社会の役に立ち、人々を明るくしたい……。厳しい状況で育んだ夢を政策にいかす道は
2018年09月13日
「世界の格差」が僕の夢を生んだと作文の冒頭に書いてきたのは中学3年、横浜在住の男の子だった。
アフリカやアジアの国々に、満足な医療を受けられない人々が大勢いること、日本でも近くに病院がなかったり、貧困ゆえに治療を受けられない人がいることを知った彼は、AIやドローン、携帯端末を使い、無償で世界中の人々が医療を受けられる世界を作りたいというのだ。
そのために、努力して大学に行って勉強したいと思うが、そこで次にこの国の教育格差に気づき、大学教育の無償化を実現したいと願う。そうでなければ、彼の母の就労収入では大学に行けるかどうかわからないからだ。
彼のこの作文は昨年11月4日、横浜市のこどもの国での作文コンクール「わたしの夢、ぼくの夢」で優秀賞を取った。
私、円より子は国会議員17年間の活動の一つとして、母子家庭の母の就労支援や、児童扶養手当の高校卒業までの延長、児童買春児童ポルノ禁止法制定、待機児童対策、子どもの虐待禁止などなど、子どもの政策に携わってきた。
なかでも、力を入れたのが、ひとり親家庭の支援だ。そのために超党派の「母と子支援議員連盟」を立ち上げ、事務局長として働いてきた。
その議連の会員たちの会費を浄財に、さらに「あごら」という母子家庭の母の就労支援をしているNPO組織の協力のもと、昨年、丹羽雄哉、坂口力の両元厚生大臣らと共に、ひとり親家庭の子どもたちを対象に上記の作文コンクールを始めた。
母子家庭、ひとり親家庭をめぐる環境は厳しい。そうした家庭の母親の多く(8割以上)は働いているが、その平均年間就労収入は181万円(2012年)で、一般世帯の女性の収入269万円に比べて明らかに低い。母子世帯の女性は非正規雇用が多く、働いても収入が少なく、子どもの教育費まで手が回らないのが実情だ。
大切なのは、女性たちが離婚を選ぶ前に、法律や福祉の情報をしっかり得ること、なにより再就職して経済的自立を図ることだ。それが子どもへの離婚の影響を最小にできると信じて、「ニコニコ離婚講座」をスタートさせたのは1979年だった。
月に一度、弁護士の法律レクチャーを中心にした「講座」だったが、全国から人が集まり、協力してくれる有名人講師も多かった。そのうちに離婚後の子どもと別れた親との面会交流や職場のパワハラ・セクハラに悩む人たちから、離婚後の交流の場を作ろうという機運が生まれ、「ハンド・イン・ハンドの会」や「離婚110番」という電話相談の活動も広がった。
なぜ、離婚講座に「ニコニコ」と名付けたのか。夫との不仲や離婚後の周りの目に悩む人々に、勇気を与えたかったからだ。
当時は離婚を社会問題ととらえるよりも、人間関係構築の下手な男女の夫婦喧嘩の延長であり、我慢強くない人々、家庭という小さな単位すら統治できないというダメ人間という烙印(らくいん)を押されることが多かった。
「夫が浮気しても我慢するのが妻だと家裁で言われた」「障がいのある子が生まれたら、うちの家系にはないと追い出された」「子どもが不登校になったら、お前が離婚したせいだと母親と姉に罵(ののし)られた」といった訴えが全国から寄せられ、「よくぞ、ニコニコとつけてくれた」「離婚を恥だと思わないでいいんですね」と涙されたのを覚えている。
ベビーブーム期に産まれ、「戦後っ子」と言われた私は当時、30代に入ったばかり。「家」や「家風」に押しつぶされそうになっている女性がこんなにも多いことに驚いたものだ。それ以上に、彼女たちがどんなに再就職活動しても、能力や学歴や熱意に関係なく、年齢によって門戸を閉ざされていること、男女の収入格差の大きいことに感じた憤りは大きかった。
そもそも、結婚したり、子どもを産んだからといって、なぜ女性ばかりが仕事を辞めなければならないのか。苦労して教師を続けた女性が、夫が校長になるからといって退職させられるのが慣例になっている地方も多かった。
男女雇用機会均等法もまだ制定されておらず、強固な性別役割分業意識が人々の心を支配していた時代。女性は景気の調整弁として、都合のいいパートタイマーとしての雇用が多く、夫という世帯主がいて、家事育児介護をしながら補助的収入を得る立場というのが、多くの女性に与えられた雇用だった。離婚して一人で子どもを育てあげる収入が得られる仕事は見つけにくかった。
勝手に離婚した女が厳しい生活を強いられるのは自業自得、と考える国会議員も多いなか、「でもお母さんたちが働いてちゃんと収入を得られれば、子どもたちに貧困の連鎖が起きるのを防げます」と、苦肉の策として子どもへの支援を訴え続け、母親の就労支援などに取り組んできた。だが、男女の収入格差は相変わらず大きく、家事育児介護を担うのはいまだに女性が多い。そして、母子世帯の貧困度は残念ながら改善されているとは言い難い。
何かいい方策はないものか?
