メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

袴田事件、私のDNA鑑定は揺るがない(下)

あまりにも次元が低い東京高裁での鑑定をめぐる論議。最高裁は事実に基づいた判断を

本田克也 筑波大学教授

「鑑定データを意図的に削除」という誹謗と中傷

再審請求棄却に抗議し、法務省に向かう袴田秀子さん(左から3人目)、輪島功一さん(同4人目)と日本プロボクシング協会の関係者ら=2018年6月12日拡大再審請求棄却に抗議し、法務省に向かう袴田秀子さん(左から3人目)、輪島功一さん(同4人目)と日本プロボクシング協会の関係者ら=2018年6月12日

 「袴田事件、私のDNA鑑定は揺るがない(上)」に引き続き、本件のDNA鑑定について論じたい。

 裁判官の抱いた疑惑の独り歩きの最も最たるものは、「本田は、本件チャート図の元となるデータや実験ノートの提出の求めに対し、血液型DNAや予備実験に関するデータ等は既に原審時点において、見当たらない又は削除したと回答しており、その他のデータや実験ノートについても、当審における証人尋問の際に、すべて消去したと証言するに至っている」という決定文の文章である。

 「証言した」ではなく、「証言するに至っている」というと、追い詰められた挙句の果てに、都合の悪いデータを意図的に削除する不正を認めたかのように読まれてしまうが、このような事実はない。地裁では追加データを何回も請求されたが、あるものはすべて提出してきた。

 鑑定ではマニュアル通りやっているだけなので、実験ノートは作るまでもないのであることは裁判でも証言してきた。そもそも高裁の裁判官は原審(地裁)から関わっているわけではないのであるから、「原審時点において」と書くことはできないはずである。

30年間の研究・実績に基づく命懸けの鑑定

 私自身としては、30年間の研究や鑑定実績に基づいた命賭けの真実の鑑定である以上、何ら隠す必要などない。鑑定試料の代わりになるような、特殊なデータも持っていないのであるから捏造することも、その必要もないのである。

 請求していないものがこれまでに出ていないからといって、「不正があるから出していないのでは」と邪推するのは、鑑定人への冒涜(ぼうとく)にほかならない。しかし高裁からは一度も追加データを正式に請求されたことはないことは断言しておきたい。

 私は裁判所から依頼されて鑑定をやっただけであり、その結果が裁判官の主観にそぐわなかったからといって、不正鑑定人のレッテルを貼られてはたまったものではない。

 また「当審における証人尋問の際に、すべて消去したと証言」とあるが、これは2017年の9月27日の尋問終了間際、裁判長から最後の最後になって「カラーのデータが鑑定書に添付されていませんが」と尋ねられ、「そうだったですか? 付けたつもりでしたが……。そうでしたら申し訳ありません」と思いもよらぬ質問への答え方に疑問を持ったということなのであろうか。

 本件鑑定を行ったのは尋問の6年前である。高裁審理がはじまってからも3年半も経過したときのことであるから、もしも請求したいなら、それまでに十分に時間はあったし、精査したいなら、それを元に尋問しなければ意味がないはずである。

 すでに尋問が終わったあとで、どうしてカラーのデータが必要なのか、白黒データはカラーデータをコピーしただけであって、中身はまったく同じであるのに、と首を傾げたことであった。

 そのときはこの裁判長の言葉の意味がわからなかったが、决定文をみて、あの質問は罠(わな)だったのか、と気づかされたのである。

 というのは、「当審における証人尋問の際に、すべて消去したと証言するに至っている」に加えて、決定文には尋問では一度も尋ねられたことのない文章、すなわち「縦線(遺伝子の型を示す背景の帯のこと:引用者注)も不鮮明なものが含まれている」と書かれていたのである。これをもって、本田がDNA型を何らかの意図をもって書き換えたことが邪推されている。

 裁判官はどうしても鑑定人の捏造(ねつぞう)への疑惑を、証言として確認したかのような形を取りたかったのだということがわかり、実際にはなかった証言があったと書かれていることに、大変に憤りを覚えたことであった。

 しかし私がこの鑑定を行ったときには、対照(袴田さんのDNA型)検査は行っていないのであるから、わざわざ書き換えた場合には、誤って袴田さんの型と偶然に一致させてしまうこともありうるのである。しかし書き換えるとは言っても、出力データそのものを変えることはできず、せいぜいその解釈を変えることができるだけであることも、正しく理解されていたか疑わしい。

