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マクロン政権を襲った目玉大臣の電撃辞任

「大サプライズ」で就任したユロ環境連帯移行相は辞めるときもサプライズ!

山口 昌子 在仏ジャーナリスト

涙目で「政府を去る決心をした」

閣議を終え、エリゼ宮を出るニコラ・ユロ環境連帯移行相。この約1週間後に電撃辞任した=2018年8月22日閣議を終え、エリゼ宮を出るニコラ・ユロ環境連帯移行相。この約1週間後に電撃辞任した=2018年8月22日

 夏のバカンス明け、フランスのマクロン政権を襲ったのが、目玉閣僚、ニコラ・ユロ環境連帯移行相(63)の電撃的辞任だ。「自分自身にウソをつきたくない」と言って、辞任したユロには、主義主張とは別に、仏国民の84%が拍手喝采を送る。当然、辞任すべきなのに、大臣の椅子にべんべんとしがみ付いている、どこかの国の政治家には、是非、このユロの辞任の弁を聞いてほしい。

 ユロが「政府を去る決心をした」と涙目で辞任を発表したのは、8月28日朝のニュース専門ラジオ「フランス・アンフォ」の生放送に出演中だった。司会のジャーナリストが「本気ですか!?」と驚いて聞き返したほど、突然の表明。マクロン大統領やフィリップ首相に事前に告げると「慰留される可能性」があるからと、「礼を欠いている」ことを承知のうえで、「妻にも誰にも言わず」のサプライズ発表だった。

 辞任の直接の引き金は、その前日の夕方のエリゼ宮(大統領府)であった大統領との「狩猟の会」の会合だった。ユロはそもそも、動物愛護、環境保護の立場から狩猟には反対の立場だ。ところが、大統領が一般的に「金持ちの趣味」とみられている「狩猟」の免許証の価格を400ユーロ(約5万2千円)から半額の200ユーロへ引き下げることを承認。さらに、会合の席に、ユロに事前通知なく、「狩猟の会」のロビイストとして知られる男が、得意満面で参加していた。メンツ丸つぶれのユロは顔面蒼白になったと言われる。

辞任の真の理由は原発問題?

 ただ、ユロの辞任の真の理由は、原発問題と言われている。

 フランスは「原発大国」で米国(104基)に次ぐ58基を有し、電力の75%を原発に依存している。だが、オランド前政権の時代には「2025年までに50%削減」を公約し、政権末期には独国境に近い仏中東のフェッサンエイムの最古の原発(2基)の閉鎖を後戻りできないように法律化した。

 ユロは大臣就任2カ月後の2017年7月10日の記者会見では、さらに一歩進めて、「2025年までに(58基のうちの古い年代の稼働の原発を)最大で17基を削減する」と言明した。(一部日本の報道では誤訳して17基まで削減すると報じたが、58基マイナス17基、すなわち、残り数41基まで削減)。もっとも、「17基」は最大限の数字で、実際問題としては「削減数は数基でおわる可能性もある」(仏記者)との指摘もあった。

 ところが、ユロの辞任を待っていたかのように、8月30日付けの経済紙「レゼコ―」が、原発削減どころか、政府は「第3世代の原発」と言われる「欧州加圧水型炉(EPR)」の原発6基の新設を視野に入れているとスッパ抜いた。ユロ自身とブルノ・ルメール経済相が春に依頼した専門家による原発に関する報告書が新設を激励したからだという。

 ユロ自身もこの夏、オフレコを条件に左派系日刊紙「リベラシオン」に「大統領と首相は何も理解していない」と嘆きながら、報告書が3基のEPRの建造を勧告していることを明らかにしたが、実際は3基どころか6基だったわけだ。同紙も辞任の翌日、このニュースを報じた。

 EPRは、独シーメンスと仏アレバが従来型の原発に代わる「新型原子炉」として1991年に計画をスタート。04年に仏北部ノルマンディー地方のフラマンビルを建設地に選定し、06年に工事をスタートさせたが、安全性の確認などで工事は遅れに遅れ、今のところ2025年に稼働開始、35年から電力を供給開始の予定だ。報告書は、ERP稼働と同時に、2025年には新たにERP1基の建設に着手し、6基に増やすことを奨励しているという。

 マクロン大統領がこの報告書の勧告に従うかどうかはまったく不明だが、ユロが辞任を決意するには十分すぎるほどの理由だ。

大臣としての成果は「かなりの成功」

 就任以来、政府とのズレがほかにも生じ、ユロを忸怩(じくじ)たる思いにさせたのは、原発問題だけではない。ガン発症の要因とされる除草剤グリホサートの禁止問題もそうだ。欧州連合(EU)の5年後禁止に対して、ユロの主張でフランスは3年後禁止を決めたが、議会での審議の結果、殺虫剤全体の禁止法の中に組み込まれ、実現時期が曖昧(あいまい)になった。

 ユロは、「フランスは他の国に比較して、(環境分野で)少しの進歩をしたが、少しの進歩は十分だろうか。答えは『ノン』だ」と述べ、辞任の理由として、大臣としての成果に不満だったことを告白した。

 もっとも成果に関しては、客観的に見て、「少しの進歩」ではなく、「かなりの成功」を収めているともいえる。最大の成果は、パリ近郊ノートルダム・デ・ランドの空港計画の撤廃だ。

 パリ郊外にはシャルル・ドゴール国際空港とオルリー空港がある。新空港建設の必要性などが十分に検討されないままオランド政権時代に建設が決まった。環境保護派や地元の農民らが反対運動を展開していたが、ユロの決断で1千㌶の広大な土地が農業用地として人口化から擁護され、国民の過半数以上からも支持された。

 フェッサンエイムの原発も、石炭火力発電所と同様に4年以内の閉鎖を決めた。4年間で6億ユーロ(約780億円)かけて12品目の使い捨てプラスチック製品の禁止を含む90の措置や、給食施設におけるオーガニックまたは地元産の食材使用率の50%への引き上げ、さらに太陽熱プランの拡大なども決めている。

 こうした成果の影には、それぞれの分野における強力なロビイストの圧力や、反対を押し切っての決断と勇気が必要だったことは言うまでもない。ユロを「理想主義者」「非現実主義者」と批判する層が、彼の辞任で障害物がなくなったと、祝杯を挙げても不思議はない。

フランスで最も古いフェッサンエイム原発フランスで最も古いフェッサンエイム原発

マクロン大統領の支持率には大打撃

 マクロン大統領は、「彼の決意を尊重する。15カ月前に彼を選んだのは、自由な人間だからだ」と理解を示し、ユロの「仕事を評価している」とも言明した。「彼の参加を常に当てにしている」とも述べ、今後も環境政策でユロの意見などを尊重する方針を示し、ユロとはケンカ別れでないことを強調した。

 閣僚中、人気ナンバーワンのユロの辞任は、支持率が40%台と低迷中のマクロンにとっては大打撃だ。

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