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盛り上がらない自民党総裁選の罪

総裁選の活性化は自民党のみならず、この国の民主主義にとって重要な課題

吉崎達彦  ㈱双日総合研究所、チーフエコノミスト

自民党総裁選への不出馬会見の後、退出する岸田文雄政調会長。宏池会出身の宮沢喜一元首相(左)、鈴木善幸元首相の顔写真が壁に飾られていた=2018年7月24日自民党総裁選への不出馬会見の後、退出する岸田文雄政調会長。宏池会出身の宮沢喜一元首相(左)、鈴木善幸元首相の顔写真が壁に飾られていた=2018年7月24日

とっておきの「見せ場」なのに……

 自民党総裁選は、わが国の永田町政治におけるとっておきの「見せ場」である。政治オタク的な見地から行けば、普通の国政選挙よりもよっぽど面白い。

 自民党が下野していた時期を除けば、わが国においては自民党総裁選こそが「首相を決める闘い」であったし、過去半世紀以上にわたって幾多の名勝負が繰り広げられてきた。政権選択ならぬ「政策選択選挙」となったことだってある。真面目な話、複数の候補者がそれぞれの持論を展開する総裁選挙では、衆議院選挙などよりも多様な政策論争が出来たりもするのである。

 ところが、その自民党総裁選挙が面白くない。総裁任期が2年から3年に延び、しかも前回の2015年は安倍晋三総裁の無投票当選であったのだから、今回は2012年以来6年ぶりの「見せ場」になるはずだ。それなのに盛り上がらない。

 いや、本番は9月なので、これから大いに白熱するかもしれないし、是非そうあってほしいのだが、今のままでは「安倍三選」が見え見えの消化試合である。

気掛かりな緊張感のなさ

 何より自民党内の緊張感のなさが気にかかる。

 7月5日夜の「自民党赤坂亭」の宴会写真が世間の顰蹙(ひんしゅく)を買っているが、筆者に言わせれば西日本豪雨という未曽有の大災害が起きつつあるときに……というのは単なる結果論だと思う。

 むしろ、あの場で安倍晋三首相と、総裁選の有力候補者であるはずの岸田文雄政調会長が、仲良く談笑していた絵柄がよろしくない。しかも当夜の乾杯の挨拶は、これまた派閥の長である竹下亘総務会長であった。これでは総裁選の主要関係者が馴れ合っているようなもの。ガチンコ勝負を目指す石破茂元幹事長は、あの写真を見て秘かにショックを受けていたのではないだろうか。

 しかもその場では、山口県の「獺祭」と広島県の「賀茂鶴」が振舞われ、「獺祭」を飲めば安倍支持、「賀茂鶴」を飲めば岸田支持とのジョークが飛び交ったそうである。それでは自民党議員たるもの、和気あいあいと両方を併せのむに決まっているではないか。

7月5日夜、安倍晋三首相(中央)らが参加した懇親会「赤坂自民亭」の集合写真=西村康稔官房副長官のツイッターから7月5日夜、安倍晋三首相(中央)らが参加した懇親会「赤坂自民亭」の集合写真=西村康稔官房副長官のツイッターから

岸田氏の不出馬で宏池会は?

 おそれていた通り、7月24日になって「岸田政調会長が出馬せず」の報道が流れている。これではますます総裁選が盛り下がってしまう。

 岸田氏が率いる宏池会は政策志向が強い反面、ときに優柔不断で「お公家さん集団」などと揶揄(やゆ)される。しかし1970年の総裁選では、佐藤栄作首相の4選に協力し出馬を取りやめた前尾繁三郎会長が、若手議員の猛反発により会長の座を追い出された故事がある。その後を襲った大平正芳氏は、派閥の第一義は政権を目指すことだとの信念のもと、後にしっかりと首相の座に就いている。

 今後の宏池会はどちらの方向に向かうのだろうか。

 平成も間もなく終わろうかというご時世に、昭和の頃のエピソードを回顧するのは時代錯誤かもしれない。とはいえ、総裁選が時代を超えて、自民党という集団をたびたび活性化してきた事実には、無視できないものがある。

自民党総裁選の三つの特色

 あらためて過去の自民党総裁選挙について整理してみると、そこには以下の3点の特色を見出すことができよう。

「ボス猿を決める争い」としての面白さ

 第一に、「グループのボス猿を決める争い」としての面白さがある。古くは「三角大福(注1)」(1972年)から近くは「麻垣康三(注2)」(2006年)まで、とにかくキャラが立った候補者同士の闘いが行われてきた。なにしろ公職選挙法が適用されない選挙であるから、“カネ”のしばりも何にもない。それこそ昭和の頃は、「何でもあり」であったという。

(注1)三角大福 木武夫、田中栄、平正芳、田赳夫の四氏のこと。いずれも首相に上り詰めた。
(注2)麻垣康三 生太郎、谷禎一、福田夫、安倍晋の四氏のこと。谷垣氏以外は首相になった。 

 総理・総裁の座を目指すのは領袖(りょうしゅう)の個人的な野心のみならず、派閥全体の利益を最大化するためでもあった。それだけに組織の締め付けも厳しいものがあり、総裁選に名乗りを上げること自体がひとつの試練であった。

政策論争の場として

 第二に、政策論争の場としての実績がある。70年代、田中角栄、福田赳夫両氏の「角福戦争」は、単なる権力闘争というだけではなく、「積極財政か、健全財政か」という路線対立の表れでもあった。

 あるいは「凡人・軍人・変人」が衝突した1998年の総裁選では、折からの金融不安問題への対応策が焦点となり、(軍人)梶山静六氏は抜本的な不良債権処理を主張、(凡人)小渕恵三氏は積極財政と金融緩和を提唱した。結局、後者が勝ったことにより、その後の経済政策はハードランディングではなく、ソフトランディング路線となった。どちらが正解だったかはさておいて、自民党総裁選を舞台に、その後の日本の針路を決める決断が下されたのは間違いない。

ニューリーダー発掘の場として

 第三に、自民党総裁選は、ニューリーダー発掘の場としても機能してきた。よく知られているように、小泉純一郎氏は2001年、3度目の挑戦で総裁の座を射止めている。2度の敗戦はいずれも壊滅的なもので、いわば小泉氏は「負けて覚える相撲かな」を実践してきたといえる。

 また、無派閥の議員にとっては、出馬するために必要な党内20人の推薦人を集めることは非常に高いハードルであった。ようやく20人の同志を集めたとしても、締切日の朝になって「ごめん」の電話をかけてくる者が出るやもしれぬ。ゆえに「総裁選に出た」ことは、それだけで党内におけるひとつの勲章となった。自民党総裁選には、次世代を鍛える「しごきの場」としての効用もあったのである。

2012年の自民党総裁選。大阪で街頭演説する総裁候補者の(左から)安倍晋三氏、石破茂氏、町村信孝氏、石原伸晃氏、林芳正氏=2012年9月17日、大阪市中央区 2012年の自民党総裁選。大阪で街頭演説する総裁候補者の(左から)安倍晋三氏、石破茂氏、町村信孝氏、石原伸晃氏、林芳正氏=2012年9月17日、大阪市中央区

おもしろくない戦いの構図

 それが今はどうか。三点ともまことに心もとない状況ではないだろうか。別の言い方をすれば、自民党総裁選というよく出来た「プラットフォーム」に見合うようなコンテンツが出てこない。物足りないのである。

 まず、争いの構図がどう見てもおもしろくない。

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