「世論工作」を源流とするパンダ外交は、中国の大国化を受けてどうなる?
2018年08月07日
海を渡ったパンダの足跡を追って、アメリカ、ロシア、欧州から東南アジア、香港、韓国、台湾、そして日本を歩き、朝日新聞夕刊で連載した(「海を渡ったパンダをたどって」)。連載を書きながら感じたのは、パンダの丸い背中越しに中国を見つめる人々の多様なまなざしだ。日中戦争時のアメリカにおける「世論工作」を源流とするパンダ外交は、戦後、様々に変容してきた。中国が再び大国化するなか、これからどのような変貌をとげるのだろうか――。連載には書ききれなかった米欧日の識者の含蓄ある「言葉」を2回にわけて紹介したい。(編集委員・吉岡桂子)
今や世界21カ国・地域に約70頭の特派されているパンダ。最も多く派遣されているところはどこか?
答えは、四つの動物園で合計12頭、中国外で最多のパンダを抱える米国。中国にとって、今も昔も国際世論工作上の最重要拠点だからだ。
戦後、パンダがアメリカにやってきたのは、1972年のニクソン大統領の電撃訪中の後。中国からアメリカへの外交上の「贈り物」だった。東西冷戦のもと、それまでパンダはソ連や北朝鮮など主に東側に贈られたが、以後、その流れが大きく変わった。
ちなみに、アメリカの動きに刺激され、1972年に中国と国交正常化をはたした日本にも同年、初代のパンダ、ランランとカンカンがやってきた。
興味深いのは、パンダが「贈り物」から現在の「レンタル」方式へと変わるきっかけをつくったのも、アメリカだったという点。中国のパンダ外交にとって、アメリカは切っても切れない関係にあるようだ。
そんなわけで、まずはジョージア州アトランタ動物園で20年ほどパンダを担当したレベッカ・スナイダーさんの話から紹介する。レベッカさんは2年前にパンダがいないオクラホマ州オクラホマシティー動物園に移ると同時に、米国パンダ保護基金のトップにも就いている。
●レベッカ・スナイダーさん 米国パンダ保護基金会長
Rebecca Snyder(レベッカ・スナイダー) オクラホマシティー動物園キュレーター。米国パンダ保護基金会長。1992年から2014年までアトランタ動物園でパンダを担当。
「パンダはお金や人材を集められる動物園でなければ養えない動物です」
中国からの贈り物だったパンダは、いつのまにかレンタルに変わった。昔のほうが中国はお金がなかったはずだが……。
「アメリカの動物園では90年代初めまで、3カ月ほどパンダを短期に借りて展示する動きが大流行していました。お客を呼べるパンダは、動物園を転々としていたのです。当時、中国の動物園でパンダは、生まれるより死ぬほうが多く、絶滅がとても心配されていた。そんな状況で商業主義を優先するとは問題があると、動物愛護団体は短期貸しを許しているアメリカ政府を訴えました。これが短期貸しを禁じるきっかけとなり、中国側と協力して、繁殖研究を目的として長期にお金を払って借り受ける現行の制度が整備されていったのです」
パンダの「レンタル」制度は中国の資金稼ぎとして語られる場合が多いが、出発点はアメリカにおける動物愛護の動きにあった。
「アメリカの場合、パンダにかかわる資金は地元政府など公的機関が出すことはないわけではありませんが、金額はとても限られています。動物園自らが個人や企業に呼びかけて資金を調達しなければなりません。パンダはレンタル料(一般的に、つがいで年間100万㌦=約1億1千万円とされる)だけでなく、飼育員、エサ、パンダ舎の維持など他にも費用がかかります。それができる動物園はアメリカでも限られています」
ニューヨークでは、女性の下院議員が先頭に立って誘致する動きがある。
「私がいたジョージア州アトランタ動物園も、カーター・元大統領の地元でした。政治家の存在が、誘致を有利に動かすこともあります」
中国と親しい関係を構築している二階俊博・自民党幹事長の地元、和歌山県白浜町のアドベンチャーワールドにパンダがいることを思い出した。もっとも子だくさんは偶然だとは思うが……。そんなことを考えていると、レベッカさんが意外な話を教えてくれた。
「ニューヨークでは地元のブロンクス動物園があまり乗り気ではないのです。資金は十分にある動物園なのですが、パンダだけが注目され、予算や人材の配分を重視されることを望んでいないときいています」
なるほど。確かにブロンクス動物園を訪ねて来園者に取材してみると、パンダ誘致を知る人は見当たらなかった。あまり盛り上がっているとは言えない。ここは資金が豊富なだけに、“客寄せパンダ”を必要としないのではないか、という他の動物園関係者の見方もあるほどだ。
「国どうしの政治の関係は常にアップダウンがあります。とりわけ、いまの(トランプ)大統領のもとでは不確実性も高い。アメリカ人はパンダが中国から来たことは知っていますが、外交関係の波にかかわらず、ずっとパンダが好きです。20年間にわたってパンダを担当してきた経験から言えば、アメリカ人は国どうしの関係とパンダへの愛情を結びつけて考えたことはないし、これからもないと思いますよ」
