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石破氏はあの時、禅譲の誘惑に負けた

幹事長職を解かれ、入閣した2014年夏。彼は戦うべきだったのだ

三輪さち子 朝日新聞記者

 話は2014年8月にさかのぼる。私は石破氏の番記者になって1年を迎えようとしていた。

 安倍首相は2012年9月の総裁選で決選投票を争った石破氏を自民党幹事長として処遇したが、同年12月の政権復帰後は、閣内に起用した麻生太郎副総理、菅義偉官房長官とのトライアングルで政権運営を掌握し、石破氏との溝は日増しに広がっていた。政権発足から1年半をすぎたところで、ついに幹事長交代に踏み切ったのだ。

 安倍首相が石破氏に打診した代わりのポストは、新設の安全保障担当相だった。重要ポストのような触れ込みだったが、集団的自衛権の行使を容認する「解釈改憲」を具体化するための安全保障関連法案の担当大臣として、「国会で嫌われ役になってくれ」というのに等しかった。

 石破氏は明らかに怒っていた。

それでも石破氏は入閣した

 石破氏は幹事長として安倍政権を支えてきたと自負していただけに、この人事はショックだった。安全保障は自らが最もこだわりを持ってきた政策分野であり、安倍首相が進める解釈改憲に納得していなかった。安全保障担当相を辞退したところまでは自然の流れだったと思う。

 問題はその後だ。安倍首相は、次に新設の地方創生相を打診してきた。ここで石破氏が入閣して安倍政権を支える立場になれば、翌2015年9月の総裁選に出馬するのは相当困難になる。

 入閣か。辞退か。

 石破氏周辺は、「入閣すべきだ」という議員と、「辞退すべきだ」という議員に割れた。入閣を勧めたのは安倍首相ともパイプがある議員たちで、波風を立てるなと石破氏に言って聞かせた。一方で、辞退を勧めたのは翌年の総裁選に向けて主戦論を唱える議員たちだった。

 石破氏の決断は、入閣だった。

「菅官房長官に感謝している」

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筆者

三輪さち子

三輪さち子(みわ・さちこ) 朝日新聞記者

2006年、朝日新聞社に入る。横浜、徳島総局を経て2011年から政治部。民主党政権では事業仕分け、自民党政権では自民党幹事長番、防衛省などを担当。2017年から世論調査部。オピニオン編集部を兼務。関心のあるテーマは虐待・貧困などの「子どもをめぐる問題と政治」。趣味はカバン作り。

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