アメリカは死なない~レナード・バーンスタイン生誕100年に寄す
2018年09月09日
「『自由の戦士』として戦う音楽家たち(上)」に引き続き、自由を求めて戦う音楽家たちの話を続ける。まずはロサンゼルス・フィルハーモニック(LAフィル)の音楽監督である若きベネズエラ人指揮者グスターボ・ドゥダメルから。
LAフィルは、「上」で触れたマイケル・ティルソン・トーマスが音楽監督を務めるサンフランシスコ交響楽団と並ぶ、アメリカン・オーケストラの西の横綱の一つだ。それを率いるドゥダメルの、祖国を巡る「自由の戦士」としての政治権力との闘いについては、かつて別稿で論じた(WEBRONZA「ベネズエラ人指揮者は『自由の戦士』として闘う」)。
その後もドゥダメルは、ベネズエラのマドゥロ独裁政権との敵対関係の影響から、2017年秋に予定されていた音楽監督を務める祖国のシモン・ボリバル国立交響楽団とのアジアツアーがすべて中止に追い込まれるなど、政治権力との抜き差しならない関係が続いている。
そんななか、レナード・バーンスタイン生誕100周年を愛でるタングルウッド音楽祭と時を同じくして、ロサンゼルスのハリウッドボウルでは毎年恒例の夏のコンサートプログラムが行われていた。目玉の一つが、ドゥダメル指揮LAフィルとキューバ国立バレエ団によるチャイコフスキーの「くるみ割り人形」である。
冬の風物詩的な演目である「くるみ割り」を夏に、しかもヨーロッパの伝統的バレエ団ではなく、南米に思いを馳せるドゥダメルらしく、オバマ政権で2015年に国交回復をしたキューバのバレエ団を指名するあたりが、政治的な観点も含めた様々な文脈で「面白い」公演であった。
しかし、この公演においても、政治権力はドゥダメルを放っておかない。
トランプ政権下で、アメリカとキューバ間の渡航及び文化交流への締め付けが厳しくなり、“トランプ政権のビザ政策として”、渡米を予定していたキューバ国立バレエ団ダンサー全員のビザが却下され、本プログラムは強制的に中止せざるを得なくなったのである。
夏のハリウッドボウルを彩るメインプログラムの一つが、実に政治的理由でキャンセルせざるを得ない事態に追い込まれたのだ。
ここで一人の女性がこの窮地を救った。87歳の現役キューバ人歌手、オマラ・ポルトゥオンドである。
有名キャバレー・トロピカーナで10代でデビューしたオマラ・ポルトゥオンドは、キューバを代表する歌姫としての地位を確立、現在はキューバの芸術大使も務める。
彼女らが中心となって、1950年代のキューバ大物ミュージシャンを集めて結成したビッグバンド、それが、ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ(BVSC)である。BVSCという名称は、キューバで黒人と白人が隔離されていたとき、黒人のみの社交クラブが冠していた名称だ。音楽とダンスは、分断され排除された彼らの救いだった。
1999年、ヴィム・ヴェンダーズ監督によるBVSCのドキュメンタリー映画が作成され一世を風靡(ふうび)したが、最近、その続編が放映されている(原題Buena Vista Social Club:Adios 2017年)。
副題の「Adios」からもわかるように、1997年の結成段階で90歳を越えたプレイヤーがいたほどだから、BVSCのメンバーの何人かはすでにこの世を去っている。そのことを含めた、第一作以後のドキュメンタリー仕立てとなっている。
キューバで随一の楽器演奏者や歌手を集めたオールスターバンドだけに、メンバーの個性もそれぞれ飛びぬけている。そんななか、メインボーカルのイブライムは、1950年代にいくつかのバンドでボーカルを務めていたが、その素晴らしい歌声とは裏腹にその後、売れることはなく、靴磨きなどをしながら極貧生活を送っていた。
そのイブライムに、BVSCのバンドマスターであるファン・デ・マルコス・ゴンザレスが誘いをかける。映画の冒頭、カーネギーホールでのライブ後の熱烈な拍手をバックに、「なぜ私が?この年齢で?」とつぶやくイブラヒム。まさしく遅咲きのスターだった。破竹の勢いでは世界ツアーを慣行したBVSC。イブライムは2003年、「Buenos Hermanos」でグラミー賞を受賞する。
