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「安倍晋三教室」に閉じこもる神童たち

常識的なマインドを持ち、「頭の良さ」を道義的に発揮できるシステムを作れ

小林哲夫 教育ジャーナリスト

「頭の良さ」を感じる官僚の答弁

参院予算委での証人喚問で答弁する佐川宣寿・前国税庁長官=2018年3月27日参院予算委での証人喚問で答弁する佐川宣寿・前国税庁長官=2018年3月27日

 国会で官僚の答弁を聞くたびに、「この人たちはものすごく頭が良いんだろうな」と思ってしまう。

 なかでも、元・財務省国税庁長官の佐川宣寿氏が、「森友学園」に対する国有地売却への関与について弁明する語り口調は、とても感心させられた。絶対に間違ったことは言わない、論理を破綻させてはならない、という思いが言葉のすみずみからひしひしと伝わってくるからだ。

 おまけに、答弁で不利益を被ることを避けるため危機管理もそれなりに行う。「刑事訴追の恐れがある」と。

「神童」として生きて

 佐川氏は子供のころから「頭が良い」生き方を送ってきた。「神童」である。

 東京大へ進学し、最難関の国家公務員上級職試験(現、国家公務員採用総合職試験)に合格する。成績上位者が集まる財務省(当時、大蔵省)に入り、省内ではエリートコースである主計局畑を進んでいく。神童である。

 官僚に求められる頭の良さは、抜群な理解力、記憶力、判断力、論理構成力、表現力などである。佐川氏はこれらを十分に備えていた。

 しかし、佐川氏の国会における参考人答弁、証人喚問証言はたいそう不評を買ってしまう。共同通信社の世論調査によれば、佐川氏の証言に「納得できない」という回答が72.6%となっている(2018年3月31日、4月1日調査)。

なぜ、理解されないのか

 頭の良さはなぜ、理解されないのか。

 そのことを佐川氏は認識しているのだろうか。

 子供のころ、頭の良さは正義だったはずだ。勉強ができることをだれもがたたえ、非難されるいわれはなかった。

 ただ、こうも言われたはずだ。頭がどんなに良くても、悪いことをしてはいけません。友だちと仲良くして、周りを蔑んではいけません。頭でっかちの世間知らずでもいけません。社会性と人間性である。

 佐川氏は財務省で順調に出世したので、最低限の社会性と人間性を身につけての官僚人生を送ったことだろう。それでも国民の7割以上が「納得できない」、つまり信頼できない、という頭の良さは何なのだろうか。神童には何が欠けていたのだろうか。

安倍教室のテストでいつも百点

 森友学園問題ですっかり有名になった安倍晋三総理のこの答弁。

 「私や妻がですね、認可あるいは国有地払い下げにですね、もちろん事務所も含めて一切関わっていないということは 、もし関わっていたんであればですね、これはもう私は総理大臣を辞めるということであります」

 佐川氏は安倍総理に合わせるため、頭の良さをフル稼働させたのだろう。安倍総理を守るためという政治的な判断を下したというよりも、現政権のブレーンとなり、支えるという官僚的職能を発揮したのである。

 頭が抜群に良い神童は、たとえば、小学校のときに算数や漢字の小テストを10分時間制限で解かせると、まるで条件反射的にパッパと答えてしまう。他の生徒がうんうん唸(うな)りながら考えて、10分ギリギリでようやく解ける問題も、神童ならば2~3分もあれば十分だ。

 官庁での政策立案、国会での質疑応答をこなすためには、短期間での事務処理能力が求められ、神童ぶりが発揮される。

 佐川氏もこれまで、パブロフの犬のごとく幾多の官僚文書、国会答弁を作成してきた。こうした経験を積み、安倍総理を支える官僚として、いわば安倍教室の優等生であり続けた。安倍教室でのテストはいつも百点満点を取ること。それが佐川氏の官僚観であったのだろう。

 安倍総理が大好きで辞めさせてはならない、という思いではなく、たまたま時のめぐり合わせで安倍教室の生徒となり、そこでは財務官僚として最優等生の振る舞いを示さなければならない。それが、神童として生まれ持った頭の良さを官僚として社会に役立たせることだと、信じているのだろう。

 財務省は「森友学園」の決裁文書改ざんで、佐川氏が中心的な役割を果たしたことを認めた。佐川氏にすれば、公文書改ざんしてまで安倍教室のテストで百点満点を取りたかったというのか。

麻生太郎教室で満点を狙ってしくじった福田氏

セクハラ発言問題で辞任することについて記者にこたえる福田淳一財務事務次官=2018年4月18日セクハラ発言問題で辞任することについて記者にこたえる福田淳一財務事務次官=2018年4月18日

 佐川氏の82年大蔵省入省組の同期、元・財務省事務次官の福田淳一氏は東京大在学中に司法試験合格しており、秀才の誉れが高かった。しかし、セクハラ問題では麻生太郎教室で100点満点を取ろうとして失敗している。

 82年組で国会議員の片山さつき氏は高校時代に1番だったことを誇らしげに語る一方で、「ホームレスが糖尿病になる国」「四国は離れ小島」など数々の舌禍事件は起こしてしまう。

 福田氏、片山氏の頭の良さから飛び出す問題言動は、霞ヶ関、永田町という小さなサークルでは笑い事で済まされてしまうかもしれない。だが、社会ではとうてい受け容れがたいものである。

 頭の良さが正義、倫理観に向かわないことに、多くの国民はいら立ちを覚えている。

頭の良さを時代に合わせない?

