平成最後の自民党総裁選が意味するもの
自信喪失の平成の日本。アメリカの変質という現実に気づき「戦後の国体」からの脱却を
白井聡 京都精華大学人文学部准教授

1989年11月、東西冷戦の象徴だったベルリンの壁が壊された。同年12月にはマルタ会談で冷戦の終結が宣言される=1989年11月11日
振り返ってみれば、平成のはじまりは、冷戦の終結、バブルの崩壊とほぼ重なっている。言い換えれば、アメリカの忠実なる子分として生きていく合理性が失われるとともに、経済は発展し続けるという戦後の常識が崩れた時期にあたる。
その時点で、新たなナショナル・アイデンティティー、国のあり方を定めるべきだったのに、できないまま30年という歳月を過ごしてしまった。
その意味でも、平成は丸ごと「失われた30年」であった。今後も日本人という集団が存続すると仮定するなら、未来の日本人は平成時代の歴史を見たとき、「何という馬鹿げた時代、馬鹿げた人々」と驚きあきれ、われわれを軽蔑するだろう。
経済成長が止まったことは、深刻な事態をもたらした。それは不況というかたちで、雇用の不安定化や労働の過酷化をもたらしただけでなく、日本人からアイデンティティーの核心を奪ったからだ。
対米自立のチャンスだった80年代だが

1979年に出版された「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の日本語版。日本だけで70万部を超えるベストセラーになった。
敗戦後の日本人は、経済成長に単に物質的に豊かになること以上のものを見いだしてきた。たしかに戦争には負けた。しかし、このままでは終われない。今度は絶対に勝つ。その対象が経済であった。
そのために戦後、日本人は額に汗をして懸命に働いた。1960年代には高度成長を成し遂げ、70年代の石油危機も乗り越えた。80年代にはジャパン・アズ・ナンバーワンと言われ、「アメリカ、なにするものぞ」という気分になった。
いま思えば、80年代は日本がアメリカから自立するチャンスだった。でも、できなかった。なぜか? 結局、根本的なところでアメリカに首根っこをつかまれているという自覚を日本人が持っていなかったからだ。不自由であることの自覚がなかったから、自由になるための知恵もでてこなかったのだ。
「戦後の国体」に由来する自覚のなさ