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沖縄を苦しめる日米地位協定の欠陥(英語版も)

なぜ反対運動は移設前や最中に展開されるのか? 背景には日米地位協定の欠陥がある

山本章子 琉球大学准教授

 *この記事は筆者に日本語と英語の2カ国語で執筆していただきました。英語版でもご覧ください。

拡大米軍ヘリが炎上した現場に近い米軍北部訓練場のゲート前で、事故に抗議する人たち=2017年10月15日、沖縄県東村高江

ヘリパッド6カ所に囲まれた「標的の村」

 『標的の村』というドキュメンタリーがある。2012年に琉球朝日放送が放送し、翌年には映画として全国、そしてアメリカでも上映された。ギャラクシー賞テレビ部門をはじめ、優れたドキュメンタリーに贈られる賞を数多く受賞した同作品は、沖縄県東村高江における米海兵隊ヘリパッドの建設と、同時並行で進められた海兵隊のMV-22(オスプレイ)配備を題材としている。

 沖縄の基地問題といえば、普天間飛行場(宜野湾市)の移設問題が注目されてきたが、沖縄にある海兵隊の基地は普天間飛行場だけではない。ほかにもキャンプ・キンザー(浦添市)、キャンプ瑞慶覧(沖縄市・宜野湾市・北谷町・北中城村)、キャンプ桑江(北谷町)、キャンプ・コートニー(うるま市)、キャンプ・ハンセン(金武町)、伊江島飛行場(伊江村)、北部訓練場(国頭村・東村)が存在する。ちなみに、県外の在日海兵隊基地としては、岩国飛行場(山口県岩国市)とキャンプ富士(静岡県御殿場市)がある。

 

拡大

  上の地図では、在沖米軍基地の大まかな位置を色つきの囲みで示し、海兵隊基地のみ名称と駐留部隊も示してある。こうすると一目瞭然だが、実に在沖米軍基地の約67%を海兵隊基地が占めているのだ。

 日米両政府が1996年、県内移設を前提とした普天間飛行場の返還に合意したとき、北部訓練場も一部返還することが決まった。ただし、返還地域に含まれていたヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)を、残る北部訓練場の中に新しく建設することが返還条件とされる。その結果、高江の集落から2キロメートル以内に、集落を取り囲む形で6つのヘリパッドが移設されることになった。

 『標的の村』は主に、自宅そばへのヘリパッド移設に抗議する高江住民たちが、子供も含めて国から「通行妨害」で訴えられ、3年半もの間裁判が行われた事実を追っている。心身疲弊していく住民たちが、開発段階で事故が頻発した、危険性が高いといわれるオスプレイのヘリパッド配備を知り、反対の声をふりしぼる姿が描かれる。 

引き裂かれた地域


筆者

山本章子

山本章子(やまもと・あきこ) 琉球大学准教授

1979年北海道生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。2020年4月から現職。著書に『米国と日米安保条約改定ー沖縄・基地・同盟』(吉田書店、2017年)、『米国アウトサイダー大統領ー世界を揺さぶる「異端」の政治家たち』(朝日選書、2017年)、『日米地位協定ー在日米軍と「同盟」の70年』(中公新書、2019年)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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