 82年大蔵省入省組の田中修(元・主計局主計官)は、官僚生活をこう振り返っている。

 「心してきたのは、場当たり的に仕事をしていないか、変化に対応できる『頭づくり』をしているかだ。日本は、日本として進むべき道があるとすれば、近代化の歩みの中での伝統的な社会観、倫理観をもう一度見直して、そこにあった特質を再抽出し、時代に合うもの合わないものを見返して、生かしていくことだ」(「週刊東洋経済」2017年9月27日号)。

 文中の「日本」を「財務省」と書き換えても十分に通用する。

 田中氏のような官僚が歪んだ社会観、倫理観を糺すことができれば、改ざんなど起こらなかったはずだ。しかし、残念ながら、いまの財務省では頭の良さを「時代に合うもの」にしようとする気概がない。

 矢野康治官房長がセクハラで被害女性が名乗り出ることに、「そんなに苦痛なことなのですか」と口走ってしまうほど、時代に合わない感覚を示してくれた。

 このままでは、財務官僚は神童のなれの果ての集団とバカにされてしまう。

「当たった宝くじ」を世のために使え

 子供のころからやたらに頭が良く、神童と呼ばれた経験があるみなさん。

 どうか、子供のころを思い出してほしい。なぜ、家族、親戚、友人、教師から「偉いなあ」「すごいなあ」とほめられたのか。それは、頭の良さが特別なものであり、将来、そこに期待しているからだ。

 情けない姿を見せる、かつての神童に出会うと、映画「グッド・ウィル・ハンティング」(アメリカ、1997年)のワンシーンを思い出す。頭が抜群に良いのに学校へ行かず自由にふるまい、ときに暴力沙汰を起こす神童の人生を描いた話だ。

 20代の神童主人公(マット・デイモン)が、不良仲間(ベン・アフレック)から、いつまでも自分たちとつるんでいることを、こう非難される。

 「おまえは当たった宝くじを持ってるのに、現金にするのをためらってるんだ。バカげたことだよ。俺にはおまえが持っているもののかけらもない。ここらの連中みんなにもだ。もし20年後もおまえがこの辺にいたら、俺たちを侮辱することになる。時間をムダにしたことになる」

 頭の良さが「当たった宝くじ」とは言い得て妙だ。

 大学在学中に、司法試験、国家公務員総合職採用試験のいずれも上位で合格してしまうのは、もちろん、本人の努力もある。しかし、多くの人はそこまでの高いレベルに達しない。「当たった宝くじ」集団の財務官僚のみなさんは、「現金にするのをためら」わないでほしい。ここでの現金とは比喩的な言い方であり、言うまでもなく世の中のために使え、自分をもっと磨け、ということである。

 しかし、実際には、「当たった宝くじ」は、安倍政権という小さな小さな教室だけに通用する百点満点をめざすことに使われた。やはり、官僚の世界では安倍教室の優等生になるしかないのか。

 元・文部科学次官の前川喜平さんは子供のころから天才と呼ばれた。官僚時代、我を通すためにささやかな造反をしたが、役所の古い体質を変えることはできなかった。安倍教室を飛び出さないと、「当たった宝くじ」を有効活用はできなかった。

見るべきは首相官邸ではなく国民

 「当たった宝くじ」によって、現在の高い地位に登りつめた方々がいる。政治家、官僚、社長、学者などだ。

 子供のころの頭の良さを大人になっても発揮させるために、神童の名をほしいままにするためには、少なくとも2つの要素が求められる。

 ひとつは、頭の良い人側の問題として、たとえば改ざんすることに異議申し立てできる社会通念に則した常識的マインドを持ち続けること、もうひとつは、頭の良さを道義的に発揮できるシステム(握りつぶさない組織)を作ること。

 意識と体制。組織論では基本中の基本中だが。頭の良さに対しては十分にいかされているとは思えない。

 官僚は小さな教室の外に飛び出してほしい。

 首相官邸ではなく、国民の側を見てほしい。

 官僚に対する「納得できない」が7割を超える不信感がなぜ起こっているのか。まず、自らの頭の良さでそれを理解してほしい。子供のころを思い出して。