わかりにくいDNA鑑定否定の理由

 高裁の決定文の全文を読んで明らかなのは、一体いかなる理由でDNAの鑑定結果を否定しようとしているのかが、大変にわかりにくい点である。

 ①データそのものが捏造か、あるいはすべてが汚染の産物である、といいたいのか、②データの解釈が違うとしているのか、③鑑定に使われた方法(細胞選択的抽出法)ではDNA型は出ないはずといいたいのか、よくわからないのであるが、どうもすべてを中途半端に並べて理由にしたいようなのである。そして、裁判で確認しようとされなかったことが、「疑惑」としてつらつらと列挙されているのである。そして、部分的な疑惑を拡大解釈して、全体を否定するのである。かすり傷をたくさん見つけて、致命傷があると言っているようなものである。

 今回の高裁審理は「細胞選択的抽出法」が議論になったから、②が論点であると思われていたが、蓋(ふた)をあけてみれば、決定文では「選択的抽出法」のさらに一部でしかない、レクチン試薬と遠心分離の条件への疑問が、わずか数ページ程度述べられているのみでしかない。およそ2年近くも待ったのに、「細胞選択的抽出法」をやってもらえなかったことについては、何らの問題もなかったかのように無視されている。

 さらに意外なのは、DNA鑑定のデータを、裁判官が独自に解釈し直しての疑惑がたくさん並べられていることである。このように難しい試料からの鑑定である以上、データには不完全な部分があるのは当然で、逆にそれゆえにデータは本物であると言えるのであるが、裁判官は根幹にある完全なデータを見るのではなく、不完全な部分があるからすべて認められないとするのである。

 こうして汚染細胞が混じっているかもしれない、という微細な空想的仮定を拡大解釈していく。そのうえで、本田鑑定で出されたDNA型は血液由来とはいえず、汚染細胞の型かもしれないと推論し、したがって鑑定は信用できない、と結論づけているのである。。

裁判に貢献しようとしたのに……

 ①については、本田のDNA鑑定は汚染細胞由来が混じっている可能性がある以上、まったく信用できないと疑問を呈する。しかし、どこでどのような汚染細胞が混じったかという根拠を示していない。

 汚染の有無は混合パターンになるので、データを見ればわかる。今回の鑑定結果は一人分のデータしか出ていないので、汚染を考える必要はないことは、これまで何度も説明してきたが、無視されて続けている。①の可能性を根拠なしに認めてしまうと、これまで行われてきた、そしてこれから行われるすべてのDNA鑑定が否定されることになりかねない。

 ②については、もしも解釈がおかしいというのなら、ならばデータをどう解釈すべきかを示すべきであろう。本田は一貫した解釈をしているのであり、それにクレームをつけるのなら、どう読めるかを示さなければ意味がないし、またどう読んだら袴田さんとの一致が証明されるのかを示すべきであろう。

 ③については、実験すれば正しいかどうかがわかることである。しかし実験はされなかった。

 もしかしたら、鑑定は何ら否定できていないことに気づいた裁判官が、ついには「本田が信用できないことが、鑑定が信用できない理由である」ということにしたかったのかもしれない。それにしても、决定文では裁判に貢献した鑑定人のすべてを氏名で表記しているのに、私のことは「本田」とすべて飛び捨てにされ、まるで犯罪人であるかのように非難されなければならないのであろうか。

高裁決定を聞いたのち、神社に参拝する袴田巌さん=2018年6月11日拡大高裁決定を聞いたのち、神社に参拝する袴田巌さん=2018年6月11日

「細胞選択的抽出法」とDNA鑑定の関係

 新聞報道でこれまで何度も大きく取り上げられてきたし、高裁での決定文にも独自の方法だとされてきたから、「細胞選択的抽出法」はかなり難しい方法なのではないか、と思っておられる人も少なくないと思われる。しかも、「DNA鑑定の特殊な方法である」という、誤解を招きかねない説明がなされてきたという面もある。 ・・・続きを読む
(残り:約2424文字/本文:約5787文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。
Journalismの記事も読めるのは全ジャンルパックだけ!


筆者

本田克也

本田克也(ほんだ・かつや) 筑波大学教授

福岡県生まれ。1991年筑波大学大学院医学研究科博士課程(法医学)修了。信州大学助手、大阪大学助教授を経て、2001年から現職。1992年から東京都監察医を兼任。晴山事件、足利事件、袴田事件、飯塚事件などの再審請求審で、弁護側推薦による裁判所嘱託のDNA鑑定を行った。著書に「DNA鑑定は魔法の切札か」など。