今、問われる政府・官庁の公文書管理、情報公開
政府活動の記録とは何か、という根本的な議論が必要だ
三木由希子 特定非営利活動法人情報公開クリアリングハウス理事長
そこで、行政文書とは何かという問題には、こだわり続ける必要がある。
そもそも、行政文書の立法趣旨は、「政府の諸活動を説明するために必要十分な範囲で、開示請求の対象となる文書を的確に定める必要がある」(「情報公開法要綱案の考え方」)であるので、政府の諸活動としての記録とは何か、ということの議論が本来必要だが、この議論ができていない。例えば、政治レベルの活動記録や電子メールをめぐる問題がその典型だ。
加計学園問題でわかったことは、首相や首相秘書官の日程や面会の記録が行政文書として存在せず、文科省文書が「総理のご意向」などと記録していたが、そもそも首相がどのような指示や報告を受けたのかが、一般的に記録されているのか明らかではないなど、高い政治レベルの活動が行政文書としてどこまで残っているのか不透明ということだ。
政治レベルの活動が行政文書として残されていなければ、実務レベルで行政文書を作成しても、その内容は容易に否定されるということが、加計学園問題の行政的な「教訓」である。また、実務レベルの行政文書に政治的な内容が記録されていると、改ざんと廃棄に走るというのが森友学園問題の「教訓」だ。
しかし、政府活動そのものであるはずの政治レベルの活動記録について、自らの問題として対応していない。また、この政府活動の記録とは何かという問題を議論しないと、実のところ電子メールの整理・保存はどうあるべきかという問題も、議論は前に進まないだろう。
電子メールそのものを「政府活動の記録」としているアメリカ
日常的なコミュニケーション手段として使われる電子メールは、中央官庁で日々膨大な量が記録として発生している。連絡や協議、情報共有の手段をして使われており、政府活動を記録しているものと言えるものだ。
この電子メールについては、改正ガイドラインで行政文書としての取り扱い方法が示された。電子メールの内容から、行政文書として共有しておくべきものについては、PDFにするなどして共有フォルダーに保存するか、印刷してファイルで保存するとしている。
残りの電子メールは、職員個人のメールボックスに保存されているが、
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