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喜界島に生まれて(3)ウガンダって、どこだ?

突然のスカイプ面接。先方の英語はよくわからない。届け、この熱意!

住岡尚紀 明治学院大学生

ボランティアを募集する「国連ボランティア計画」のホームページより

(前回までのあらすじ)鹿児島の南380㎞、サトウキビ畑の広がる喜界島から憧れの大都会・東京へ出てきた筆者は、無味乾燥な日々に行き詰まる。そこへ国連インターンシップの応募が飛び込んできた。東京は、通過点だ。目指すは、世界だ!

「海外経験なし」の引け目

 ウガンダという国について、僕はほとんど知識がなかった。

 アフリカの国であることは知っていた。でも、正確な場所はわからなかった。それまでアフリカに行こうと思ったことはなく、国連職員にあこがれたこともない。そもそも、国連について詳しく知らなかった。

 大学の講義で耳にした国連のインターンシップの応募にとっさに手を挙げたのも、派遣先としてウガンダを希望したのも、「直感」としかいいようがない。

 国連ユースボランティアは、関西学院大学が国連ボランティア計画(UNV)との協定に基づいて学生をボランティアとして開発途上国に派遣するプログラムで、これまでに約90人が選抜され、活動している。現在は、基幹校である関西学院大学以外に、大阪大学、国際教養大学、上智大学、筑波大学、東洋大学、明治大学、明治学院大学、立教大学が連携校として加わっている。

 選抜された学生は、アジア、アフリカ、欧州、大洋州、中南米の国々に派遣される。僕が応募した2015年は16人が選抜され、16カ国(スリランカ、東ティモール、ガーナ、インド、フィリピン、ウガンダ、フィジー、ルワンダ、タンザニア、ザンビア、エチオピア、ラオス、カンボジア、サモア、モザンビーク、モンゴル)に派遣された。1カ国にたった1人。

 そういうことを知ったのは、もちろん、あとになってからだ。

 俺なんかどうせ無理やろ――。

 正直、そう思った。僕が入学した明治学院大学国際学部の学生は、海外に住んでいた人、幼い頃から異文化に慣れ親しんできた人が多い。僕は喜界島の高校を卒業するまで日本を離れたことがなかった。大学に入り、ドイツを1週間旅行したのが唯一の「海外経験」だった。

 それを引け目に感じていていた。それ故に自信がなかった。

 同じように応募したのは、国際機関で働くことを目指している人や長期留学を経験している人たちだった。卒業を延ばす覚悟で臨んでいる4年生もいた。

 彼らの熱量に、僕はただ圧倒された。

ウガンダはサトウキビの国だった!

 最初にしたのは、履歴書の作成だった。サンプルの履歴書をなぞって、教授に相談にいくと、「国連の資料、業務内容、ウガンダのことを調べて、あなたにしかない経験、強みを当てはめていきなさい。他の人と同じようにしていては絶対無理よ」とアドバイスされた。

 僕にしかない経験、僕の強みって、何だろう。海外経験や語学力ではとてもかなわない。

 その代わり、他の人々にはないもの――それは、喜界島だ。

 ウガンダについてインターネットで検索してみた。なんと、農業が盛んで、とりわけサトウキビ栽培が盛ん――と書いてあるではないか。

 これだ! 祖父のサトウキビ畑で過ごした日々が、ここで役に立つとは!

喜界島に広がるサトウキビ畑

 僕は履歴書に実家はサトウキビ農家であると書いた。それが功を奏したのかどうかはわからない。僕は書類審査を通過した。驚きだったが、少しだけ自信がついた。

 次は現地スタッフとスカイプを使って英語で面接するのだという。えっ、スカイプ?英語で?

