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石破氏はあの時、禅譲の誘惑に負けた

幹事長職を解かれ、入閣した2014年夏。彼は戦うべきだったのだ

三輪さち子 朝日新聞記者

安倍首相のポスターの前で講演する自民党の石破茂元幹事長=2018年6月17日、大阪府堺市

石破氏は今、悔やんでいる

 彼が首相になっても、政権は長く続かないだろう――。

 2013年9月から約1年間、私は自民党幹事長だった石破茂氏の番記者だった。来る日も来る日も彼を追いかけ、ずっと感じていたことだ。

 何事も他人に任せず自分で抱え込む性格は、決してリーダー向きとは言えない。幹事長時代、しょっちゅう「どうして俺はこんなに忙しいんだ」とぼやきながら、仕事をこなす日々にまんざらでもないという様子だった。

 そのうえ、権力闘争に不可欠な何かに欠けていた。話の筋は通っているが、それを実現させるための政治的駆け引きは苦手だった。「正しいことを言っていれば、いつか人は分かってくれる」と心底思っているように見えた。

 その石破氏が今、9月の自民党総裁選で安倍晋三首相に挑もうとしている。

 はっきりいって、情勢はかなり厳しい。自民党が野党だった2012年9月の総裁選では安倍首相をしのぐ地方票を集めたのに、それから6年たった今、どうしてここまで低迷してしまったのか。誰よりも石破氏自身が今の状況を受け入れられていないのではないかと私は思う。

 彼は今、悔やんでいるに違いない。あのとき、安倍首相を信じたことを。

石破氏は「安全保障相」に怒った

 話は2014年8月にさかのぼる。私は石破氏の番記者になって1年を迎えようとしていた。

 安倍首相は2012年9月の総裁選で決選投票を争った石破氏を自民党幹事長として処遇したが、同年12月の政権復帰後は、閣内に起用した麻生太郎副総理、菅義偉官房長官とのトライアングルで政権運営を掌握し、石破氏との溝は日増しに広がっていた。政権発足から1年半をすぎたところで、ついに幹事長交代に踏み切ったのだ。

 安倍首相が石破氏に打診した代わりのポストは、新設の安全保障担当相だった。重要ポストのような触れ込みだったが、集団的自衛権の行使を容認する「解釈改憲」を具体化するための安全保障関連法案の担当大臣として、「国会で嫌われ役になってくれ」というのに等しかった。

 石破氏は明らかに怒っていた。

それでも石破氏は入閣した

 石破氏は幹事長として安倍政権を支えてきたと自負していただけに、この人事はショックだった。安全保障は自らが最もこだわりを持ってきた政策分野であり、安倍首相が進める解釈改憲に納得していなかった。安全保障担当相を辞退したところまでは自然の流れだったと思う。

 問題はその後だ。安倍首相は、次に新設の地方創生相を打診してきた。ここで石破氏が入閣して安倍政権を支える立場になれば、翌2015年9月の総裁選に出馬するのは相当困難になる。

 入閣か。辞退か。

 石破氏周辺は、「入閣すべきだ」という議員と、「辞退すべきだ」という議員に割れた。入閣を勧めたのは安倍首相ともパイプがある議員たちで、波風を立てるなと石破氏に言って聞かせた。一方で、辞退を勧めたのは翌年の総裁選に向けて主戦論を唱える議員たちだった。

 石破氏の決断は、入閣だった。

「菅官房長官に感謝している」

記者会見で質問に答える菅官房長官=2018年8月9日、首相官邸
 石破氏は総裁選に出馬しない理由について「自民党が割れることを、自民党の支持者は求めていない」としきりに話していた。自民党が分裂して政権を失うことだけはいけないという思いは確かにあったのだろう。

 本当の理由は違う。私はそう確信している。

 石破氏が安倍首相と会談し、正式に入閣を打診される前日の夜。彼は私にこう言った。

「俺が一生懸命仕事をしていれば、多くの人はわかってくれるんじゃないか」

 仕事をする、とは、閣僚になるという意味だ。この時点で、入閣するつもりでいることはわかった。ただ、その後の言葉に耳を疑った。

「俺は菅さんと萩生田には感謝している。うぬぼれるつもりはないが、次はおまえだ、ということらしい」

 安倍首相の側近である菅官房長官や萩生田光一氏(当時は総裁特別補佐)から「次は石破だ」と言われたというのだ。石破氏は詳しい言いぶりまでは明かさなかったが、何らかのかたちで「禅譲」のメッセージを受け取ったことは間違いない。

禅譲の誘惑に負けた

 番記者だった私は思わず、石破氏に「だまされているのではないですか」と尋ねた。彼は

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