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喜界島に生まれて(4)英語より大切なもの

ウガンダ人と同居を始めた筆者。国連事務所で言葉の壁にぶつかり、英語漬けの日々…

住岡尚紀 明治学院大学生

拡大ウガンダと首都のカンパラ=外務省HPより
 2015年9月22日、ウガンダのエンテベ空港は雨だった。思ったより肌寒い。

 現地の国連事務所のドライバーが来ているはずだ。事前に送ってもらった写真がスマホの中にある。それが頼りだ。

 ツアー客を出迎えているのか、プラカードをもったウガンダ人が何人もいる。でも、みんな黒人で顔の識別ができない。海外の人が日本人と中国人や韓国人をよく間違える理由や、お父さんが「アイドルグループはみんな顔が一緒やなあ」と言う気持ちが初めてわかった気がした。

 スマホの写真と辺りの人の顔をきょろきょろと見比べて10分。「Mr. Naoki Sumioka」のプラカードを持つ男性を奥の方に見つけた。誰かと談笑している。

 ”Excuse me?”と声をかけると”Hi!”と握手を求めてきた。陽気だ(なんで談笑してるんだよ!と心では思ったが)。

 僕は初めてアフリカの大地に立った。

ウガンダ人の同居人

 ウガンダでの住まいは自分で探さなければならなかった。

 国連事務所の上司は現地の日本人を紹介してくれようとしたが、「日本人と時間を過ごしたら言語が上達しない」という話をよく聞いていたので、僕はウガンダ人の同居人を紹介してもらうことにした。

拡大筆者と同居人のクリス(左)=ウガンダの国連事務所で
 彼の名はクリス。国連事務所のIT部門でインターンをしている24歳だ。実家が首都カンパラから遠く、ちょうど引越しを考えていた時期だった。

 彼にすべてを一任したところ、カンパラから少し離れた、ウガンダ人しか住んでいない村に住むことになった(テレビも冷蔵庫もソファーもベッドもすべて二人で買いそろえた。まるで新婚夫婦の気分だった。結婚したことはないけれど)。

 お昼になると「夜ご飯は何にする?」とメールし、片方の帰りが遅いと「何時に帰るの?」とメールした。帰る時間が近ければ待ち合わせして2人で一緒に帰ることもあった。

 国連からある程度のお金はもらっていた。日本と変わらない生活水準も選ぶこともできた。でも、ウガンダの人々の生活を体験したかった。

 洗濯は基本手洗い。シャワー室ではゴキブリやカエルが目と鼻の先にいる距離でにらめっこをしながら頭を洗う。水が出ない日は大きなwater potをもって近所の子と歩く。アップダウンのある道を行くと井戸に着き、順番に水を汲み取る。食事もできるだけ自炊をし、ウガンダの人々が普段食べているものを食べた(最初の2週間は下痢と腹痛が続いたが、すぐに慣れた)。

 クリスとの生活は順調だった。問題は仕事のほうだった。

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筆者

住岡尚紀

住岡尚紀(すみおか・なおき) 明治学院大学生

1995年喜界島生まれ。鹿児島県立喜界高校を卒業後、明治学院大学に入学。2015年に国連ユースボランティアでウガンダ共和国のUNDPに派遣。2016年、内閣府次世代グローバル事業世界青年の船に参加。バイトを4つ掛け持ちしながら俳優業にも挑戦中。中高の社会科と英語科の免許取得を目指し在学中。将来の夢は「島と世界を繋ぐジャーナリスト」。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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