ここで、再度彼らの前に「政治」という強大な遮断器が振り下ろされる。イブライムの渡米のためのビザが却下されたのだ。
イブライムは2005年、この世を去る。その追悼公演でオマラ・ポルトゥオンドは「二輪のくちなしの花」という、イブライムが歌ったBVSCのグラミー賞受賞アルバムの代表曲を歌う。
「クチナシの花をふたつ
君にあげよう 愛してる 心から
いとしい人よ どうか枯らさないで
この花は君と僕の 心だから
でも もしある夜 クチナシが枯れたなら
それは花の嘆き
君が僕を裏切って 誰かほかの人を
愛してしまったから」
歌い終えたオマラは、椅子に座りながらうなだれるように首をもたげ、その目から、一閃(いっせん)の涙がこぼれる。
映画ではオマラとイブライムの関係について、一切明示的には触れられない。この歌だけが二人の関係を暗示する。
白人と黒人が隔離されていた時代に、バレリーナを目指したオマラ。どのオーディションで誰よりもうまく踊れても、黒人に踊る場所は与えられなかった。そんな彼女の同士イブライムが2003年、グラミー賞を受賞した際、ビザが却下され、彼は授賞式に出席できなかった。彼は記者を前に言った。「私はテロリストではない」。
彼らの純粋な芸術への想いは、自分たちの力ではどうしようもない「政治的なもの」によって踏みにじられた。
そして、2018年、ロサンゼルス。
ドゥダメルは、キューバ国立バレエ団が政治的理由によってビザを却下されることでくじかれそうになった公演の救世主に、キューババレエから黒人であるがゆえに拒絶され、愛する者の渡米ビザが却下された、オマラ・ポルトゥオンドを選んだのである。
――自分の力でどうしようもないことにも、人間は抵抗できる。
ドゥダメルとオマラの共演は、「この世のどんな生にも、他人に規定されていい生などない」「自分らしい生は自分で決めるのだ」という“個人の尊厳”の価値にコミットしていた。
音楽によるこんな痛烈で“政治的な”カウンターパンチがあるだろうか。あまりに象徴的であり、叛逆(はんぎゃく)的である。これは近代市民社会が共通言語として持っているはずだが、今まさに失われつつある普遍的な価値を実現するための、音楽による壮大な闘争である。これが「権利実践」ではなくして、なんといおうか。
しかし、これには相応のリスクがもちろんある。オマラは人種・女性差別、そして「国」という線引きに幾度となく自分らしさを否定されてきたし、ドゥダメルは祖国の最高権力に名指しで批判され敵対視されている。いつ何が起きても不思議ではない。
「権利実践」とは、こんなにも血なまぐさく、わずらわしい。だが、ドゥダメルもオマラも闘っている。皆、「自由の戦士」だからだ。
ハリウッドボウルでの公演の翌日、LAタイムズには「ドゥダメルとLAフィルを助けにキューバのオマラ・ポルトゥオンドが来てくれた」との見出しが躍ったここには、ただ公演のキャンセルの穴埋めをしたという以上の意味が込められている。
本稿でこの出来事を紹介したのは、現代政治権力の畳に土足で踏み込むような振る舞いに対し、文化の力、音楽の力、そして人間の善意の力で真っ向から戦った、その爪痕がここにはあり、「権利実践」の際の我々一人ひとりの覚悟が問い直された気持ちがしたからである。
一言付言すれば、私はオマラの歌声に魂の底から感動し、涙がとまらなかった。自分の悩みがちっぽけに思えると同時に、悩む自分に寄り添ってもらえたような気持ちになったのだ。これこそが、音楽の共感力であり底力である。
アメリカのクラシック音楽は、ヨーロッパのそれを本流とする人々には不評である。「音楽の本質を理解していない」「ただうまく早く大きく演奏しているだけ」「ハリウッド映画のようなただのエンターテインメントだ」といった具合に。しかし、おそらくアメリカにおけるクラシック音楽は、いわゆるヨーロッパ的なそれとは役割が違う。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください