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「小泉進次郎」という脱げない着ぐるみ

自民党総裁選の土壇場まで彼は態度表明しなかった。その胸中とは――

三輪さち子 朝日新聞記者

 進次郎氏の原点は、父・純一郎氏を首相に押し上げた国民の熱気である。

 2001年4月。横浜駅西口に当時、大学生だった進次郎氏はいた。総裁選の街頭演説をしていたのは、父・純一郎氏。3度目の立候補。最大派閥の領袖、橋本龍太郎氏を破った総裁選だ。

 のちに、出身大学のインタビュー記事で、進次郎氏はこう語っている。

「私たち家族さえも負けると思っていました。それがあの熱狂。横浜駅西口で、足の踏み場もないほどの人に囲まれた自分の父の姿を見、結果、永田町の数の論理ではなく、国民の力で永田町の常識は変わることを肌で感じたことは、やはり大きかった」

 私が進次郎氏の訪台に同行したのは2013年、彼が自民党青年局長だったときだった。彼の関心は当時、震災の復興や原発事故への対応にあった。何のために政治家になったのか、という具体的なビジョンはあまり見えてこなかった。

 それでも、印象的だった言葉がある。

 東日本大震災後、進次郎氏は毎月、青年局のメンバーを連れて被災地を訪問していた。それは必ずしも好意的に受け止められたわけではなかった。権限のない立場で入ってきて、何か意味があるのかと批判的な意見もあった。

 なぜ被災地の訪問を続けているのか。私の問いに、彼はこう答えた。

「だって悔しいじゃないですか。政治が、政治家が信頼されないって。メディアだってそう、民主主義のために絶対に必要だという自負をもってやっている。僕らだってそうですよ。それなのに信頼されない。期待もされない。その状況を見返したいでしょ」

 ああ、意地なんだ、と私は妙に納得した。初当選の選挙で、自民党は下野した。彼自身も世襲を批判されながら国会議員になった。そうした中で口にした「悔しい」だった。政治家としては粗削りだったが、負けず嫌いで意地っ張り。人間らしさを感じた。

拡大引退表明した講演会で支持者と握手する小泉純一郎元首相。左が緊張した面持ちの進次郎氏=2008年9月27日、神奈川県横須賀市

重荷

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筆者

三輪さち子

三輪さち子(みわ・さちこ) 朝日新聞記者

2006年、朝日新聞社に入る。横浜、徳島総局を経て2011年から政治部。民主党政権では事業仕分け、自民党政権では自民党幹事長番、防衛省などを担当。2017年から世論調査部。オピニオン編集部を兼務。関心のあるテーマは虐待・貧困などの「子どもをめぐる問題と政治」。趣味はカバン作り。

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