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被災外国人たちの大阪北部地震(前編)

言葉や文化の壁に阻まれながら被災した人たちの不安を想像してほしい

岩城あすか 情報誌「イマージュ」編集委員

 大阪の北摂地域を大きな地震が襲ったのは2018年6月18日午前7時58分。震央の高槻市と同様、箕面市東部でも震度6弱を観測。これまで経験したことのない直下型の揺れが13秒ほど続いた。

 関西地方は6月の地震以降、7月は西日本が豪雨に見舞われ、8月、9月は大型台風が直撃した。今年は本当に多くの災害に遭遇しているが、言葉のハンディを持ち、日本での生活に不慣れな外国人たちも数多く被災した。

 災害時は、普段見えない地域の姿が露呈する。地震発生から今にいたるまで、被災した外国人たちにどのような支援をおこない、どのような課題に直面してきたのか。2回に分けてリポートする。

多言語で情報発信するとともに、避難所を回った

6月18日(月)地震発生日

筆者の職場である箕面市多文化交流センターと同じ建物にある小野原図書館では本が棚から落ち、足の踏み場もないほどだった(筆者撮影)
 筆者の職場(箕面市立多文化交流センター:指定管理者は箕面市国際交流協会)は休館日だった。到着したのは午前8時20分ごろ。事務所に入るとエレベーターは緊急停止中、給湯室やカフェも食器の破片が散らばり、図書館の本は80%以上が棚から落ち、足の踏み場もないほどだった。

 市の文化国際室へ被害状況を報告した後、まずは箕面市国際交流協会のHPで「地震(じしん)に関(かん)する緊急情報(きんきゅうじょうほう)」のページを立ち上げた。

 「箕面市からのお知らせ」を「やさしい日本語」と英語で翻訳したほか、「おおさか防災ネット(府からの情報や避難所などの情報を多言語で配信)」のリンクをはり、大阪府国際交流財団(OFIX)が24時間体制で応じる緊急多言語相談窓口の情報も知らせた。

 これらの情報は協会の多言語フェイスブックページ「Minoh Multilingal」でも共有した。

箕面市国際交流協会HPのトップ画面。箕面市HPのトップ画面からもこのページのリンクが貼られ、多数のアクセスがあった

6月19日(火)多文化交流センターは断水で休館に

 8時45分に全スタッフで対策会議。以下の3つの班に分かれて作業をすることになった。

① 多言語での情報発信チーム
 英語、中国語、韓国・朝鮮語、やさしい日本語などで箕面市やライフライン関連の情報を収集し翻訳する。フェイスブックページ「Minoh Multilingal」にも随時アップ
② 避難所巡回チーム
 多言語を話す職員がチームを組んで市内の避難所を訪問し、外国人被災者のニーズを把握
③ 事務所の復旧作業
 2階の倉庫や印刷室などで多くのものが飛散していたのを手分けして片付ける。夕方には断水も復旧

最寄りの小学校に外国人避難者が殺到していた

 地震発生日(6月18日)の夜は何度も余震があった。とりわけ19日午前0時半ごろの余震は震度4と大きく、豊川南小学校の避難所へは多くの外国人避難者が押し寄せた(もともとこの地域は外国籍住民の居住率が5%を超える外国人集住地域である)。

 避難所の担当職員に聞くと、午前0時の点呼で避難者数が40人だったのに対して、午前1時には110人に増えた(未明には130人)。後日留学生たちに避難の経緯を聞くと、「真夜中の余震にあわてて家を飛び出たら、屋外にいるのは外国人だけ。なぜ日本人がいないのかとても不思議だった」という。そのまま屋内で夜を過ごすのも怖く、「Yahoo!」の地震情報のページから最寄りの避難所情報を入手したというケースが多かった。

避難所の豊川南小学校の様子=2018年6月19日午後9時30分ごろ、箕面市(筆者撮影)
 筆者が19日午前9時30分に最初の巡回をしたところ、30人程度の避難者がいた。外国人らしき人たちから聞き取りをした結果、避難者の9割が外国籍住民だと判明。大阪大学関係者(留学生やその家族ら)が多かった。避難所で配られている災害用非常食のパンがハラル(イスラム教徒が食べても良いとされる)かどうか聞かれ、友人の安否を知りたい、領事館などから母語での情報を得たい、などの要望があった。

 大阪大学箕面キャンパス(旧大阪外国語大学)近くの避難所など、市内の他の避難所も巡回した。やはりどの避難所も発災当日の晩は数人~40人近い避難者がいたが、その半数ほどが外国人留学生や研究者(とその家族)だった。

 午後2時に再び豊川南小の避難所を訪問。市社協の職員2人と一緒に巡回し、倒れた家具を元に戻すボランティアのニーズがないかを聞いてまわった。避難者は50人ほどに増えていたが、その種のニーズは聞かれず、代わりに自宅のひび割れの写真や壊れたベランダの屋根の写真などを次々と見せられ、「この建物にいて大丈夫かどうか?」とよく聞かれた。大家さんからは「大丈夫」と言われたそうだが、少しの揺れでも既に入ったひび割れから崩壊するのではと、心の底から不安を訴えていた。

 「大きな地震は昼に来ることが多いのか?夜が多いか?」との質問も受け、驚いた。「それは誰にも予測できないけれど、夜におこった時の方が困ることが多いかもしれない」と答えた。

 あまりにも大阪大学関係者が多いので、大学の留学生関係部局へ連絡を入れ、大学内で相談窓口を設置してほしいと要望、発災4日目からは学内に2か所の相談所が設置されることになった。

 災害伝言ダイヤルの利用方法などが3言語で書かれているOFIXの防災パンフを体育館内に掲示し、「おおさか防災ネット」などの多言語での情報提供サイトや各国領事館、市HPや協会フェイスブックページなどのリンクをQRコード化したポスターも貼った。

避難所の一角につくった「多言語情報コ―ナー」。一番右のQRコード化した「リンク先一覧」のポスターが最も重宝した(筆者撮影)
 午後4時半に3回目の巡回をすると、在大阪インドネシア領事が来ていた。

 1回目の巡回のときにインドネシアからの留学生が、母国語での情報が欲しいと訴えていたため、それを聞いた同僚がインドネシア領事館に電話を入れたところ、「地震に関する相談ホットラインを開設した」という。午後2時の訪問時にその情報をQRコード化して留学生たちに届けたところ、早速多数の連絡があったので避難所への差し入れとともに訪れたそうだ。

 午後5時時点で避難者は78人に増えていた(うち75人が外国籍住民だった)。また、校内にムスリムのための祈祷室が設けられていた。

6月19日午後5時現在、豊川南小学校へ避難した78人の国別内訳
中国23人 インドネシア17人 タイ11人 ベトナム10人 インド7人 マレーシア2人 エジプト1人 フィリピン1人 ウガンダ1人 ケニア1人 ネパール1人 日本3人

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 4度目に豊川南小を訪問したときは、既に120人近くの避難者がいた。夜9時を過ぎても続々と人がやって来る。やはりほとんどが外国籍住民だ。

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