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候補者男女均等法、リベラリズムからの違和感

「市民」に性差はあるのか。「パリテ論争」に見る日仏の落差

石川智也 朝日新聞記者

「政治分野における男女共同参画推進法案」採決を見守る野田聖子総務相兼男女共同参画担当相(中央)=2018年5月15日、参院内閣委

居心地の悪さは「男」だからか

 なんとも居心地の悪さが消えない。それは私が「男」だからだろうか。いや、決してそんな理由ではない(はずだ)。

 「政治分野における男女共同参画推進法」が先月16日に成立した。「候補者男女均等法」と呼ばれているとおり、国政選挙や地方選挙で男女の候補者数をできる限り均等にするよう政党に求め、国や自治体にも性別にかかわらず政治参加しやすい環境整備を促すものだ。

 強制力も罰則規定もない理念法だ。ただ、先進諸国と比べてあまりに少ない女性議員を増やすよう後押しする初めての法整備ということで、「小さいが大きな一歩」「社会を変える突破口」「より強制力を持たせる手段が課題」といった前向きの解説がメディアにあふれた。

 報道機関の一員でありながら他人事のように言うのは恐縮だが、一連の報道に接して、自分が圧倒的少数派になったような肩身の狭さが募る。

「リベラルな社会」への善意と正義感が見落とすもの

「女も男も同じ地面の上に立つべきだ」
「より多様な視点や経験を持つ議員が集まれば、政策も変わる」
「政治は男の仕事という意識を変えなければ」
「だれもが暮らしやすい社会を」

 まったくもってそのとおりで、異論は一言もない。筋金入りのマッチョなセクシストや保守主義者でない限り、だれも否定はしないだろう。

 しかし、これらの解説記事を子細に読んでみると、首をひねらざるを得ないような内容も散見される。最も大事なことが見落とされている……というよりも、「リベラルな社会」への善意と正義感が根源的な問題への目を曇らせている……そんな印象すら私は受けた。

「男女半々でなりたつ社会を反映する議会へ」
「人口の割合と同じにしよう」
「社会の構成を映す議会、社会の縮図の国会へ」
「クオータ(割り当て)制の導入を」

 これらは前段に引いた4つのカギ括弧のニュートラルな内容とは似て非なるラディカルなものを含み、自由で民主的な社会にとって、一切の留保なく正しい主張だとは言いがたい。思想的にも政策論としても、正当性について大いに議論の余地がある。

「市民」に性差はあるのか

 今回の候補者男女同数法を「日本版パリテ法」と呼ぶ人がいる。

 「パリテparité」は仏語で「均等・同等」を意味する。フランスでは1990年代後半、議員の「男女同数」を法的手段に訴えて実現する運動や、男女の二元性に基づいた権利や原理を指すキーワードとして政治の最前線に投げ出され、多くの知識人を巻き込んで論争が繰り広げられた。この「パリテ論争」は、しかし、今回の報道ではほとんど触れられなかった。

 堀茂樹・慶大名誉教授が「普遍性か差異か――共和主義の臨界、フランス」(藤原書店)所収の論文で詳しく解説している。日本の「女性が輝く社会」問題やフェミニズムをめぐる言論を読み解くうえでの手がかりにもなるはずなので、私見を交えながら、かいつまんで紹介したい。

 この論争の本質はつまるところ、「市民」に性差はあるのか、という難題である。

 フランスは何よりも個人によって成り立つ国家であるということを強調してきた。憲法冒頭で「一にして不可分の……共和国である」「すべての市民の法の前での平等を保障する」と記す共和主義の下で想定される「市民」とは、○○民族や××民族やキリスト教徒やムスリムや白人や黒人や男や女によって「構成」されるものではない。それらの「差異」を(抹消するのではなく)カッコに入れ、法的・政治的空間においては同等の資格と権利を持つ普遍的な「市民」として統合することが、ネーション形成の原理であり、最も重要な条件とされてきた。

 それを担保するため、主権者たる「共和国の市民」を育てる公教育の場で、特定の「帰属」を示す服装やシンボル(例えばヴェールやキッパ、大きな十字架)を顕示するかたちで身につけることを禁じる措置までとっている。

