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「自由の戦士」として戦う音楽家たち(下)

アメリカは死なない~レナード・バーンスタイン生誕100年に寄す

倉持麟太郎 弁護士

 有名キャバレー・トロピカーナで10代でデビューしたオマラ・ポルトゥオンドは、キューバを代表する歌姫としての地位を確立、現在はキューバの芸術大使も務める。

 彼女らが中心となって、1950年代のキューバ大物ミュージシャンを集めて結成したビッグバンド、それが、ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ(BVSC)である。BVSCという名称は、キューバで黒人と白人が隔離されていたとき、黒人のみの社交クラブが冠していた名称だ。音楽とダンスは、分断され排除された彼らの救いだった。

 1999年、ヴィム・ヴェンダーズ監督によるBVSCのドキュメンタリー映画が作成され一世を風靡(ふうび)したが、最近、その続編が放映されている(原題Buena Vista Social Club:Adios 2017年)。

 副題の「Adios」からもわかるように、1997年の結成段階で90歳を越えたプレイヤーがいたほどだから、BVSCのメンバーの何人かはすでにこの世を去っている。そのことを含めた、第一作以後のドキュメンタリー仕立てとなっている。

練習をするブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのメンバーたち=2014年6月3日、ハバナ拡大練習をするブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのメンバーたち=2014年6月3日、ハバナ

 キューバで随一の楽器演奏者や歌手を集めたオールスターバンドだけに、メンバーの個性もそれぞれ飛びぬけている。そんななか、メインボーカルのイブライムは、1950年代にいくつかのバンドでボーカルを務めていたが、その素晴らしい歌声とは裏腹にその後、売れることはなく、靴磨きなどをしながら極貧生活を送っていた。

 そのイブライムに、BVSCのバンドマスターであるファン・デ・マルコス・ゴンザレスが誘いをかける。映画の冒頭、カーネギーホールでのライブ後の熱烈な拍手をバックに、「なぜ私が?この年齢で?」とつぶやくイブラヒム。まさしく遅咲きのスターだった。破竹の勢いでは世界ツアーを慣行したBVSC。イブライムは2003年、「Buenos Hermanos」でグラミー賞を受賞する。

 ここで、再度彼らの前に「政治」という強大な遮断器が振り下ろされる。イブライムの渡米のためのビザが却下されたのだ。

 イブライムは2005年、この世を去る。その追悼公演でオマラ・ポルトゥオンドは「二輪のくちなしの花」という、イブライムが歌ったBVSCのグラミー賞受賞アルバムの代表曲を歌う。

「クチナシの花をふたつ
君にあげよう 愛してる 心から
いとしい人よ どうか枯らさないで
この花は君と僕の 心だから

でも もしある夜 クチナシが枯れたなら
それは花の嘆き
君が僕を裏切って 誰かほかの人を
愛してしまったから」

 歌い終えたオマラは、椅子に座りながらうなだれるように首をもたげ、その目から、一閃(いっせん)の涙がこぼれる。

 映画ではオマラとイブライムの関係について、一切明示的には触れられない。この歌だけが二人の関係を暗示する。

 白人と黒人が隔離されていた時代に、バレリーナを目指したオマラ。どのオーディションで誰よりもうまく踊れても、黒人に踊る場所は与えられなかった。そんな彼女の同士イブライムが2003年、グラミー賞を受賞した際、ビザが却下され、彼は授賞式に出席できなかった。彼は記者を前に言った。「私はテロリストではない」。

 彼らの純粋な芸術への想いは、自分たちの力ではどうしようもない「政治的なもの」によって踏みにじられた。

音楽による痛烈で“政治的な”カウンターパンチ

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筆者

倉持麟太郎

倉持麟太郎(くらもち・りんたろう) 弁護士

1983年、東京生まれ。慶応義塾大学法学部卒業、中央大学法科大学院修了。2012年弁護士登録(第二東京弁護士会)。弁護士法人Next代表弁護士・東京圏雇用労働相談センター(TECC)相談員として、ベンチャー支援、一般企業法務、「働き方」等について専門的に取り扱うも、東京MX「モーニングクロス」レギュラーコメンテーター、衆議院平和安全法制特別委員会公聴会で参考人として意見陳述(2015年)等、企業法務実務の傍ら、憲法理論の実務的実践や政策形成過程への法律実務家の積極的関与について研究。共著に『2015年安保~国会の内と外で~』(岩波書店、2015)、『時代の正体2』(現代思潮新社、2016)。

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