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パリの地下鉄の駅名になったシモーヌ・ヴェイユ

没後1年の「大ブーム」の陰に、大揺れのEUの救世主になってほしいという願望

山口 昌子 在フランス・ジャーナリスト

アウシュビッツから奇跡の生還

 ナチスのアウシュビッツ強制収容所からの生還者として知られるフランスの政治家シモーヌ・ヴェイユ(1927年7月13日~2017年6月30日)が、死後1周年を機にフランスの偉人が合祀(ごうし)されているパンテオン(万神殿)入りした。それだけではない。パリの地下鉄の駅や広場の名前にもなり、記念硬貨も売り出され、TV雑誌が特集を組むなど、一種のブームが起きている。背景には、大揺れの欧州連合(EU)の救世主になってほしいとの願望がうかがえる。

 「残酷と専制の言語を絶する経験を生きぬいた彼女は、対話と融和のみが、犠牲者の冷たい灰の上にアウシュビッツが蘇らないことを知っていた。彼女はヨーロッパのために闘ったのだ」。

 マクロン仏大統領は7月1日、ヴェイユのパンテオン入りの式典でこう指摘した。三色旗と欧州旗がひらめき、世界的歌手バーバラ・ヘンドリックがフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を絶唱し、バッハの無伴奏チェロ組曲第5番の演奏が流れる式典は、まさに、「フランス人全員が決定したパンテオン入り」(マクロン大統領)にふさわしい荘厳なものだった。

25万人以上の署名で決まったパンテオン入り

シモーヌ・ヴェイユのパンテオン入りの式典。棺が運び込まれ後、マクロン大統領がスピーチをした=2018年7月1日(AP)拡大シモーヌ・ヴェイユのパンテオン入りの式典。棺が運び込まれ後、マクロン大統領がスピーチをした=2018年7月1日(AP)

 ヴェイユが昨年6月30日に89歳で死去した時、「パンテオン入り」を願う署名が、決定権のある大統領のもとに2日間で25万以上も届いた。その結果のパンテオン入りだ。女性では、化学、物理の二度のノーベル賞に輝いたマリ―・キュリやレジスタンスの闘士であるジュヌヴィエーヴ・ドゴールらに次いで5人目だ(ちなみに男性は73人)。

 パリ政治学院時代の同級生だった夫(2013年死去)の遺骸も、同時にパンテオンに移送された。周辺の沿道はこの日、30度を超す炎天下にもかかわられず、あらゆる皮膚の色をした老若男女で埋め尽くされた。

女性解放に革命的な足跡

 ヴェイユが「好ましい人物」を聞く世論調査などで死後も常に上位を占めるのは、アウシュビッツの生還者という劇的な生涯のせいだけではない。厚生相時代に「中絶解禁法」(1975年発効)を成立させるなど、女性解放のために革命的足跡を残した点が高く評価されているからだ。

 聖母マリアの母性を尊重するカトリック教徒が多数を占めるフランスで、「中絶」はタブー中のタブーだった。与党議員からも、「赤子を殺すのか」と反対の声が上がるなか、三日三晩の徹夜審議の末に法案が可決したのは、彼女の発した「悲嘆」という言葉の力だった。

 それは、16歳で強制収容所に送られ、子供を含め、約600万人が虐殺されたナチの強制収容所での「悲嘆」を知っている者が、「どうして容易に殺人に加担すると思うのか」という強い反論だった。

 ユダヤ系の一家に生まれた。建築家の父、母、そして兄は収容所から帰らず、彼女と他の収容所に送られた姉だけが戦後、生還した。彼女の腕に刻まれた囚人番号78651は生涯、消されることがなかった。

欧州統合の推進役を担う

 「女性の権利と欧州再建のために闘ったイコン(偉人)を、この広場と地下鉄名にすることは光栄だ」。こう宣言したのはイル・ド・フランス地方議会(パリを含む周辺7県)議長のヴァレリ・ぺクレルだ。6月1日からパリの3号線の地下鉄の駅名「ヨーロッパ」は「ヨーロッパ=シモーヌ・ヴェイユ」に改名され、近くの広場名も同時に改名されたのだ。

 式典にはぺクレルのほか、パリ市長のアンヌ・イダルゴ、パリ交通公団総裁のカトリーヌ・ギルーと、偶然にも女性のトップ3人が並んだ。ぺクレルは右派政党・共和党の所属、イダルゴは社会党だが、ヴェイユに対する敬愛の念では、党派を超えて一致している。

 地下鉄の駅名や広場名で「ヨーロッパ」と併記されたのは偶然ではない。欧州議員を3期(79~93年)務め、その間、初の女性議長に選出された(79~82年)のもさることながら、アウシュビッツの生還者として、「特別な思い」を抱いても不思議ではないドイツと協力して、欧州統合の推進役を担ったからだ。検事としての経験が、EUの法的分野、特に人権問題などで大いに役立った。

  「ユーロはヨーロッパだ。彼女はヨーロッパそのものだ」と言うのは、記念硬貨発行を決めたパリ造幣局のオレリアン・ルソー局長だ。 ・・・続きを読む
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筆者

山口 昌子

山口 昌子(やまぐち しょうこ) 在フランス・ジャーナリスト

産経新聞パリ支局長を1990年から2011年までつとめる。著書に『ドゴールのいるフランス』(河出書房新社)、『フランス人の不思議な頭の中』(KADOKAWA)、『原発大国フランスからの警告』(ワニブックスPLUS新書)、『フランス流テロとの戦い方』(ワニブックスPLUS新書)、『ココ・シャネルの真実』(講談社+α新書)、『パリの福澤諭吉』(中央公論新社)など。ボーン・上田記念国際記者賞、レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受賞。

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