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覇権争いの序章としての米中貿易戦争

懸念される「トゥキディデスの罠」。21世紀最大の地政学リスクがいよいよ顕著に

高橋 浩祐 国際ジャーナリスト

近づいている?アメリカの時代の終焉

ロンドンに登場したトランプ米大統領を模した巨大バルーン「トランプ・ベビー」=2018年7月13日ロンドンに登場したトランプ米大統領を模した巨大バルーン「トランプ・ベビー」=2018年7月13日

 「アメリカが現在の地位を維持できるかどうかをめぐってひろく議論されるようになった問題にたいする唯一の答は、『できない』である。歴史的にみても、永遠にどの国よりも優位に立つことができた社会はないからである」

 エール大学のポール・ケネディ教授は冷戦終結前に出版した世界的ベストセラーの『大国の興亡』で、こう断言した。あれから30年。アメリカは依然、超大国として踏みとどまり、どんな軍事大国(あるいは世界の帝国)も永遠ではない、というケネディ教授の主張はついえたかのように見えた。

 しかし、アメリカ第一主義を掲げるトランプ政権の登場で、にわかに事情が変わってきた。アメリカの時代の終焉(しゅうえん)が、いよいよ近づいているかもしれない。内政重視のトランプ政権が、自国の利益を確保することに必死になるあまり、戦後の世界の自由主義秩序を毀損してまでして、高費用の覇権戦略から脱却しようとしているからだ。

 そして、その間隙を縫って台頭しているのが中国だ。

「貿易戦争」はチキンレースの様相

 トランプ政権の貿易保護主義は、今年3月に鉄鋼とアルミニウムに高関税を課す輸入制限を発動したことで、本格スタートを切った。7月6日には、米中双方が輸入品に25%の追加関税を上乗せし、その後も関税の報復合戦が宣言されるなど、世界の二大経済大国による大規模な「貿易戦争」に突入したかたちだ。大国のメンツをかけ、互いに一歩も引かない「チキンレース」の様相を呈している。

 米中の貿易戦争の背景には何があるのか。短期、長期の2つの視点からみてみたい。

 短期的な視点としては、トランプ大統領が11月の中間選挙前に、アメリカ国民に分かりやすい「貿易赤字」の数字を減らす努力を見せつけていることがある。アメリカの2017年の対中貿易赤字は過去最高の3752億ドル(約42兆円)に上り、赤字全体の46%を占めた。一日当たりにすると、毎日1100億円以上の赤字をアメリカは中国に抱え込んでいる計算だ。

 トランプ大統領はそもそも、経済のグローバル化に伴い、没落していった低中間層の不満をうまく吸収して大統領の座を勝ち得た。ノーベル経済学賞受賞者の米コロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ教授らがグローバル化の弊害を指摘し続けるなか、トランプ大統領は自由貿易協定で雇用が減少した「製造業の復活」を一大目標に掲げてきた。中間選挙を控え、「ラストベルト」と呼ばれる米中西部のブルーカラーの労働者を中心に支持を得ようとしている。

ツケは結局、アメリカの国民・企業に

 しかし、市場原則に反する高関税措置は、輸入品の価格が上がるため、アメリカの製造業者にはコスト高、消費者には物価高をそれぞれじわじわともたらす。例えば、7月5日付のニューヨークタイムズの記事によれば、カリフォルニア州オークデールの精密工場の製造現場では、さっそくコスト高に対処するため、消灯しながら工場を稼働するという。ツケは結局、アメリカの国民が払うことになる。

 トランプ政権の中国制裁は、中国に生産拠点を置いているアメリカ企業にも打撃を与える。中国自動車工業協会の7月11日の発表によると、中国は昨年、アメリカに5万4000台の自動車を輸出した。このうちの3万台は、ゼネラル・モーターズ(GM)が中国の合弁工場で生産した乗用車だった。アメリカ企業のアップルのiPhone(アイフォーン)も中国で組み立て生産されてアメリカに輸出されている。マテルのバービー人形だって2002年から中国で生産されている。中国は文字通り、「世界の工場」なのだ。

