮮半島の南北分断の固定化がさらに進んだだけでなく、朝鮮半島は冷戦の「最前線基地」となった。南北両朝鮮は、米、ソ、中、それにアメリカの同盟国となった日本も加わる形で、大国間政治に翻弄される歴史を歩むことになった。要するに、現在にいたるまで北東アジア分断体制が続いた原因は、朝鮮戦争がもたらした帰結である。

戦争状態が続く朝鮮半島

ベトナム戦争で北ベトナム首都ハノイ郊外にあった高射砲陣地。拡大ベトナム戦争で北ベトナム首都ハノイ郊外にあった高射砲陣地。

 東アジア分断体制とは、日米同盟と中国という地域レベルの対立の構造に加えて、複数の小分断体制から成り立っている。すなわち、中国と台湾の分断、朝鮮半島の分断、日朝の分断、韓中の分断、韓ソの分断、それにヴェトナムの分断である。

 ヴェトナムの分断はヴェトナム戦争が1975年に終結し、ヴェトナム統一が達成されたことで解消した。また、90年の韓ソ国交樹立、92年の韓中国交正常化により、これらの分断も克服された。その一方で、朝鮮半島の分断は現在まで続いている。

 ヴェトナムの分断は、ヴェトナム戦争で北ヴェトナムと南ヴェトナムの解放民族戦線(NLF)が、中ソの支援を受けながら、多大な犠牲を払って、アメリカに勝利したことで解消された。だが、朝鮮戦争は膠着状態に陥り、53年に停戦協定が締結されたことで、戦闘は停止したものの、南北分断という状況は継続することになった。このため国際法上は、いまだ戦争状態が続いているという状況にある。

 今年4月27日の南北首脳会談で板門店宣言が出され、両首脳間で休戦協定を平和協定に変えて、半島の平和構築体制を目指すと宣言した背景には、そうした歴史的な経緯があるのである。

 次回(2)では、米国が北朝鮮に対する敵視政策を追求し続けた理由と、北朝鮮が核・ミサイル開発にこだわったわけについて考えます。20日に「公開」予定です。

 

 

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

菅英輝

菅英輝(かん・ひでき) 京都外国語大学客員教授、九州大学名誉教授

1942年生まれ。専門はアメリカ政治外交史、冷戦史。オレゴン大学政治学科卒業。ポートランド大学大学院政治学修士課程修了。コネチカット大学大学院博士過程修了。法学博士。著書に、『冷戦と「アメリカの世紀」』(岩波書店、2016年)、『アメリカの世界戦略』(中公新書、2008年)、『アメリカの核ガバナンス』(初瀬龍平との共編著、晃洋書房、2017年)、『冷戦変容と歴史認識』(編著、晃洋書房、2017年)、『アメリカ20世紀史』(共著、東京大学出版会、2003年)、『アメリカの戦争と世界秩序』(編著、法政大学出版局、2008年)、『冷戦史の再検討』(編著、法政大学出版局、2010年)など。