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台風の影響で雨が強くなり、走って横断歩道を渡る人たち=2018年8月23日拡大次々と列島を襲う台風。報道はどうあるべきか

8月21日(火) 午前中「報道特集」の定例会議。その後、「沖縄タイムス」用の原稿を書く。翁長雄志さんへのレクイエム。台風がダブルで近づいている。何だかこのところ異常気象による台風、豪雨、酷暑などの移ろいに報道機関が翻弄されているような気がどこかでする。表面の現象よりも、その意味するところにスポットをあてられないものか。

8月22日(水) 朝起きて久しぶりにがっつりと泳ぐ。24日のオウム死刑囚死刑執行関連の集会の主催者のひとり、創出版の篠田博之さんとの約束で、集会内で流す5分程度のビデオメッセージを撮る。僕に話せるのは、今回の死刑執行のメディア報道の変化についてだ。そのことを短く自分のちっちゃいデジカメに向かって話す。そしてそのデータをどこかから送ることになる。

 結局、ダブル台風襲来を取材することになったので、夕方に松山行きの便に乗って移動することになる。行き先は愛媛県の宇和島市。西日本豪雨の際は、みかん農家に甚大な被害が出た場所だ。3週間前にも取材に来た。

 羽田空港で目にした朝日新聞の夕刊で、沖縄の原義和さんがNHK・Eテレ「ハートネットTV」で放送した精神障害者の「私宅監置」のことがトップ記事になっているではないか。テレビのちからが実を結んだ。何だか嬉しい。実力のある仲間の力量が正当に評価されたことが。

 Mディレクターら取材クルーと松山空港から宇和島市内のビジネスホテルまで車で移動。移動だけで時間を要する。到着したのは午後8時をとっくに過ぎていた。そのあいだに台風は進路を変えたり、速度を速めたりする。取材の打ち合わせがてら、夕食をとってあす早朝からの取材に備える。持ってきたパソコンの調子が滅茶苦茶に悪い。ポケットWi-Fiが原因なのか。とにかく速度が激遅。

 深夜、NHKのEテレで、僕も知っている例の特高資料の精査の末、治安維持法による取り締まりの実態を描いたドキュメンタリー作品をみる。よくできていた。記録を読み込んで、当時、特高警察に検挙された14歳の少女を探し当ててインタビューしていた。大竹一燈子(ひとこ)さん。104歳。それに長野二・四事件も取材していた。人手があるNHKが本当にうらやましい。

台風の夜。自分は一体何をやっているのだろう

8月23日(木) 雨も風も取り立ててひどいという状況ではない。朝9時にホテルを出て現場へ。宇和島市吉田町白浦へ。西日本豪雨の際、土砂崩落で死者の出た場所も静かだったが、近隣の何人かの人が排水路から土砂を取り除く作業を手作業でやっていた。死者の出た民家の住人は不在だった。今後もこの場所に住み続けるのだろうか。崩れた山肌がまだ生々しい。前回の取材でお会いしたみかん農家の中島利昌さんとコンタクトをとって再会する。山道を自分たちで通れるように整備したという。中島さんたちの作業現場までお邪魔する。今日は台風が来る前に、みかん畑復旧のために水・農薬を散布するパイプを取り換える作業を手作業でやっているのだった。傾斜の強い山肌のみかん畑で作業はひどく危険だ。若い人たちが加わっていた。

 その後、西日本豪雨で出た土砂の仮置き場や避難所などを取材。けれども台風の進路が東側にそれて、愛媛県側の被害は回避される見通しとなった。取材が非常にむずかしくなった。ここは本当に考えどころである。 ・・・ログインして読む
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筆者

金平茂紀

金平茂紀(かねひら・しげのり) TBS報道局記者、キャスター、ディレクター

TBS報道局記者・キャスター・ディレクター。1953年、北海道生まれ。東京大学文学部卒。1977年、TBSに入社、報道局社会部記者を経て、モスクワ支局長、「筑紫哲也NEWS23」担当デスク、ワシントン支局長、報道局長、アメリカ総局長、コロンビア大学客員研究員などを経て、2010年より「報道特集」キャスター。2004年、ボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『沖縄ワジワジー通信』(七つ森書館)、『ロシアより愛を込めて――モスクワ特派員滞在日誌 1991-1994』(筑摩書房)、『二十三時的――NEWS23 diary 2000-2002』(スイッチ・パブリッシング)など。共著に『テレビはなぜおかしくなったのか<原発・慰安婦・生活保護・尖閣問題〉報道をめぐって>』(高文研)、『内心、「日本は戦争をしたらいい」と思っているあなたへ』(角川書店)など多数。

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