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「自由の戦士」として戦う音楽家たち(下)

アメリカは死なない~レナード・バーンスタイン生誕100年に寄す

倉持麟太郎 弁護士

 そして、2018年、ロサンゼルス。

 ドゥダメルは、キューバ国立バレエ団が政治的理由によってビザを却下されることでくじかれそうになった公演の救世主に、キューババレエから黒人であるがゆえに拒絶され、愛する者の渡米ビザが却下された、オマラ・ポルトゥオンドを選んだのである。

 ――自分の力でどうしようもないことにも、人間は抵抗できる。

 ドゥダメルとオマラの共演は、「この世のどんな生にも、他人に規定されていい生などない」「自分らしい生は自分で決めるのだ」という“個人の尊厳”の価値にコミットしていた。

 音楽によるこんな痛烈で“政治的な”カウンターパンチがあるだろうか。あまりに象徴的であり、叛逆(はんぎゃく)的である。これは近代市民社会が共通言語として持っているはずだが、今まさに失われつつある普遍的な価値を実現するための、音楽による壮大な闘争である。これが「権利実践」ではなくして、なんといおうか。

 しかし、これには相応のリスクがもちろんある。オマラは人種・女性差別、そして「国」という線引きに幾度となく自分らしさを否定されてきたし、ドゥダメルは祖国の最高権力に名指しで批判され敵対視されている。いつ何が起きても不思議ではない。

 「権利実践」とは、こんなにも血なまぐさく、わずらわしい。だが、ドゥダメルもオマラも闘っている。皆、「自由の戦士」だからだ。

 ハリウッドボウルでの公演の翌日、LAタイムズには「ドゥダメルとLAフィルを助けにキューバのオマラ・ポルトゥオンドが来てくれた」との見出しが躍ったここには、ただ公演のキャンセルの穴埋めをしたという以上の意味が込められている。

 本稿でこの出来事を紹介したのは、現代政治権力の畳に土足で踏み込むような振る舞いに対し、文化の力、音楽の力、そして人間の善意の力で真っ向から戦った、その爪痕がここにはあり、「権利実践」の際の我々一人ひとりの覚悟が問い直された気持ちがしたからである。

 一言付言すれば、私はオマラの歌声に魂の底から感動し、涙がとまらなかった。自分の悩みがちっぽけに思えると同時に、悩む自分に寄り添ってもらえたような気持ちになったのだ。これこそが、音楽の共感力であり底力である。

アメリカ・クラシック音楽シーンの意味

土砂降りの中ジョンウィリアムスの公演のため芝生に場所取りする人々 拡大土砂降りの中ジョンウィリアムスの公演のため芝生に場所取りする人々

 アメリカのクラシック音楽は、ヨーロッパのそれを本流とする人々には不評である。「音楽の本質を理解していない」「ただうまく早く大きく演奏しているだけ」「ハリウッド映画のようなただのエンターテインメントだ」といった具合に。しかし、おそらくアメリカにおけるクラシック音楽は、いわゆるヨーロッパ的なそれとは役割が違う。

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筆者

倉持麟太郎

倉持麟太郎(くらもち・りんたろう) 弁護士

1983年、東京生まれ。慶応義塾大学法学部卒業、中央大学法科大学院修了。2012年弁護士登録(第二東京弁護士会)。弁護士法人Next代表弁護士・東京圏雇用労働相談センター(TECC)相談員として、ベンチャー支援、一般企業法務、「働き方」等について専門的に取り扱うも、東京MX「モーニングクロス」レギュラーコメンテーター、衆議院平和安全法制特別委員会公聴会で参考人として意見陳述(2015年)等、企業法務実務の傍ら、憲法理論の実務的実践や政策形成過程への法律実務家の積極的関与について研究。共著に『2015年安保~国会の内と外で~』(岩波書店、2015)、『時代の正体2』(現代思潮新社、2016)。

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