ウガンダからの電話

 書類審査の合格通知が届いた後、なんの連絡もなく2週間が過ぎた。例年だともう面接は終わっている時期だという。面接を終え、すでに派遣が決定している人もいるという情報もあった。

 「まあ、仕方ないか」と諦めかけていた時、携帯電話がなった。「非通知」だった。

 ”HELLO”

 癖の強い英語だ。いたずらかと思った。「もしもし。誰ですか。もしもし」と日本語で返したら、電話は切れた。なんだよって思っていたら、数秒後にまたかかってきた。

 ”HELLO”に今度は”Hi”と返す。

 ”Are You Mr.Naoki Sumioka?This call from Uganda”

 「う、ウガンダ?」

 あまりに突然で何も言えなかった。電話口では”HELLO HELLO”と誰かが叫んでいる。

 英語力のなさか、向こうの発音が悪いのか、はたまた電波が悪いのか、何を言っているのかほとんど理解できない。唯一わかったのは、日本時間の明日13時からスカイプで面接するということだけだった。

 昨日の今日?もう面接?

 その夜は必死で資料をまとめ、明日に備えた。

決め手はSNSだった

 次の日、万全な状態で待ったが、時間になっても指定されたアカウントの先方から電話はかかってこない。メールをしても返信がなく、15分が過ぎた。そのとき、電話がなった。

 男性の声だった。志望理由を聞かれた後、あの履歴書に関して質問が飛んだ。彼の英語は昨日の人の英語より理解できたが、それでも半分くらいは聞き取れなかった。一生懸命に熱意を伝えるしかなかった。

 先方が興味を示してくれたのは、やはりサトウキビだった。ウガンダの経済は農業で成り立っている。喜界島と同じだ。

 サトウキビに続いて僕を救ったのは、国際交流団体の横浜支部のリーダーとして広報の仕事をし、SNSに通じていたことだった。僕は遠く離れた故郷・喜界島の人に向けて東京での生活をSNSで発信していることを強調した。すると、フェイスブック、ツイッター、インスタグラムのアカウントを送って欲しいと言われた。

 後日談だが、ウガンダに赴いた時、なぜ僕が選抜されたのかと上司に尋ねると、個人アカウントの写真がチャーミングだったこと、SNSを使った広報の仕事の経験があることを高く評価したということだった。

さあ、ウガンダへ

 喜界島を離れ、東京に出てきたのは、グローバルとローカルをつなぐグローカルな人になるためだ。

 そこで1年生の5月頃から行動の核を3つ決め、それに当てはまる事に最大限の優先順位を置き、大学生活のお金と時間を使うと決めた。

1.英語…世界に羽ばたくには英語は必須スキル。英語サークルに入り、留学生との交流会に積極的に参加し、毎日英語に触れた。
2.スポーツ…国籍を越え、スポーツは人気。僕自身、大好きだ。横浜スタジアム、陸上教室のコーチ、プールの監視員などのアルバイトをし、障がい者スポーツ支援でインターンを行ってきた。
3.未知との出会い…知らないこと、出来ないことに一歩踏み入れた瞬間が一番興奮する。常に新しい事にアンテナを張り、セミナーや異業種交流会に参加しまくった。

 何をするにしても、必ずこの軸をもとに考える。これに当てはまったら、とりあえずやってみる。そのあとで、どうやったら出来るか考える。

 結局できなかったことも多かったが、国連ユースボランティアの応募にとっさの判断で手を挙げたのもその方針に基づくものだった。

 新しく行動を起こす時は不安なものだ。だから自分のなかの軸がしっかりしていないと、何を優先したらいいか選択できない。軸がしっかりしていて、初めて「直感」が働く。一見すると交わることのない点と点が繋がったとき、その選択は間違っていなかったと自信に変わる。

 サトウキビに救われたことも否定できない。何がどこで役立つかはわからない。自分のなかにあるものを探して前へ進むしかない。

 喜界島を離れ、東京へ出て1年半。僕は国連機関で働くため、ウガンダへ飛んだ。<to be continued>

「喜界島に生まれて(4)英語より大切なもの」につづきます。

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