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戦争経済大国(上)

平和希求の歩みが「新・大日本帝国の実現に至る助走期間」という顛末にしないために

斎藤貴男 ジャーナリスト

 戦後日本とはどのような国であったのか。多様な捉え方が可能なのは当然だが、ここでは“アメリカの戦争で大儲けした国”としての側面について述べようと思う。経済大国としての現在は、たとえばNHKの『プロジェクトX』が描いたような、日本人の勤勉さや努力だけで形成されたのではなかった。

拡大朝鮮戦争の特需景気。照明弾の製造で大忙しの神奈川県内の工場

 焼け跡からの復興は、日本がまだ占領下にあった1950(昭和25)年6月に勃発した朝鮮戦争による特需景気から始まった。当時の財界人たちが、口々に、こんな発言を残したほどである。

 石川一郎・経団連初代会長(日産化学社長)「天祐」

 永野重雄・富士製鉄社長(後に新日本製鐵会長、日本商工会議所会頭)「干天の慈雨」

 一万田尚登・日本銀行総裁「わが財界は救われたのである。朝鮮動乱は日本経済にとっては全くの神風であった」

 後に「回生薬」だったと位置づけたのは、経済企画庁だ。実際、鉄鋼や機械、繊維などをはじめ、日本のあらゆる産業は特需の恩恵に与り、その後の“発展”に繋げていった。

 試みに1967年に発行された『トヨタ自動車30年史』の一節を挙げる。米軍在日兵站本部や、朝鮮戦争勃発を契機に占領軍の要請で創設されたばかりの警察予備隊(自衛隊の前身)から、いつ、どれだけのトラックの注文があった、などとして、当時の活況を生々しく綴っていた。こんな具合だ。

 特需の受注によりわが社の生産は急上昇した。昭和25年5月には、ストの影響で、月産わずか304台に落ち込んでいたのが、8月には、スト以前の1000台ペースをはやくも回復し、翌26年3月には月産1542台と戦後最高の生産台数を記録した。
 こうした増産による操業度の上昇、労働生産性の向上に加えて、販売価格の上昇、さらに特需金融が優遇されて運転資金調達が容易になったことも手伝い、月次損益は急速に好転して、昭和25年6月度は1億2959万1000円の損失に対し、8月度は2145万9000円、10月度は4254万7000円、11月度は4331万7000円の黒字に転化した。

 大方の大企業の社史が、程度の差はあれ、トヨタのそれと同様に朝鮮戦争特需を“神風”の視点でのみ取り上げている。戦争そのものの是非を論じるのは社史の役割ではないにせよ、南北合計で約350万人とも言われる朝鮮・韓国人の屍(過半数は民間人)と、膨大な離散家族の上にもたらされた経済的繁栄に、後ろめたさのような意識が微塵も感じられないのには違和感を覚えざるを得ない。

日本の「逆コース」は加速

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筆者

斎藤貴男

斎藤貴男(さいとう・たかお) ジャーナリスト

1958年、東京生まれ。新聞・雑誌記者をへてフリージャーナリスト。著書に『戦争経済大国』(河出書房新社)のほか、『日本が壊れていく――幼稚な政治、ウソまみれの国』(ちくま新書)、『「明治礼賛」の正体』(岩波ブックレット)、『「東京電力」研究──排除の系譜』(角川文庫、第3回「いける本大賞」受賞)、『戦争のできる国へ──安倍政権の正体』(朝日新書)など多数。