斎藤貴男(さいとう・たかお) ジャーナリスト
1958年、東京生まれ。新聞・雑誌記者をへてフリージャーナリスト。著書に『戦争経済大国』(河出書房新社)のほか、『日本が壊れていく――幼稚な政治、ウソまみれの国』(ちくま新書)、『「明治礼賛」の正体』(岩波ブックレット)、『「東京電力」研究──排除の系譜』(角川文庫、第3回「いける本大賞」受賞)、『戦争のできる国へ──安倍政権の正体』(朝日新書)など多数。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
グローバルビジネスの価値観に従わない存在は日本の「敵」という論理
集団的自衛権の行使は、こうしたロジックにも導かれて容認された。憲法違反であるのは改めて指摘するまでもない。ただ、現実にその安保法制は施行され、しかも2005年以来の米軍再編で自衛隊の一部司令部が在日米軍基地内に移転するなど、両者の一体化は一般の理解をはるかに超えて深められてきた。
アメリカの戦争に日本が参戦しないほうが奇妙に見える形が、すでに構築されてしまっているとさえ言っていい。歯止めは憲法9条だけなのだ。安倍政権がその改正に躍起な所以である。
かねて国の交戦権を認めないとする9条2項の全面変更を訴えていた安倍首相は昨年、東京五輪が開催される2020年内の改正憲法施行を打ち出すと同時に、主張をやや軟化させるかのような姿勢を見せた。9条については自衛隊を明記するだけでよいとの提案は、護憲派にも抵抗が小さいという判断とされるが、その自衛隊の存在自体が違憲だと論じる余地があるからこそ、安保法制が無視した9条が辛うじて命脈を保っているのが現状なのである。自衛隊の明記は、彼らに関わるあらゆる法律(今後の新法も含む)に合憲・全能のお墨付きを与える結果を招きかねないのではないか。
そこまで行けば、自衛隊と米軍とは完全にひとつのものとなる。新・大日本帝国の船出も時間の問題だ。
論座ではこんな記事も人気です。もう読みましたか?