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政治の「噓」に対する道徳的不感症が広がっている

民主主義には公共的道義が必要だ

小林正弥 千葉大学大学院社会科学研究院教授(政治学)

日本人の道徳観は変わったのだろうか?拡大日本人の道徳観は変わったのだろうか?

財務省改竄問題と支持率

 財務省が公文書改竄を公式に認めたにもかかわらず財務大臣は辞任せず、首相も政治責任を取っていない。内閣支持率は約3割より下がらず、最近は若干回復している。しかも、多くの問題点が明らかになっているカジノ法案や働き方改革法案を通過させて国会は終わろうとしている。この事態をどう見るべきだろうか。

 もちろんその背景には政権の権力的操縦や、一部メディアの自粛などの問題がある。これは新権威主義的な政治体制の問題であり、これまでも指摘してきたようにそう簡単にはこの体制は覆らないのである。

 それでも森友学園や加計学園の問題をはじめとする行政の「嘘」については、かなり多くのメディアが事実を一応は報道した。国民の多くが文書改竄問題などを全く知らないわけではない。それにもかかわらず世論に大きな変化が起こらないとすれば、政治体制以外の要因も考える必要がある。人々の意識そのものと、野党の問題である。

嘘つきは泥棒の始まり?

 政治における嘘がどこまで許されるか、というのは政治哲学の問題でもある。マイケル・サンデルのハーバード白熱教室でもクリントン大統領の性的スキャンダル(モニカ・ルインスキー事件)が取り上げられている。

 日本でもロッキード事件、リクルート事件というような疑惑によって当時の自民党政権が崩壊した。ロッキード事件の際に証人喚問に呼ばれた関係者は「記憶にございません」というような言辞を連発したが、嘘が明確になった時には首相などの政治家が辞任せざるを得なくなる疑惑が多かった。「信なくば立たず」という言葉があるように、人々が政治家を信頼することができなくなってしまうからだ。

 今日の近代憲法の基礎となる論理を作ったジョン・ロックが用いた「信託(信頼、トラスト)」という概念を日本国憲法も採用して「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて」(憲法前文)と明記されている。その根幹が崩れてしまうから、大きな嘘が発覚した場合には辞任が必須なのだ。その基礎には、政治家に信頼を求める国民の倫理感覚があった。

 「嘘つきは泥棒の始まり」という諺がある。今の日本政治にこの言葉を連想する人は少なくない。森友問題は、首相夫妻の関与によって国民の財産である国有地を財務省が破格の安さで譲ってしまったという疑惑であり、国民から見ればその財産を盗まれたような印象が生じるからだ。

 首相は、「自分や妻が関わっていたら議員も辞任する」という自らの発言は、収賄という意味では関わっていないという意味だったと国会で釈明した。この説明に説得力がなければ、実は関わっていたのに嘘をついていたということになる。

 問題は、首相が嘘をついているのではないかと考えながらも続投を許容する人々が一定数いることだ。実際、若い人たちの意見を聞いてみると、そういう人は決して少なくない。かつての様々な疑獄事件の時の反応を考えてみると、ここには日本人の道徳感の変化を感じざるを得ない。

 泥棒、すなわち悪人だから、もし先の諺にあるような倫理感覚が広くあれば、内閣支持率は自ずとさらに低下するはずだろう。必ずしもそうならないとすれば、なぜだろうか。

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筆者

小林正弥

小林正弥(こばやし・まさや) 千葉大学大学院社会科学研究院教授(政治学)

1963年生まれ。東京大学法学部卒業。2006年より千葉大学大学院人文社会科学研究科教授。千葉大学公共研究センター共同代表(公共哲学センター長、地球環境福祉研究センター長)。専門は、政治哲学、公共哲学、比較政治。マイケル・サンデル教授と交流が深く、「ハーバード白熱教室」では解説も務める。著書に『対話型講義 原発と正義』(光文社新書)、『日本版白熱教室 サンデルにならって正義を考えよう(文春新書)、『サンデル教授の対話術』(サンデル氏と共著、NHK出版)、『サンデルの政治哲学 〈正義〉とは何か』(平凡社新書)、『友愛革命は可能か――公共哲学から考える』(平凡社新書)、『人生も仕事も変える「対話力」――日本人に闘うディベートはいらない』(講談社+α新書)、『神社と政治』(角川新書)など多数。共訳書に『ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業』(ハヤカワ文庫)など。

 

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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