子どもたちの声を取り上げて、それを政策に活かせないか――。そう考えて始めたのが、冒頭で紹介した作文コンクール募集だった。
事務局のスタッフも、丹羽審査委員長も、審査委員の阿部彩さんや萱野稔人さんも、一つ一つの作文から溢れる親への想い、努力して母親を楽にさせてあげたいという切ない思いに、涙を禁じえなかった。
彼/彼女らは、厳しい経済状況や病気のなかにあっても、離婚やひとり親家庭が生き辛い社会状況を責めるのではなく、スポーツ選手や教師、医者や看護師などになって、人を助け、社会の役に立ち、人々を明るくしたいという希望に満ちていた。そして、実現に向けて自分も努力するが、同時に教育制度などに対しても、客観的な改善策を提案した。
今の社会は「敵」をつくって、自分の生き辛さを「敵」のせいにする風潮が強い。アメリカのトランプ大統領は、そんな人間心理を巧みに使う典型のようにもみえる。にもかかわらず、子どもたちの作文には自らを省みる理性を持ち、「敵」を攻撃するのではなく、自らの力を恃(たの)んで運命を切り開こうとする気概が共通していた。そのことに私たちは感動した。
自分の気持ちを文章にするのは、大人でも難しい。おそらく言いたいことがあっても、それを表現できなかった何千という子どもたちがいるのではないか。
私たちはそうした「声なき声」にも耳を傾ける努力をしながら、今年、第2回作文コンクール「私の夢、ぼくの夢、家族の思い出」を実施することにした。そして私たちは、そこで語られる子どもたちの夢が現実に近づくよう、支援していきたいと思っている。
「私には夢がある」と高らかに演説したのはキング牧師である。「いつか私の子どもたち4人が、肌の色でなく中身で判断される、そんな国に住む日が必ず来る」と彼は言った。
母子家庭の子どもたちも願うだろう。「僕には、私には夢がある。どんな親のもとに生まれようと、中身で判断される、教育格差の無い日本であってほしい」と。
先述した「ハンド・イン・ハンドの会」という離婚女性のネットワークには、一時、5千人の会員がいて、私の出す会報誌は、働く母親より先に帰宅する子どもたちが真っ先に読んでいたという。春夏の合宿は大勢の子どもたちと一緒だったから、子どもたちは親に話せないことも私に話してくれた。
お父さんに会えなくなった女の子は、「今度の誕生日にパパに来てほしい」と言った。
二つの仕事を掛け持ちしている母親の小5の娘は、「友達に、あんたのお母さんは魔女みたいって言われた。次の仕事に急いで、自転車を風みたいに飛ばしてるから、いっつも怪我するんじゃないかとハラハラしてる」と打ち明けた。
「うちのお母さんは『ただいま』って言わないの。いつも『疲れたあ』って帰ってくる」。そう言った子に、「うちもそう」と言った子がなんと多かったことか。
どの子も母親を案じ、小さな胸を痛めていた。その子たちの想いや夢を、作文コンクールを通じて、もっともっと掬(すく)い取りたい。締め切りは9月末。優秀賞の副賞は10万円だ。詳しくはココから。
残念ながら、母子家庭は新聞購読率が低い。パソコンの利用率も低い。できるだけ多くの人たちに応募してもらえるよう、知り合いのひとり親家庭に声をかけていただけるとありがたい。
http://npo-agora.org/Top_news/2018-contest2nd.pdf
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