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石破さん、「沖縄」を総裁選の争点に!

あなたの政治信条は「対等な日米同盟」のはず。それを訴えるのが「正直」な政治です

三輪さち子 朝日新聞記者

総裁選の政策を発表する石破茂氏=2018年8月27日、東京・永田町

石破氏側近からの電話

 自民党総裁選に挑む石破茂氏の数少ない側近議員は8月25日朝、WEBRONZAの「石破氏はあの時、禅譲の誘惑に負けた」をみて、筆者である私に数年ぶりに電話してきた。

「記事、読んだよ。確かに、石破さんは戦略家タイプじゃない。あんたが書くように、リーダー向きでもない。でも、ああいう愚直さが、今の自民党になさすぎる。そう思わないか? 霞が関も壊れている。メディアもおかしくなっている!」

 私は2013年9月から約1年間、自民党幹事長だった石破氏の番記者だった。電話をかけてきた彼とも当時からの知り合いである。その記事は、石破氏が2015年の総裁選出馬を見送った舞台裏を明かすものだった。

 電話口の彼は焦っている、と私は感じた。

 以前は、常に自信に満ちた物言いの政治家だったが、このときは違った。総裁選で石破氏が劣勢ということは理由ではなかろう。敗戦は織り込み済みのはずだ。何よりも想定外だったのは、総裁選の報道ぶりに違いない。安倍一強のもとで、メディアの多くが安倍首相の批判に尻込みし、石破氏をまともに扱おうとしないことへの苛立ちがにじんでいた。

 電話を切った後、さらに思った。もしかして彼の焦りは、石破氏に対する自民党内やメディアの風当たりが強まるなかで、石破氏当人の腹がすわっていないことから生じているのではないか。

「安倍首相の批判」ではなく「自分の政治信条」

 誰にでも、譲れるものと譲れないものがある。妥協したり、あきらめたりすることはあっても、どうしてもこれだけは譲れないというものは大なり小なり誰にでもある。政治家ならばなおさらだ。それを失ったら、潔く政治家を辞めるべきだと私は思う。

 石破氏は「正直、公正」を自分の政治信条だと訴えている。しかし、「正直、公正」で何を成し遂げたいのか。そもそも本当に自分自身に「正直、公正」なのか。

 それを直に確かめたくて、8月27日と31日、石破氏の記者会見へ向かった。石破氏は「正直、公正、石破茂」と書かれたボードの前に立っていた。

 このキャッチコピーは自民党内で「安倍首相への個人攻撃だからやめろ」と反発を受けたものである。石破氏は会見で「正直、公正のキャッチコピーは封印しないのか」と聞かれ、こう答えた。

「自らはそうありたいということなのであって、人を批判するものではない」

 安倍首相を批判するために「正直、公正」を掲げたのではなく、「もともと自分の政治信条だ」と言いたいようだった。

 煮え切らない答えにがっかりし、私は言葉を探した。

 あなたは「正直、公正」のために、政治家になったのですか!
 本当にやりたいことは、別にあるのではないですか!!
 それを全面に出していないから、迫力に欠けるのではないですか!!!

 質問しようと思ったが、できなかった。石破氏と今の番記者の間で個別の政策テーマに関する質問が相次いでいる。永田町取材の最前線から離れている元番記者の私が割り込んで石破氏の根本的な政治姿勢を問いただす空気ではなかった。

総裁選の政策を発表する石破茂氏=2018年8月27日、東京・永田町

石破氏が本当にやりたいこと

「俺はそのために政治家をやっている」

 私が幹事長番として石破氏を連日追いかけていた頃、彼の口からこんな言葉を聞いたことがある。

 2014年の沖縄県知事選の前だった。先日亡くなった翁長雄志氏(当時は那覇市長)が、現職知事を破った知事選だ。そのときも米軍普天間基地の辺野古移設が最大の争点だった。

 安倍政権は当時、集団的自衛権の行使を認めるための憲法解釈の変更をしようとしており、自民党と公明党との間で協議が続いていた。この協議は自民党副総裁の高村正彦氏と、公明党の北側一雄氏に任され、石破氏は外されていた。集団的自衛権をめぐり、石破氏と安倍首相の考え方はあまりに食い違っていたからだ。

 自分が政治家として最もエネルギーを注いできた安保政策の大転換が、自民党幹事長である自分の考えをまったく無視した形で進んでいく。石破氏の苛立ち、不満は大きかった。彼のため息は日増しに深まり、ただでさえ怖いと言われる顔つきはさらに近寄り難いものになっていた。

 幹事長という立場上、表だった反対は控えたものの、時折愚痴がこぼれた。

「このままでは、日米同盟を見直すことにはつながらない。事の本質は、そこにあるはずじゃないか」

 私はこの間の取材を通して、政治家・石破茂が考えていること、政治家として本当にやり遂げたいことに触れた気がした。

 マスコミは大概、石破氏は集団的自衛権の「全面的な行使」を認め、安倍首相は「限定的な行使」を認めるというふうに報じている。しかし、石破氏にすれば、全面的か、限定的か、という単純な話ではない。両者は、日本が米国と対等な関係を目指すのかどうかという点で、決定的な違いがあるのだ。いわゆる、日米同盟の「片務性」を解消し、より対等な関係を目指すべきだというのが石破氏の強い信念である。

 これに対し、安倍首相がめざす日米同盟像はよくわからない。自民党内には石破氏に同調する議員も少なくないように思う。

日米同盟を対等に

 日米同盟の見直しは、沖縄問題に直結する。

 石破氏の理屈でいけば、集団的自衛権を全面的に使えるようにし、アジア諸国との防衛態勢を強化し、日米同盟を対等なものにし、その上で、在日米軍基地のあり方を見直す(自衛隊が在日米軍の機能を代替する)ということだろう。

 石破氏が幹事長時代、ワシントンで講演した時にハッとさせられる場面があった。米国のメディアや政府関係者らを前に、石破氏はこう言い放ったのだ。

「1955年、当時の重光葵外相は、米国のダレス国務長官に対し、『日本は集団的自衛権を行使し、グアムまで合衆国を守る。よって、合衆国の軍隊は日本から撤退すべきだ』と提案した。この考え方はダレス長官に直ちに却下された。しかし、今、もう一度、これを考える必要があると考える」

 半世紀前、米軍基地は出て行ってくれと米国に迫った外相、重光葵を持ち出したのだ。石破氏は講演でこう続けた。

「合衆国軍隊の存在は、日本にとって必要だ。日米同盟を強化することも必要だ。しかし、合衆国の義務を負わない代わりに、基地を提供する義務を負うという形は、世界の中で日本だけだ。このことは、日本人の安全保障意識を高める上で必ずしもプラスになっていない」

 日米同盟を対等なものにする。真の独立国を目指す。

 それが石破氏のいう「そのために政治家をやっている」理由であった。

なぜ「沖縄」を問わないのか

翁長雄志知事。最後の記者会見=2018年7月27日、沖縄県庁

 私は石破氏の日米同盟観には賛同しない。

 軍隊を持つこと、互いに血を流し合うこととは違う形の安全保障のあり方を目指すべきだと私は思っている。それに、彼の理屈がいくら論理的に正しいとしても、「日本が軍隊を持ち、動かす」という国民の命に直結する判断を、今の国会や官邸にゆだねる気にはなれない。とても危険だ。

 私はかつてそうした考えを石破氏に伝えたことがある。石破氏は「日本の民主主義を信頼するかどうかだろう」と答えた。彼は私と違ってやはり権力側の人間であり、今の日本の政治を究極的には信頼しているのだろう。

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