 トランプ政権は、幅広い輸入品への高関税措置をかけることで、中国などの海外にあるアメリカ企業の生産拠点を国内に移転させようとしている。しかし、欧州連合(EU)の報復関税への対応として、米ハーレー・ダビッドソンがオートバイの一部生産をアメリカから国外にシフトする計画を示すなど、トランプ政権が目指す「アメリカ製造業の国内回帰」とは、真逆の動きが起きているのも事実だ。

対中制裁の背後に安全保障上の警戒感

 トランプ政権が具体的に検討する知財分野の対中制裁は総額2500億ドルに上り、前述の2017年の対中貿易赤字の3分の2に相当する大規模なものとなる。ここまで対中制裁を拡大する理由は何か。

 トランプ政権は中国にハイテク覇権を握られることを「安全保障上の脅威」とみて警戒を強めている。中国は2015年に発表した習近平政権看板の産業政策「中国製造2025」で、2025年までに製造強国に仲間入りし、建国100周年の2049年までには世界トップを目指すという戦略を打ち出している。第5世代移動通信システム(5G)や産業用ロボット、人工知能(AI)、新エネルギー自動車といった次世代のハイテク産業の育成を目指すが、トランプ政権の対中制裁はこれに冷や水を浴びせかける格好だ。

 トランプ大統領はそれ以前から、矢継ぎ早に対中強硬姿勢を示してきた。ホワイトハウスが2017年12月に公表した「国家安全保障戦略」(NSS)では、中国やロシアを、国際秩序の現状変更を企てる「修正主義国家」と名指しした。

 また、マティス国防長官は2018年1月、国防総省(ペンタゴン)が「国家防衛戦略」発表する際の演説で、「今後の焦点は、国防戦略を具体化し、特に米国に並ぶ覇権国家を目指す中国に厳しく対処できるか否かにかかっている」とまで言い切った。

 さらに、トランプ政権が2018年2月に発表した中期的な核政策の指針「核戦略見直し」(NPR)でも、中国の核戦力に改めて警戒感が示された。

「世界の警察官」としての覇権力が低下

 長期的な視点としては、戦後、「自由主義社会の盟主」や「世界の警察官」として国際社会の秩序を守ってきたアメリカの覇権力が、いまや低下してきていることがある。

 例えば、アメリカは第2次世界大戦終了後、圧倒的な海軍力で太平洋など世界の7つの海を守り、航行の自由を保障してきた。しかし、第2次世界大戦を終えた1945年には6768隻もあった米海軍の艦船は今や、その5%にも満たない戦後最少レベルの270隻余りにまで減っている。艦船減少の理由としては、①高性能化に伴い、量的削減が図られた②軍事予算削減とマンパワーの制約③戦後の世界各地の海洋での従事活動の減少、などがある。

 このため、アメリカは、マラッカ海峡やソマリア沖での海賊の出現といった事態を引き起こしてきたほか、南シナ海では、野心あふれる中国の実効支配の動きを容認せざるを得なくなってきている。

 確かに「艦船の量的削減は質の向上で埋め合わせることができる」との論拠で、アメリカ艦隊を大幅に縮小してもよいとする意見もある。

 これについて、アメリカ海軍大学校のトシ・ヨシハラ教授は「量も質のうち」と指摘、「沈没した船は救いようがない。だから、戦域で使用できる艦船が少なくなれば、一隻一隻はより貴重になり、艦船を危険にさらすことにはいっそう躊躇(ちゅうちょ)せざるを得なくなる。これではまさに中国の思惑どおりだ。中国問題に介入するコストとリスクの負担感を増大させるのが中国の戦略的計算なのだから」と述べ、例えば中台間で戦争が勃発したような事態には、アメリカが躊躇したあげくに何もしない可能性が高まると述べている。(ピーター・ナバロ氏の著書『米中もし戦わば 戦争の地政学』(文藝春秋)より)

