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「平成」最後の夏で戦後は終わるのか

「平和」を強調する「戦後」の重み。最後まで明確な像を結ばない「平成」

鈴木洋仁 東洋大学研究助手

 もちろん、死刑執行を命じた上川陽子法相が、記者会見で公式にこうした認識を示したわけではないし、安倍晋三首相も菅義偉官房長官も、今回の死刑執行と改元を結びつけてはいない。

 けれども、東が述べるように、地下鉄サリン事件をはじめとするオウム真理教による一連の事件は平成7年に明らかになっている。時を同じくするように、「平成不況」と呼ばれる長い景気低迷に加え、政治的にも混乱が続く。そんな混迷の時代の始まりとして、オウムは記憶されているから、「少なからぬ人々が、松本の死に、その呪われた時代の終わりを重ねたがっている」のである。

 忌まわしい記憶を清算するように死刑を執行し、「平成のうちに決着させる」という発想は、なるほど合理的にも見えるし、また同時に、東が述べるように「非合理な願い」にも思える。言葉を換えれば、立場によって正反対に捉えられるのだ。そして、そのどちらにも「理」があり、あるいは、そのどちらも完全に正しいとは言い切れない。なぜなら、どちらの立場も、「平成の終わり」に意味を見出している点で共通しているからだ。

 こうした「平成の終わり」へのこだわりは、松本死刑囚の死刑執行と同時に進行していた「平成に入って最悪の被害」とも共通している。

「平成で最悪」が使われる理由

 7月5日から6日にかけて降り続いた豪雨は、岡山県倉敷市真備町や広島市、さらには愛媛県西予市など広範囲にわたって被害をもたらし、死者は220名、行方不明者は11名にのぼった。

 西日本豪雨と名付けられたこの災害をめぐっては、1983年に島根県を中心に被災した「昭和58年7月豪雨」以来、死者100人以上を出す「平成に入って最悪の被害となった」という表現が、発生直後から頻出する(「死者126人、不明79人 平成最悪の被害、西日本豪雨」朝日新聞DIGITAL)。

 災害の大きさを表現するインデックスとして、「戦後最大」でもなければ、「史上最大」でもなく、「平成」が使われる。その理由は、どこにあるのだろうか。

 もとより、被害の大小は、被災者1人ひとりにとっては問題ではない。他ならぬ自分や家族が、そして住む地域が災害に見舞われたことは、比較などできない。過去の類似災害と比べるのは、行政や研究者、メディアの仕事でしかない。当事者にとっては、「平成最悪」という枕詞(まくらことば)は、端的に言って無意味だ。

 「平成に入って最悪の被害」という表現が使われる理由は、この「平成」の30年間に大きな災害が続いたこと、そして、その終わりを象徴するかのように、この災害が起きたことに由来する。

西日本豪雨で冠水した岡山県倉敷市真備町=2018年7月7日  拡大西日本豪雨で冠水した岡山県倉敷市真備町=2018年7月7日 

大災害が続いた「平成」の30年間

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筆者

鈴木洋仁

鈴木洋仁(すずき・ひろひと) 東洋大学研究助手

1980年東京都生まれ。2004年京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送入社。その後、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学特任助教を経て現職。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。専門は社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)がある。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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