メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

[99]翁長知事は最期に奥様に笑顔を…

金平茂紀 TBS報道局記者、キャスター、ディレクター

佐喜真淳宜野湾市長沖縄県知事選に出馬する佐喜真淳氏。基地問題への対応は……

8月14日(火) 今日は正午過ぎに佐喜眞淳・宜野湾市長が沖縄県知事選挙への出馬を正式表明する日だ。カメラクルーと合流して宜野湾市役所へと向かう。この市役所は結構立派な建物だ。すでに市長室隣の部屋にはたくさんの記者やカメラクルーが陣取っていて、会見場のようになっている。事前に得ていた情報では、市長室前でぶら下がりのようなスタイルで出馬の意向を表明するということだったが、違っていたのかな。

 そうこうするうちに、佐喜眞氏が辞職願を市議会議長に提出するシーンをカメラに撮らせるという。ぞろぞろとカメラがその部屋へと移動する。佐喜眞氏は市議会議長に対して「8月18日をもちまして、一身上の都合により辞職願いを提出させていただきます」と書面を渡す。その後やっぱり事前の情報通り、市長室前の廊下の狭いスペースで、佐喜眞氏の事実上の「出馬宣言」が行われた。何やら準備していた言葉を喋っていたが(対立から協調へという趣旨だった)、これまで通り、普天間基地の一刻も早い移設=危険性の除去なる文言は言うが、それがどこへ移設するのかについては一切言わない。辺野古のへの字も言わない。それで僕はそのことを質問したが、いずれ政策発表を行うので云々と曖昧にしてきちんと答えない。地元の若い記者たちは、僕が言うのも実際気が引けるのだが、本当におとなしいと思う。

 那覇への戻りがてら、そばを食べる。これでもう何回沖縄そばを食べただろうか。午後4時から県議会与党会派の第6回「調整会議」の取材。この会議は、社民、社大、共産、会派「おきなわ」、一部の経済界、市民団体など翁長県政を支えてきた「オール沖縄」の枠組みのなかの人々の擁立候補選びの「調整」会議なのだが、動きがとても鈍いようにヤマトゥンチューである僕には感じられるのだった。会議終了とともに出てきた出席者たちに記者たちが群がって聞くのだが、どこか反応が鈍い。

 「調査情報」の原稿を書きだす。1911年の大逆事件の死刑囚たちの刑執行について調べているが、当時の新聞の書きっぷりや裁判の非公開=秘密ぶりがとても興味を引く。このことも書こう。

 夜、シリアやイラクなど中東取材でご一緒したNさんが沖縄に来ていて連絡が入る。迷いなく再会することにする。地元ジャーナリストKさんと一緒に歓談。NさんはかつてNHK沖縄放送局にいた。沖縄とは縁が深いのだ。いろいろ話しているうちに、翁長雄志氏に「おんぶに抱っこ」だった「オール沖縄」の人々は、これまで何をしていたのか、ここは本当に反省しなければダメなのではないか等々という中間的な結論。Nさんの見方がとても面白い。「『沖縄タイムス』と『琉球新報』のことを偏向などという人は全く何もわかっていないんだと。僕に言わせれば、あの地元紙は本質的な意味で<保守>だと思いますよ」と。なるほど。

翁長さんの最期の様子を奥様から聞く

8月15日(水) 「調査情報」の原稿を何とか書き上げ、使う写真もセレクトして担当編集者のKさんにメール。今日は73回目の「終戦記念日」。正午の時報をはさむ戦没者記念式典をNHKでみていた。現在の天皇皇后が臨席してお言葉を述べるのは今年が最後となる。式典の壇上でその天皇陛下を先導する役目が、加藤勝信厚労大臣。働き方改革とか加計学園というタームがどうしても頭をよぎる。

 午後5時から自民党沖縄県連の照屋守之副会長に県議会棟でインタビュー。質問に率直に答えてもらった。県知事選の最大の争点は県民の暮らしであると。国との信頼関係が失われているので、今後は協調だと。基地問題は最終的には司法の問題だと。弔い合戦になると戦いにくい。「オール沖縄」は選挙に勝つための手段であって政策実行のための枠組みではないと。安里繁信陣営は佐喜眞陣営に一本化される見通しだと明言していた。

 その安里氏の支援者向けイベントが午後7時から糸満市で。のぞいてみる。立候補意向取り下げとは言わなかったが、保守一本化は望ましいと。オール沖縄の水面下の動きをいろいろと取材する。カメラはなしで。数珠をどこかで失くしてしまったようだ。何やってんだか。

8月16日(木) けさの沖縄タイムスに城間幹子那覇市長が知事選挙に出馬しないと明言したと出ている。

 午前11時から翁長雄志さんのご実家にうかがい、ご霊前の花やお手紙、遺品などを撮影する。奥様の樹子さんと長女に立ち会っていただいた。翁長さんの最期の様子などを奥様からオフカメラで話を聞く。闘病生活の実際は僕の想像を超え

・・・ログインして読む
(残り:約1499文字/本文:約3410文字)