意思決定のルールや手続きが整備されていない執政府。透明性の確保と説明責任を明確に
2018年07月30日
30年に及ぶ平成の時代は「政治改革」の時代である。世界中が大きく変容しているなか、それはある意味で当然だったとも言える。
実際、政治主導、特に官邸・首相主導の強化がこの四半世紀の間に進められてきたことは間違いない。しかし他方で、いくつかの面で懸念が持たれているのも事実であろう。
強められた首相や官邸の影響力は、どこか暴走という状態に近づいていないのか。官僚の過剰なまでの「忖度(そんたく)」、一向に改善しない国会の変則さ、与党自民党の不自然なまでの「沈黙」。こうした現状はどのように理解すべきなのだろうか。
本稿では、平成の改革の歴史を振り返りつつ、懸念を抱えた現状を克服するために残された改革とは何なのか考えてみたい。
平成の政治改革の発端となってのは、昭和の最末期に起きた1987(昭和62)年のリクルート・スキャンダルであった。この事件では、ほとんどすべての自民党の有力政治家、そして一部の野党の有力議員までが連座。業界の利権と(裏の)政治資金との歯止めのない結びつきが明らかになった。
この日本政治を揺るがす一大スキャンダルをきっかけとして、自民党で跋扈(ばっこ)していた利益誘導政治、派閥政治、族議員の暗躍といった不透明な政治、さらに、そうしたものを許すリーダーシップの欠如の元凶が、選挙制度にあると認知されるようになった。その後、政治改革をめぐって自民党内部、特に経世会では主導権争いと権力闘争が顕在化。それは、自民党自身の分裂と下野をもたらし、細川護熙首相率いる非自民の連立政権のもと、1995年に選挙制度改革は一応の決着をみる。
55年体制下、約40年間続いた中選挙区制のもとで作り上げられた自民党の選挙態勢は極めて強固であり、選挙制度を変更したからといって、即座にすべてが変わったわけではない。しかし、それから四半世紀近くがたった現在、小選挙区制と比例代表制とを組み合わせた新しい選挙制度(小選挙区比例代表並立制)が、自民党の派閥の衰退と執行部の権力の強化、さらには官邸への権力集中という新しい政治のロジックをもたらしたことは否定できない。
平成時代の政治改革のもうひとつの焦点は政官関係だった。別言すれば、政治主導と政治的リーダーシップをどう確保するかであった。
1990年代、官庁のトップと目されてきた旧大蔵省がスキャンダルに揺れ、あるいはバブル崩壊への対応に失敗するなか、世論の官僚に対する視線は厳しさを増し、「官僚バッシング」へとエスカレートした。90年代の末に、当時の橋本龍太郎首相を議長とする行政改革会議が立ち上がり、それまでの常識を覆すほどの大きな改革案を取りまとめたことは、昭和時代の「政官融合体制」が大きく変質したことを物語っていた。
具体的には、1府12省庁体制への大幅な組織再編、首相ならびに内閣を補佐するための内閣官房の強化と内閣府の新設などが実現されたのである。
かくして政府の行政機構の「かたち」の改革は相当な進展があった。しかし、統治の仕組みそのものの改革は、順調に進んだとは言えない。行政改革に加えて橋本内閣が試みた財政・公共事業改革は途中で頓挫した。
1998年7月の参議院選挙で自民党が大敗を喫すると、自由党を率いていた小沢一郎氏が自民党との連立の条件として国会改革を持ち出した。その結果、自自連立のもと政府委員制度の廃止や副大臣と政務官の設置が実現されたが、自民党が自由党から公明党との連立に乗り換え、それを安定させることに成功すると、こうした国会改革の機運も急速にしぼんでいった。
次なる政治改革は、いわゆる「小泉革命」である。2001年に政権を奪取した小泉純一郎首相は日本政治のあり方に大きなインパクトを与えた。党内力学より国民の支持を重視し、橋本行革で設置された経済財政諮問会議を動かし、民間主導の改革を進めた。また選挙制度改革で強化された執行部の権力を駆使し、総選挙では公認権限を最大限に活用した。
いわば、小泉首相自身の個人的なリーダーシップと、1990年代以来の選挙制度改革や橋本行革などの制度的な改革の成果とがハイブリッドされたのが、「小泉革命」と言っていいだろう。
ただ、この改革によって自民党内には様々な亀裂が生じた。小泉首相が退場すると、自民党内には「改革疲れ」とも言うべきムードが生まれていた。他方、その裏側では、民主党という対抗政党が大きな政治改革のプログラムを掲げて、ひたひたと勢力を拡大した。
2009年8月の総選挙で念願の政権交代を実現した民主党は、政治制度・構造に関する包括的な改革の提案を掲げる一方、予算配分についても公共工事中心から脱却して「ひと」への投資を優先するという方針を打ち出した。言い換えれば、55年体制のもとでの政治システムを徹底的に打破することが目標とされたのである。
しかし、民主党政権によるこうした改革提案は、ほとんど頓挫することとなった。背景に、民主党自体の統合力の弱さと脆弱さ、政権運営のノウハウの欠如、官僚との不用意な対立といった問題があったのは確かである。しかし、同時に国会対応の難しさも足かせになった。とりわけ2010年7月参議院選挙の結果、衆議院と参議院の多数派が異なる状態、いわば「ねじれ」の状態に陥って以降、与野党間の駆け引き、くわえて民主党内部の対立が深刻となり、改革の推進どころではなくなった。
そんな民主党を世論は見放し、自民党が政権の座に復帰。安倍晋三氏が首相に返り咲き、第2次安倍政権が成立した。安倍政権は、90年代以降の行政改革がもたらした官邸主導・首相主導の体制、徐々に効果を発揮してきた選挙制度改革の成果を最大限いかし、「自民一強」「安倍一強」と呼ばれる昨今の状況をつくりだしたのである。
では、今の安倍政権は平成の改革の「最終形」なのだろうか。冒頭で述べた官僚の過剰な忖度(そんたく)、国会の変則さ、与党自民党の「沈黙」は、その副産物として受け入れるしかないのか。そうではあるまい。筆者は、ポスト平成政治に向け、大きな課題があると考えている。
一つは自民党の小泉進次郎衆院議員をはじめ多くの論者が指摘する「国会改革」である。しかし、もう一つ、国会改革と同等、あるいはそれ以上に重要な課題も明らかとなってきた。それは、
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