「私はパンダの母子関係に関心を持って研究してきました。研究を始めるまで大きな興味は持っていませんでしたが、パンダを大好きになりました。同時に、赤ちゃんのプレッシャーも感じていました。赤ちゃんは、繁殖研究の『成果』にあたります。中国の専門家とも密接に協力します。動物園の経営の観点からみても赤ちゃんは待望されているからです。世界中の担当者は同じ気持ちでしょう」
上野動物園のシャンシャンを含めて、中国外で生まれた赤ちゃんの所有権は、中国側が握る。出産年齢に達する以前、だいたい2~4年内で中国へ戻す場合が多い。アトランタ動物園でも生まれた双子を中国へ返した。
「メキシコの動物園に、レンタルではない親から生まれて生存しているパンダがいます。これを除いて、パンダの所有権はすべて中国にあります。パンダを独占し、子孫までコントロールする。パンダがほしければ、レンタル料を含めて要求に応じなければなりません。レッサーパンダや北極クマはどこかの国が一国で独占しているわけではないので、外交上に用いるとしてもパンダと同じようなやり方はできません。この点において、中国政府のパンダの扱いはとても賢いと言わざるをえません」
続いて紹介するのは、歴史家の家永真幸・東京女子大学准教授へのインタビューである。日本でパンダ外交といえば、まさに、この方である。
●家永真幸さん 東京女子大学准教授
家永真幸(いえなが・まさき) 東京女子大学准教授。1981年生まれ。著書に『パンダ外交』『国宝の政治史 「中国」の故宮とパンダ』など。
「パンダによって国際政治が大きく動いたことはないと思いますね。ただ、日中戦争中の1941年、当時の中華民国がアメリカにパンダを贈ったとき、かわいそうな東洋の国がある、という程度には情報が伝わったかもしれない。1972年にニクソン大統領が電撃訪中した後、日中も国交正常化し、上野動物園にもパンダがやってきた。このときも、ニュースの枠をパンダが大幅に奪ってしまうことで、他のやっかいな問題を取り上げられる機会を減らした、という効果はあったかもしれません」
家永さんはいきなり、パンダの外交的手腕に疑問符を投げかけた。
「インターネットの時代になり、ますます中国側の政策意図、つまり親中感情を呼び起こす狙いは果たせていないと思います。ニュースの枠の問題が減り、レンタル料金の問題など、中国にとって好ましくない情報もネット経由でどんどん出回るようになりました」
「むしろ、近年では日中両国政府が、パンダの話題を首脳会談で取り上げることを通じて、関係の強化や改善を望む意思を示すシグナルに使っています」
政策当局間のシグナル……。確かに、神戸市立王子動物園ではつがいのパンダのうち、コウコウ(興興)が死んで8年近くが過ぎたが、補充をされないままだ。残されたタンタン(旦旦)は単身生活が続く。尖閣諸島問題をめぐって関係が悪化するなか、首脳外交の「手土産」とされるパンダを政府間で正式に語る場すらなかった時期もあった。復活した首脳会談を重ねるなかで、再誘致も議題としてよみがえった。
「パンダは政治・外交や対中感情など、世相を映すような存在です。自らが何かを動かすというよりも、従属変数なのです」
各国に派遣されているパンダだが、日本での人気は突出しているようだ。パンダ舎に行列ができるなんて、赤ちゃんが産まれた直後にあるかないかだと、ほかの動物園では聞いた。動物園のみならず、近くの商店街でパンダグッズやパンダせんべいが売られている国も見当たらなかった。パンダへの愛情のみならず、商魂についても日本は特別なのだ。
「日本ではパンダと中国がリンクしなくなっています。切り離し先進国、ですね」
パンダ外交は無力化しているのか。そういえば、フランスでも、中国はパンダで覆いきれないほど大きいと言われた。
「多くの人は、パンダがらみで政治や外交の話はしたくない、と思っているでしょう」
今年はじめの沖縄県名護市長選挙で、現職の稲嶺進陣営がパンダ誘致を掲げた。それが主な原因で敗れたわけではないが、対立候補から「財政のむだづかい」として攻撃されたのも事実だ。
「米軍基地という有権者を二分する争点にパンダが加わった。対中感情は幅があり、選挙ではリスクにもなりうる。相手候補の攻撃材料を増やしてしまう恐れがあると、公約にすることには躊躇(ちゅうちょ)する候補者が多いでしょう。しかし、稲嶺陣営はそうは考えなかったわけですね」
そういえば稲嶺氏は選挙後、私の取材にパンダのレンタル料の支払いがお金の無駄遣いと批判されたことを振り返り、財政上のデマは飛ばされたが、反中感情から来る批判はなかったと話していた。
「琉球の時代から脈々と続く中国との地縁関係の歴史の一端として、対中イメージが本土と沖縄では違うということを反映しているとも言えるでしょう」
パンダとの関係の複雑さを感じたのは台湾だった。
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