フランスのW杯優勝も支持率アップにつながらず。ガードマンの傷害事件で暗雲
2018年07月31日
マクロン大統領にとって就任2年目のこの夏は、文字どおり「熱い夏」となっている。サッカーの世界選手権大会(W杯)で20年ぶりにフランス代表が優勝し、国家元首として晴れやかな気分で勝利を堪能したのもつかの間、自身のガードマンが「傷害、職権乱用」容疑で本格的取り調べを受けるという集中豪雨に見舞われているからだ。
W杯優勝チームをエリゼ宮(大統領府)に迎えて祝宴をはった翌々日の7月18日、有力紙ルモンドが電子版で「エリゼ宮の大統領担当の警護員がデモ隊員に暴行」というショッキングなニュースを流した。同時に流された映像では、機動隊員(CRS)と同じヘルメット姿の男が、デモ参加者の若者の首を背後から締め付けているシーンなどとともに、このヘルメット男がマクロンのガードマン、「アレキサンドル・ベナラ(26)」であると、その身元を明かした。
翌19日発行の紙面でも、5月1日(メーデー)にパリ5区で発生した事件の詳細や、ベナラが2016年の大統領戦中からマクロンの身辺警護に当たっており、大統領にごく近い人物であることなどを報道。野党は一斉に「国家的事件」として、マクロンへの攻撃を開始した。
実は、デモ参加者がスマホで撮影したこの暴力シーンは5月1日以降、「機動隊員の暴力シーン」として、インターネットで流され、7月中旬までに12万回以上ヒットされた。引き倒されて足蹴にされる若者のシーンのほか、撮影されていることに気付いたのか、ヘルメット男が足早に去っていく様子も映っていた。
ルモンドは、この暴力シーンがインターネットで流された直後から、ヘルメット男を特定するための取材を始め、7月17日に「ベナラ」と断定。18日にエリゼ宮の官房長パトリス・ストルロザに確認したうえで報道したという。
官房長は5月2日にベナラを呼んで厳重注意し、5月3日付けの書簡で「明白な不適切な行為」として、同4日から19日までの2週間、業務停止の制裁を行い、大統領にも報告したという。エリゼ宮側としては、これで一件落着と考えたわけだ。
ベナラは、政治担当記者の間では、よく知られた存在だった。マクロンが大統領選に立候補した2016年秋以降、マクロンが行くところ、影のように付き従う姿が見られていたからだ。
それ以前は社会党の警備員として、党の重鎮マルチーヌ・オブリ(リール市長)や経済・再建相時代のアルノー・モントブールの警護に当たった。モントブールの警護は1週間で辞めさせられたが、理由についてモントブールは「自分が乗っているときに、車の運転手として事故を起こしたから」と説明している。
党の警備員として採用した当時の上司らは、「感じの良い青年」と述べるなど、評判は上々だったようだ。ただ、法学士の免状も持っているので、事務職への配置換えを打診しても、本人は現場での警護を希望したという。
パリ検察庁は22日、「障害、職権乱用」容疑でベナラに対し、起訴前提の本格取り調べを開始。エリゼ宮も20日に解雇に踏み切った。この事件でベナラは、証拠隠滅を図ろうとしたのか、現場に設置されている監視カメラのビデオ・テープのコピーを警察に要求。その要求に応じた警察官3人と、ベナラとともに暴力を振るった共和国前進党の警備員に対しても、本格的取り調べが開始された。
事態を重視した野党は、マクロン政権の目玉、行政権強化を目指す憲法改正に関する審議を中断。調査委員会にコロン内相や官房長を呼んで説明を聞くなど、事件が紛糾するなか、肝心の大統領は沈黙を守ったままだった。
24日夜にやっと、訪問先の仏南部オート・ピレネー地方でおこなわれた与党議員や地元の地方議員など約20人が出席した夕食会で、「すべての責任は私にある」と言明。そのうえで、メディアが伝えるベナラの「高給説」や、国家提供の豪華パート住まいなどを「誤報」と断言。「愛人でもない」と笑いも取るなどの余裕も示して、反撃を開始した。
ベナラ自身も26日発行の「ルモンド」の長時間インタビューを受けたり、テレビに出演したりして、デモ隊員の過激な行為を強調し、自分の行為を正当化した。ただ、大統領のガードマンとしての立場を忘れた点などに関しては、「大きな間違いを犯した」とも述べた。
監視カメラのテープのコピーを要求した件については、求めてもいないのに届けられたと説明し、「陰謀」の可能性もにおわせた。火元の同紙とのインタビューに関しては、「沈静化」「一種の手打ち」との見方もある。
W杯でフランスが優勝すれば、時の大統領に追い風が吹く。1998年にフランスが優勝した際には、シラク大統領の支持率が急上昇している。
当時、シラク大統領の支持率は低迷していた。前年の1997年の繰り上げ総選挙で社会党が勝利し、右派政党出身のシラクのもとに、社会党のジョスパン第一書記が首相に就任するという「保革共存政権」が誕生。大統領の権限も狭められるなど、苦しい状況に追い込まれていた。
もともと98年に実施する予定だった総選挙を繰り上げたのは、同年のユーロ参加国決定を前に、ユーロ参加を目指して強行していた緊縮財政実施で国民の不興を買っていたので、ユーロを選挙の争点にしたくないとの思惑が働いたからだ。
実はシラクは当時のエリート階級がそうであったようにラグビーのファンで、サッカーの試合は観戦したことがなかった。サッカーは貧困層、下級階級のスポーツと見られており、代表選手の華であるジダンがアルジェリア出身であるように、移民2世が多かったので、「彼らが正しい仏語を話したので驚いた」と影で告白したフランス人もいたほどだ。
そのため、このときの優勝は、フランスの移民政策、同化政策の成功の象徴ともされた。
ちなみに、今回の代表選手にも移民2世が多い。クロアチアとの決勝戦(4-2)で3点目を上げたポグバも、4点目を上げたエース番号「10」を背負ったムバッペも、移民2世だ。2点目をあげたグリーズマンも名前からも察せられるようにドイツ系。(1点目はクロアチアのオウンゴール)。彼らは「共和国万歳!」(ポグバ)、「フランス人であることを誇る」(グリーズマン)などコメントも優等生的だ。付け加えれば、19歳のムベッパは大学入学資格試験(バカロレア)の合格者。本物の優等生だ。
マクロンの場合は同世代のエリート同様、サッカーファンだ。
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