鈴木洋仁(すずき・ひろひと) 東洋大学研究助手
1980年東京都生まれ。2004年京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送入社。その後、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学特任助教を経て現職。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。専門は社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)がある。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
「平和」を強調する「戦後」の重み。最後まで明確な像を結ばない「平成」
来年4月30日に平成は終わる。このため、いま「平成最後の夏」がネット上で、密かなバズワードになっている。あくまでも密かなものに過ぎず、ネタとして消費されるというよりも、特別な意味などない枕詞のようだ。
たとえば、タレントの伊集院光は、ラジオ番組で、「平成最後の夏とか言ってはしゃいでる奴らは、どうせ来年は新元号最初の夏とか言ってはしゃぐんだろ」と揶揄していたという。
筆者は5ヶ月ほど前に「改元へのカウントダウンの意味」を論じたが(WEBRONZA「予定された改元の前に考えるべきこと」
)、今回はそのプロセスの中の「平成最後の夏」についての素描を試みる。
理由は二つある。
第一に、期せずしてこの夏に「平成」を象徴する出来事が集中しているからである。第二に、にもかかわらず、「平成」は時代の相貌(そうぼう)を明確には結ぶことができないと考えるからである。
以下、具体的に考えてみたい。
7月6日に、オウム真理教の元教祖・麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚をはじめ7人の死刑が執行された。それから約2週間後、26日には「残る」6人の死刑も執行された。
7人、あるいは6人という多数の死刑囚を、同じ日に執行するだけのも異例だが、それ以上に目をひいたのは、テレビ、新聞をはじめマスコミ各社が、とりわけ6日にオウム死刑囚執行のニュースを大々的に報じたことだ。実は6日は西日本豪雨災害の発生段階にあたっていた。そのため、ただでさえ東京以外での災害報道の薄さが指摘される中で、メディアへの批判も生じたのである。
ここでは、死刑執行の是非やタイミングについて論じない。それよりも注目したいのは、批評家の東浩紀も指摘するように、「今回の執行があちこちで「平成の終わり」と重ねられている」ことだ。
日経新聞は、政府関係者の話として、「オウム事件は『平成』で起きた最も凶悪な事件の一つ。平成のうちに決着させるべきで、来春の代替わりまで持ち越す選択肢はなかった」とのコメントを掲載している(「オウム事件『平成』終幕意識 松本死刑囚ら7人刑執行」)。
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