 アメリカ海軍は2050年代までに海軍の保有艦艇を355隻に増やすことを目指しているが、アメリカの覇権を維持するためにはそのスピードも資金も十分ではない。

非自由主義覇権戦略

 艦船の数だけではない。米軍の海外基地も減少している。第二次世界大戦最中の1945年には、アメリカが支配する海外軍事基地は約2000、軍事施設は3万を超えていた。それが現在はアメリカが海外に置いている基地は約600。ピーク時の3分の1以下だ。とくに欧州の基地削減が目立つ。海外の基地の維持が困難になっているのだ。

 アメリカ兵の数も1987年段階は総数が217万人で、それが2016年になるとアメリカ軍総兵力は127.6万人になった。約30年間で90万人も減った。

 覇権国として戦後70年余り、自由と民主主義を維持する国際公共財提供者としての役割を担い、地域の安定と繁栄に資してきたアメリカだが、オバマ前大統領は2013年9月、アメリカ国民に対するシリア問題についての演説で、「米国は世界の警察官ではない」と明言した。それが後のロシアによるクリミア侵攻やイスラム国(IS)の樹立宣言、中国による南シナ海での埋め立て本格化など、「力による現状変更」を許す大きな誘因となったとみられている。

 トランプ政権は現在、非自由主義覇権(illiberal hegemony)戦略を採ってきているように思える。つまり、孤立主義ではなく、アメリカの利益のために、今回の対中制裁のように自由主義の規範を度外視しするような強力な介入まで実施するまでに至っている。

全国人民代表大会の閉幕式で演説する習近平国家主席=2018年3月20日、北京全国人民代表大会の閉幕式で演説する習近平国家主席=2018年3月20日、北京

「中国の夢」の実現を目指す中国

 その一方で、中国の習近平国家主席は2049年の建国100周年に向け、「中華民族の偉大な復興」という「中国の夢」(チャイナドリーム)を提唱している。その実現を目指して、ひた走る構えだ。

 中国は1840年のアヘン戦争以来、列強による中国領土割譲、甲午戦争、列強による銀といった中国資源の略奪、そして、日本による中国侵略といった屈辱を忘れず、いわばレコンキスタ(領土回復運動)をしている。南シナ海の領有権の主張もそれだ。「勿忘国恥(国の受けた恥辱を忘れるな)」「百年国辱(100年にわたる屈辱)」が中国国内でスローガンとして言われてきた。

 2026~2027年ごろには米中の国内総生産(GDP)が逆転する見通しだ。中国は経済力と軍事力の向上に伴い、ますます自信を付けていくだろう。筆者の中国人の記者仲間はかつて、現在の中国を示す言葉は「有銭腰板直」だと言っていた。「お金(銭)を持ち、豊かになってきて、腰を真っ直ぐに伸ばすほど自信を持ってきている」との意味だ。

移り行く覇権国、21世紀ははたして?

 歴史を振り返れば、16世紀のスペイン、17世紀のオランダ、18世紀のフランス、19世紀のイギリス、20世紀のアメリカと時代とともに覇権国は移り変わってきた。21世紀はやはり中国の時代になるのか。パクス・アメリカーナの次は、パクス・シニカとなるのだろうか。

 前述の歴史学者ポール・ケネディの『大国の興亡』によれば、覇権国は経済的に繁栄した後、経済的富を防衛するための軍事に過剰な出費を強いられ、いずれ滅ぶ。米国は今、GDPの3.5%に及ぶ約7000億ドル(約78兆円)の莫大な軍事支出に苦しめられている。

 「トゥキディデスの罠(わな)」という言葉が巷間(こうかん)ささやかれている。

 古代ギリシャの歴史家トゥキディデスは、紀元前5世紀のアテネとスパルタとの間のペロポネソス戦争を分析した。この戦争は古代ギリシャの覇権を握っていたスパルタが、新興国アテネの台頭に脅威を覚えて開始したとされる。トゥキディデスの罠とは、アテネとスパルタのように、台頭する新興国と覇権国との間において、歴史は望まない紛争を繰り返す可能性が高いことを警告する言葉だ。

 米中貿易戦争は2大国による覇権争いの序章と言えるものだ。トゥキディデスの罠に陥らずに、米中衝突を回避できるか。21世紀最大の地政学リスクが顕著になってきた。