東京高裁と静岡地裁の異なる判断の背景にあるものは何か。鑑定人の本田教授が語る
2018年07月03日
4年にも及ぶ審理の末、いわゆる「袴田事件」の即時抗告審における東京高裁の決定が公表された。結果は、静岡地裁が再審開始を認めたのに対して、再審を認めないという正反対の決定である。その理由として、地裁決定で新証拠とされた「DNA鑑定」の信用性を否定するということがクローズアップされたのであったが、この結果を見て、みなさんはどう思われたであろうか。
同じ証拠をみて判断が異なるというのは、どちらかが正しくどちらかが間違いではないか、と思う人もあろう。地裁より高裁の方が上級審であるから高裁の方が正しいのでは、と思う人もあるかもしれない。地裁の方が時間をかけて入念に事実を調べているため、むしろ真実に近い判断がなされることが多いから、むしろ地裁決定が正しいのでは、と思う人もあろう。また、「DNA鑑定」の成否などのような専門性の高い内容を、そもそも裁判所が判断できるのであろうか、という素朴な疑問を持つ人もあるかもしれない。
結論から先に述べれば、静岡地裁ではDNA鑑定の結果を事実としてしっかり調べ、全体のデータの中から有用な情報を引き出した判断がなされているのに対して、東京高裁の判断はDNA鑑定は疑わしいという前提のもとで、そこに用いられた方法の問題点、さらには鑑定人の人間性についての疑惑をできる限り見つけて、DNA鑑定のすべてを否定した結論になっていることがわかる。
こうしてみると、前者は真実を明らかにしたいという事実に立脚した客観的判断であり、後者は裁判官がどういうわけか抱いてしまった鑑定人への疑惑を証明することを目指した主観的判断である、ということになる。
いったいなぜ、裁判官が「DNA鑑定」に疑惑をもってしまったのか、私にはわからない。個人的に裁判長と過去に関わりがあったわけではないし、裁判の過程で裁判官と関わりがあったわけではない。それどころか今回の高裁での審理では、私は裁判所からいかなる問い合わせも、資料の請求も受けなかったのである。
私が裁判所と関わったのは、審理もほぼ終了した昨年の9月末に行われた証人尋問の一回のみである。とすれば考えられるのはただ一つ、検察官が大変な努力をして、多量の文書の提出によって本田は信用できないと裁判官を説得し続けたことが功を奏したのではないか、ということである。しかし真実は多数決でわかるわけではない。
裁判というものは真実を明らかにするもの、と一般の人は信じているかもしれない。また、かつての私もそうであった。しかし裁判で問題にされるのは書面であり、あるいは尋問によって得られた言語表現であり、客観的事実が扱われるわけではないから、証拠そのものの真偽を明らかにすることはほぼ不可能なのである。
にもかかわらず、東京高裁は裁判官にとっては単なる文献的な知識しかないのに、DNA鑑定の証拠は果たして本物かどうかという、解決困難な議論を強行してしまったのである。
それにしても不思議なことがある。それは、再審請求が棄却されながら、どういうわけか袴田さんの再収監がなされなかったことである。つまり地裁決定の後半部分だけは維持されたのであった。ただ、地裁の場合は再審を認めたうえでの、すなわち無罪であることが前提にされた上での判断であり、高裁が理由にしたところの、健康上や生活上の問題からではない。
本来なら再審請求が棄却された以上は、収監されなければならないはずである。それがなされなかった理由はたった一つ、今回の高裁の裁判は袴田さんが無実であるかどうかとはまったく別の次元での裁判であり、その判断とそもそも袴田さんが無実であるかどうかとは切り離して考えられている、ということである。
実は、この決定に今回の高裁審理の本質が表現されている。一言で言えば、決定の「非論理性」ということである。
どういう非論理性か? それは、今回の裁判は実は新証拠とされた「DNA鑑定」論争が目的であり、袴田さんの事件とは無関係に論争されたということである。そして、「DNA鑑定」は袴田さんの事件の本質とは無関係であると裁判官が認めていたからこその、非論理的な決定であったのであろう。
こう考えると、東京高裁の裁判長は判断できないような論争に約4年も費やして、無駄な裁判を行ってしまったことがわかる。しかし、もっと不思議なことは、約4年もかかって論争した内容は、まったく決定文には盛り込まれていないのである。まるで、高裁での「DNA鑑定」論争はなかったかのように、検察官の意見書からの部分的引用のみが並べられており、それに対して行われた弁護側の反論はまったく無視されているのである。
特に、高裁での鑑定人尋問で私が質問に答えた内容は、まったく採用されていない。非公開の裁判であるから、中身は何もなかったことにできるところに怖さがあると思ったが、すでに本田に対して「信用できない鑑定人」という先入観を持っていたとしたら、当然だったかもしれない。とすれば、証人尋問は、単なる形式に過ぎなかったとも言えるのである。
これに対し、検察側から推薦された専門家の意見の方は、意図的ともみえる曲解や中傷を含んだものであったにもかかわらず、すべて鵜呑(うの)みにされている。まるで裁判官という名の検察官がもう一人いたかのようである。
裁判官は科学や技術、研究やDNA鑑定については素人なのであるから、両方の意見を公平に聞くべきではなかっただろうか。しかし、結果から見れば、DNA鑑定を否定するために、裁判官がとても理解できないような専門性の高い内容であっても、検察側の見解はそのまま採用し、結果として間違った説明をしているとしたら、問題である。
判決に必要な論理的な判断は、客観的な事実に基づいて行わなければならない。だが、、今回の高裁判決は、主観的な疑惑に基づいた論理が多々、展開されてしまっている。つまり、事実を無視した判決になってしまっているのである。
具体的に述べてみよう。
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