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暑いのではない。熱いのだ!

東京五輪まであと2年。日本社会は「猛暑」に踊らされ続ける

市川速水 朝日新聞編集委員

合図に合わせて一斉に打ち水をする人たち=2018年8月5日、東京・銀座

ジャカルタより「暑い」!

 赤道直下に近いインドネシア・ジャカルタで7月末の約1週間を過ごした。

 スカルノ・ハッタ国際空港に降り立った瞬間、「あれ? 全然暑くないぞ」。街を歩いても、汗はうっすらにじむが噴き出したりはしない。東京の猛暑を経験して体に耐性ができたせいだろうか、と考えながら快適に過ごした。

 羽田に戻ってきたとたん、汗でシャツがにじみ、めまいがしてきた。頭のてっぺんから刺されるような日光と、足元からも横から襲ってくるモワっとした暖気は何だろう。

 改めてこの間の気温を調べてみた。ジャカルタは連日、最低気温が21度ぐらい。最高31~32度だった。かつての東京の夏並みだ。いずれも最近の東京より最低気温で4度、最高で3度以上低かった。

 今の東京は一日中、未明でも気温があまり下がらないこと、午後は場所によっては40度以上になるなど、飛び抜けて暑い地点があるのが特徴だ。

 さらに、日本の都会は道路のアスファルトに熱がこもっていて、足の裏にまで不快な暑苦しさが伝わってくる。最近、台湾やソウルに旅行してきた知人も「東京の暑さより、よっぽどましだった。東京の暑さはなんなんだ」と言っていた。

台風・洪水・地震・「猛暑」

 天気というのは、政治や経済と違って誰でも云々することができる共通の話題だ。個人の感想も違う。それを前提にしたうえで、ここ数年で3つの「常識」が崩れ去ったと自分なりに整理している。

 まず、北緯35度の東京に比べて、ジャカルタや台湾が南方にあるから暑いに決まっているとか、北京やソウルは大陸性気候だから海洋性に比べて暑いだろうとか、昔からの地学的な常識が通じなくなってしまった。日本の気候の最大の特徴・美点ともいえた「四季折々」は、気づかないうちに酷夏と厳冬の「二季」になってしまっている。うちわで仰いでも熱風が押し寄せるだけ。風物詩である風鈴の「チリンチリン」さえ、風情どころか暑苦しさが増すように感じる。

 次に、猛暑は今年だけではない。もうざっと10年も「異常気象」が続いている。毎年のように「異常」と言っている。異常が続けば、もはやそれが「普通」とみなさなければならない。「異常気象」という言葉を使い続けることこそおかしい。

 最後に、これは「天気」「気象」「お天道様」の問題なのだという常識が崩れたことだ。7月23日、気象庁が臨時記者会見を開き、予報官が「命の危険がある暑さ。一つの災害と認識している」と初めて「災害」とみなしたことが象徴している。

 今年の「炎暑」の恐ろしさを物語るだけでなく、地震や水害といった自然災害に対しては心の備えがあったとしても、暑さについてこれまで自然災害という認識はなかった。暑さというのは、時候の挨拶の道具とか運、不運ではなく、もはや「台風が来る」「洪水になりそう」、あるいは大地震と同義に近い時代になったということだ。

 その3つの常識が崩れたことが明白になったのが、私にとっては今年だった。焼けるような暑さや、体を持って行かれるような突風を今年初めて経験したからだろう。ただ、私も社会も、もっと早く常識の転覆に気づくべきだった。

五輪誘致で忘れられた「暑さ」

2020年五輪の開催都市が東京に決まり喜ぶ安倍晋三首相(右から3人目)や岸田文雄外相(左から3人目)ら=2013年9月7日、ブエノスアイレス
 その思いを前提として過去を振り返った時、見えたものがある。それは、2020年の東京オリンピック・パラリンピックの誘致問題だ。

 2013年秋、日本は「おもてなし」とか「東日本大震災復興の象徴」などと言い立てながら誘致に成功した。当時国内で論議されたのは、運営のための資金が足りるのかとか、誘致が経済効果の起爆剤になるのかどうか、とか、財政規律や低成長時代の起爆剤になるかどうかだった。

 さらに、大震災によってもたらされた福島原発事故が世界にどう見られているかが気になっていた。安倍首相は「原発は制御されている」などとプレゼンテーションし、結局、誘致に成功した。東京をはじめ、全国が喜びにわき上がった。

 しかし当時、すでに猛暑の夏は当たり前だった。IOCは、7~8月に開催するという方針を変えるつもりはなかった。1960年の最初の東京五輪が10月に開幕した時とは違い、アメリカのメディアが巨額の放映権を担うため、最初から日程は動かせなかった。

 実際、五輪は7月24日開幕、8月9日閉幕と決まった。

 では、誘致するかどうかという国内議論の際、なぜ「東京の夏は暑すぎるので誘致してはいけない」という理屈が表に出なかったのか。

 それは「天気の問題は、その時々。ひょっとして絶好の天気になるのではないか」と大方が考えたのではないか。さらに、64年の東京五輪を懐かしむ人がいて、世界の東京をアピールしたい人がいて、東北の復興と重ね合わせたい人がいて、日本そのものを誇りたい人がいて、五輪にスポーツ振興のピークを合わせたい人がいて……。さまざまな思惑で「天気」の問題は脇に置かれたのではないか。

「あついぞ!熊谷」は撤回された

 見過ごされた兆候は数々あるが、一例が、最高気温の高さで知られる埼玉県熊谷市だろう。

 熱中症対策が叫ばれるようになった2007年ごろから、地元百貨店の入り口に高さ4メートルの大温度計が設置された。「あついぞ!熊谷」というキャンペーンを始め、全国の注目を集めた。Tシャツやゆるキャラが人気を集めた。

熊谷市に登場した巨大温度計付き看板=2007年8月15日

 しかし、実際の暑さは自慢やPRのレベルを越えていった。暑さを前向きにとらえられない人が増え、市の人口や転入者が減り続けたため、市は方針転換を迫られる。

 「あついぞ!」が市のPR文句としては使命を終えたと判断したのだろう。2017年を最後に大温度計はリニューアルされ、今年からは「あついぞ!」が撤回され、「熊谷夏の陣」という新たなキャッチフレーズになった。報道によると、市の対策が「暑さ自慢」より「暑さ対策日本一」の事業に重点を置くようになったからだという。大温度計だけは市民の要望で置かれ続けている。

 つまり、五輪誘致よりも5年以上前の2000年代前半から「暑さ」は日本の夏の恐ろしいキーワードになっていたのだ。

「暑い五輪」への嫌悪感

 朝日新聞社が今年7月末、興味深い世論調査をしている。

 東京都内の有権者を対象に、2020年東京オリンピック・パラリンピックに関する意識を聞いた。「最も心配していることは何か」という質問をしたところ、「暑さの影響」が31%と最上位で、「治安の悪化」(26%)、「開催費用の負担」(21%)、「交通の混雑」(21%)を上回った。

ロサンゼルス五輪で初めて取り入れられた女子マラソンで、フラフラになり歩きながらもゴールにたどり着いたアンデルセン選手(スイス)= 1984年8月5日

 ボランティアへの意欲を聞くと、「ぜひしたい」「できればしたい」は合わせて35%。「まったくしたくない」「あまりしたくない」が計61%で、消極派が6割を占めた。ボランティアは、1995年の阪神・淡路大地震以来、市民の熱は高まる一方なのに、この嫌悪感は、五輪期間中の暑さと無縁ではないだろう。

 世界的イベントである五輪の誘致に、日本はなぜ浮かれていたのだろうか。

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