フランス革命を題材にしたボリショイ・バレエ団の「パリの炎」=2017年6月10日、大津市のびわ湖ホール

権利の主体は「集団」ではなく「個人」

 これは個人の私生活における多様性を制限するためではなく、逆に、個人の選択の自由と尊厳をまもるため、と説明される。

 宗教、民族、文化で結びついた「共同体」の集団的なアイデンティティや一体性を保つために、外部に対しては同化を嫌って差異を主張し、内部においては「個人」の差異を認めず自由を抑圧してでも集団の同質性を保持しようとする――そのような「共同体」が並存するモザイクのような社会は「個人」の自由を奪うと、フランスの共和主義者は考えてきたからだ。

 だからこそ原理的には、フランスはアファーマティヴ・アクションの考えとは最も対極的なシステムをとってきた国といえる。

 アファーマティヴ・アクションとは、歴史的、系統的に不当な扱いを受けてきた集合に属する個人に、入学、雇用、昇進、事業への参入などの場面で政策的・社会的な優遇措置を講ずるもので、主に米国で差別是正のため一時期積極的に採用された。門戸を開放するだけでは、これまで足かせをはめられてきた人たちへの実質的な不平等を解消することにはならない。だからゲタを履かせようというものである。

 これは当然ながら、人種や性別による差別をしてはならないという平等原則と真っ向からぶつかる。

 フランスの憲法院は、権利の主体は「集団」ではなく「個人」であるとの原理を一貫して維持してきた。選挙においても、候補者をその属性でカテゴリー分けすることは市民概念の普遍性を否定することであり、主権者を複数の「群」や「類」に分割し、憲法に宣言された共和国の不可分性を侵すことに他ならない、との見解を示してきた。

 じっさいに1982年、地方議員選挙の候補者リストで一方の性が75%以上を占めてはならないとする選挙法改正案(女性候補に4分の1のクオータを設けることを意味する)に対し、憲法院は違憲判決を出している。

「画期的」な憲法改正

 そのフランスで、パリテ論争が一気に高まったのは1996年、超党派の女性議員が週刊誌で「パリテのための10人宣言」を発表し、翌年、新首相についたリオネル・ジョスパンが、女性の政界進出を促進するための憲法改正を表明して以降である。

仏社会党結党100年の記念討論会で熱弁を振るうジョスパン元首相=2005年4月23日、パリの国立図書館で

 法整備では再び違憲判決を受けかねないため憲法に明記しようということだが、この間、かつてのクオータ要求運動の担い手たちには、女性は選挙民の半分を占めているのになぜ25%で満足しなければならないのか、との鬱屈した思いがあったという。

 この憲法改正は1999年、紆余曲折を経つつも実現した。憲法3条に《法律は、選挙によって選出される議員職と公職への女性と男性の平等なアクセスを助長する》との条項が加えられ、4条にも《政党及び政治団体は、法律の定める条件において、3条最終項にいう原則の実施に貢献する》との文言が加わった。

 これを受けて翌2000年に成立した通称「パリテ法」で、「平等なアクセス」を実現する枠組みが決まる。拘束名簿式比例代表制を採用する人口3500人以上のコミューン(市町村)議会議員選挙では候補者リストを6人ごとに男女同数とし、選挙区制の国民議会議員選挙では候補者の男女比を同率にすることが、政党に義務づけられた。男女比が開くほど政党助成金を減額する制度も導入した。

 一連の改革は、事実としての男女同数を実現するための手段(アファーマティヴ・アクション)を認め、憲法上の市民概念に初めて性別を持ち込んだという意味で、良くも悪くも画期的なものだと捉えられている。

 とはいえ、「パリテ」は憲法や法律の文言には採用されておらず、共和国に「原理」として決定的に導入されたのかということになると、いまなお様々な見方があるようだ。

「男性市民」と「女性市民」

 では、パリテ論争の中身はどういうものだったのか。

 パリテの代表的理論家で、ジョスパン首相の夫人だった哲学者シルヴィアンヌ・アガサンスキーは、女性であることは「人間であるための本質的な二つの方法のうちの一つ」という。どの民族も、どの国民も、つねにどこでも、二つの性は人類を構成している。すべての社会がこの差異に意味を与えてきた。つまり女は男と存在の仕方が異なる人類の半分であり、したがって主権を担う人民も男性市民と女性市民が相半ばする二元構造になるべきだ――というわけだ。

 こうしたビジョンが、1789年の人権宣言以来の「普遍的市民」の概念とまったく反りが合わないことは、あらためて述べるまでもない。憲法が定める主権と人民の不可分性を死守すべきだとする「普遍主義者」たちは、パリテ推進論者を「差異主義者」と呼び、共和主義的伝統における異端扱いしてきた。

