“見殺し罪”で弱者を保護するフランス。日本はなぜ虐待死を防げないのか?
2018年06月23日
船戸結愛ちゃん(5)の虐待死が大きな反響を呼んでいる。安倍晋三政権は児童虐待防止対策に乗り出したが、失われてしまった幼い命のことを思うと、心が痛む。
私がいま住んでいるフランスには、未成年者も含めた“見 殺し罪”が存在するほか、15歳以下の未成年に対するレイプなどのセックスハラスメントに厳罰を科す法案も目下審議中で、近く可決される見込みだ。子どもたちのことは、大人たちで守らなければならないという意識が背景にはある。
結愛ちゃんの両親は今回、保護責任者致死容疑で逮捕された。しかし、この罪状が適任だと思っている日本国民は少ないはずだ。もっと厳罰はないのか、というのがごく自然な反応ではないのか。
そもそも、周囲の大人たちはいったい、何をしていたのかと、今さらながら思う。
結愛ちゃんは東京に移転した後、すでに衰弱が激しく外出もできない状態で、近所の人も姿を見かけなかったという。もしここがフランスだったら、間違いなく周囲の関係者は「救助義務違反」、つまり“見殺し罪”で有罪になる。最高刑は禁固5年に加えて、罰金約10万ユーロ(1ユーロ=約122、3円)を課せられる。
フランスの場合、弱者や貧者に対するキリスト教の伝統的な寛容と慈悲の精神に加え、フランス共和国の国是である「自由、平等、博愛(連帯)」の精神により、支援、連帯の精神が基本的に日本より強いように思われるうえ、「フランスにはモンテスキューの『法の精神』を生んだように、法律で弱者を救済するという精神が根っこにある」(仏記者)という土壌もあって、死の危機に瀕している人を放置したり、救済活動を故意に邪魔する、つまり“見殺し”にしたときには、「救助義務違反」の罪に問われる。
たとえば、ダイアナ元イギリス皇太子妃がパリで交通事故死した際、現場にいたパパラッチたちはこの罪状で起訴され、何年も裁判が続いた。最終的には有罪を免れたが、この法律が存在しなかったら、彼らの行為は何ら問われることがなかったことを考えると、法律には一定の意義があったと言えよう。
エイズウイルス汚染の血液輸血事件では、国立輸血センター所長が医師2人とともに同罪で有罪になった。所長の方は4年の実刑(医師2人は執行猶予付き)で、強盗殺人犯やテロ犯と同じパリ・サンテ刑務所で服役した。
一方、日本では関係者が法的に罰せられなか ったが、なぜだ、と疑問に思った人は、犠牲者をはじめ、少なくなかったはずだ。
衰弱死した結愛ちゃんを助ける機会はあったはずだ。誰が見殺しにしたのか。同情するだけでなく、厳しく法律で罰するべきだ。両親が「致死容疑」というのも、あまりにも現実を注視していない罪状だと思わざるを得ない。
政府は再発防止を講じるように指示したが、いったいどれほどの効果があるのか。
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