市川速水(いちかわ・はやみ) 朝日新聞編集委員
1960年生まれ。一橋大学法学部卒。東京社会部、香港返還(1997年)時の香港特派員。ソウル支局長時代は北朝鮮の核疑惑をめぐる6者協議を取材。中国総局長(北京)時代には習近平国家主席(当時副主席)と会見。2016年9月から現職。著書に「皇室報道」、対談集「朝日vs.産経 ソウル発」(いずれも朝日新聞社)など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
第1章 3.発想や言い回しが同じ 4.考え込む、あいまい表現も同じ
さらに、英語や中国語と決定的に違う点は、日本語特有の「中途半端なあいまいな言い方」が、同じようなあいまいな発想や言葉でそのまま使えることだと思います。ストレスが脳にたまらない、これは外国語として奇跡的です。
例えば、家を出る時、家族によく「行って来ます」と言いますね。なぜ「行きます」ではないのか。無意識のうちに「行って+来る」、つまり、また帰ってくるからね、という構造になっています。韓国語も同じなのです。「行って+来る」(タニョ・オゲッタ=다녀 오겠다)という言い方をします。
また、「やってみる」と言いますよね。「やって+見る」と分解できます。これは「試しに」「ちょっと」という意味を含んでいますね。韓国語も同じです。「○○してみる」(○○해보다=ヘポダ)と言い、ニュアンスも同じです。
日本語には、「あるかもしれませんよ」というあいまいな言葉もあります。「ある」「かも」「しれない」。ないかもしれないけど、ある可能性を言っているのですね。これまた韓国語では「ある+かも+知れない」(イッスル・チド・モルヌダ=있을지도 모른다)とつなげて言えば通じます。
「そうとは知らなかった」も「そう+とは+知らなかった」(クロル・チュル・モルラッタ=그럴 줄 몰랐다)です。
よく日本語は難しいと外国人に言われるのが、言葉は否定しながら実際は肯定的な意味を含んだ言葉です。「~したらいけないですか?」「○○さんは、いらっしゃいませんか?」などです。韓国語でも同じ構造です。
ちなみに「していただくとありがたいのですが」という遠回しな言い方。これも同じです。