 しかし差異主義者(あくまで他称)たちからすれば、その共和主義的伝統こそが男性支配を可能にしてきたのであり、普遍主義という美名の下でどれだけ現実の不均衡が隠され、手当が怠られてきたのか、ということになる。現状を打ち破るために女性という特性に立つ要求をするにとどまらず、「人(man,male)=男」に女を一致させる従来の普遍主義は欠陥普遍主義だ、と弾劾した。

 この主張でわかるとおり、パリテ推進論者が求めたのは、男性と対等な競争ができるまで優先処遇するという過渡的措置にとどまらない。二つの性の特性がともに、対等に、政治空間に反映される原理として、パリテを構想する。その意味で、アガサンスキーはパリテを「民主主義の新たな理念」と評し、日本にもファンの多い精神分析家ジュリア・クリステヴァは、「文明の転換に匹敵する」とまで称揚した。

「女性以外」も人口に応じた議席を要求したら……

 これに対する普遍主義者たちの批判は、以下のようなものだった。

(1) 有権者は人種、性別、階層、団体などへの所属を超えた個人として投票し、議員も全体の代表として部分利益ではなく一般利益のために行動しなければならない。この枠組みで初めて、多様な市民を政治的に統合できる。議員の構成が、社会学的観点からみた住民の構成を、鏡に映したように反映している必要はない。反映することと代表することは違う。パリテやクオータ制を権利として認めたならば、早晩、女性以外のカテゴリー(人種、民族、世代、性的指向……)もそれぞれの人口に応じた議席を権利として要求することになりかねない。そのときフランスは、多様な個人が平等な市民の資格で参加する坩堝(melting pot)のような社会から、民族的、文化的な同一性で結びついた共同体が並存するサラダボウルのような社会へと変貌していく。パリテは一見進歩的なようだが、主権者たる人民を属性によって分けるという点で人権宣言の理想を裏切る「反革命」であり、反動的な罠だ。

(2) 性別で市民を隔てることは結局、生物学が政治的権利を基礎づけることを公式に認めることを意味する。さらに、人間存在の基礎を生物学的性(sex)という「自然」に還元する、危うい本質論的ビジョンをはらんでいる。男と女を「本質的な違い」のレベルで区別するのは、まさに伝統社会の女性差別を支えてきた論理だ。にもかかわらずパリテ支持者はその論理を、今度は女性の利益のために援用している。

(3) パリテは女性を非自立的存在にする。アファーマティヴ・アクションで利益を受けた個人は、一定の属性への帰属ゆえに優遇されたという烙印を押されることになる。

(4) パリテによって政治の質が一変するわけではない。女性ならば、より平和的で、生活に根ざした、地に足のついた政治活動を行えるという言説には、論理的根拠がない。

「女性の公職進出が不十分」は共有

 ここで強調しておきたいのは、パリテ推進者と反対派の論争は、フランスでは女性の公職進出がきわめて不十分であり、女性議員増加のために可能な限り社会的な障壁を取り除くべきだ、という共通の認識と憂慮の上で行われた点だ。すべての市民の法の前での平等といいながら、その市民の資格が長きにわたって一部の人間の占有物だった事実は、議論の前提だった。

 そればかりか、パリテ反対陣営の中核を担ったのは、哲学者エリザベート・バダンテールや作家ダニエル・サルナーヴ、社会学者イレーヌ・テリーなど、根っからのフェミニストたちだった。(註:フランスで女性が参政権を獲得したのは1944年で、日本とほぼ同時期。国民議会の女性比率は70年代まで1%台で、90年代でも1割以下。女性の政治進出が欧州で最も遅れた国の一つだった)

 こうした批判に対して、パリテ支持陣営は「性差は最初のパラメータであって、宗教や民族や文化を同じくするようなカテゴリーや共同体とは違う。カテゴリーや共同体に所属する前に、人間はまず男性か女性なのだ。性差は、いわば『普遍的な差異』なのだ」と反駁した。

 これには、20年後の現在なら、ただちに反論があるのではないか。LGBTやXジェンダー、インターセックスの人はどちらに分類されるのか、複雑な性やジェンダー自認を持つ人も両性のいずれかを選び、政治的権利行使の前提としなければならないのか、と。

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