党よりも個人。「政策政党」の実情
「杉田LGBT寄稿問題」への対応に見る自民党の本質(下)
佐藤信 東京都立大学法学部准教授(現代日本政治担当)
この種のことはいくらでも例を挙げることはできるだろうが、それはここでわたしの役目ではない。ただ、ここで指摘する必要があるのは、市井の人びとは政府・与党の基本方針が知りたいとき、自民党ではなく安倍首相だけを見ていればよいという状況が生じている、ということだ。政界と市井とのコミュニケーションの機能は、政党ではなく、首相という個人、ないしそれを取り巻くグループによって担われている。
そう考えることで、小泉進次郎という「ニュースター」の位置付けも、よりよく理解できる。小泉議員の勢いの源泉が、そのルックスや血統に支えられた圧倒的人気と、その能力にあることは言うまでもないが、しかし、その勢いが持続している理由は別にある。
共同通信の田崎史郎氏がまとめた『小泉進次郎と福田達夫』(文春新書)という本がある。小泉純一郎と福田康夫という二人の総理の息子の対談という謳(うた)い文句だが、二人がこの本で強調したかったのは、彼ら自民党若手議員が中心となって進めた全農改革の画期性だ。そこで、彼らは次のような会話をしている。
「福田 彼ら[官僚]からしても、[小泉]部会長が発信すると、農政が初めて新聞の一面に載るわけですよ。だからまったく別次元のやり甲斐が生まれる。[…]
小泉 それは僕じゃなくて、僕のことを支えてくれた若手のチームが、達夫さんはじめ、他の皆さんとほんとに密にやっていたから、そのお陰だと思う。ほんとに自分たち政治家を背負ってくれていると思う。」
政党に対して優位に立つ個人やグループ

国会改革案について記者会見する自民党の小泉進次郎氏(中央)ら=2018年6月27日、東京・永田町の衆院第1議員会館
小泉議員の圧倒的な人気と能力は大前提だが、そこに若手自民党議員と若手官僚が集って、政策をアウトプットしていく集団が形成されている様子がよくわかる。多くの人を集めながら進む小泉グループ――と便宜的に呼ぶが――の勢いは、国会改革にもつながっていく。
すでに民主党政権下の構想も包含して国会改革を提起した小泉議員らは、さらに「「平成のうちに」衆議院改革実現会議」と銘打ってさっそく超党派議連まで発足させている。このグループには、自民党では括(くく)りきれない勢いと政策能力がある。そして、領域をまたいで政策をリンケージし、国民に提示する情報伝達機能を十分に持っている。
こうした個人やグループの優位は、大衆社会とマスメディア状況における象徴(シンボル)化として把握することができる。政党もなお象徴として機能しているが、「アベ」や「コイズミ」や「エダノ」といった象徴は、もはや政党を乗り越え始めている。こうして生じる個人やグループの政党に対する優位は、良い悪いとか、民主的・非民主的とかいう問題ではなく、現実に起こっている政治変容なのである。
政党の実態は選挙互助組織