被災外国人たちの大阪北部地震(後編)
普段からマイノリティの人たちを包摂するコミュニティをつくる努力が必要だ
岩城あすか 情報誌「イマージュ」編集委員
2018年6月18日朝に大阪北部を襲った震度6弱の地震。「被災外国人たちの大阪北部地震(前編)」では、発災直後から最も避難者の多かった箕面市小野原地域の「豊川南小学校避難所」の様子を中心に、災害弱者としての外国人避難者の状況をリポートした。後編では、発災後しばらくしてから箕面市国際交流協会の外国人関係者から聞き取った内容を整理しつつ、今回の地震を通して得た学びや今後の展望を共有したい。
災害弱者としての外国人避難者
発災から1週間が過ぎた頃、筆者の職場の箕面市国際交流協会では約30人の外国籍住民に聞き取りをおこなった。そこから浮かび上がったのは、日本語がわかるか、日本人とかなり近い関係にいる外国人たちと、そうでない外国人たちの「状況の違い」だった(下表参照)。
当然ながら日本語がわかると、災害時に流れる色々な情報を理解することができ、情報が分からないことの不安は軽減される。
本人はさほど日本語がわからなくても、家族や親しい友人(同僚や大家さんなど)に日本で生まれ育った人がいる場合は、普段から突っ張り棒で家具を固定しているなど、備えも万全だった(外国人留学生らを対象とした防災センター見学会への参加者も「地震のメカニズムや防災について知ることができたので、行っておいて本当に良かった」と語っていた)。
発災後も知識や情報があれば、パニックに陥らず、避難所へ足を運ぶこともない。あるいはわからないことがあっても、すぐに相談できる環境があると、気分を落ち着かせることができるのだ。
他方、日本語がわからず、誰ともつながっていない外国籍住民は、「私はひとりでこのまま死ぬの?」と大きな不安を抱え、避難所で過ごす行動を選んだ。
地域を何度も巡回する広報車(断水情報を知らせていた)や、何度も鳴り響く携帯の「災害情報」の通知音(日本人の私でもびくっとする)、数日後の豪雨で朝から響いた防災スピーカー(「ハザードエリアに住む人たちへの避難指示」が出されていた)は、日本語が聞き取れない人にとってはより不安を募らせる結果を招いていた。
「情報」過疎と「関係」砂漠