安倍首相は総裁選に勝ち、改憲へ動く。その前にここだけは確認しておきたい
2018年09月27日
消化試合のような自民党総裁選で安倍晋三首相が勝利した翌日9月21日の朝刊各紙は、それぞれの憲法改正へのスタンスの違いをみごとに物語っていた。
在京紙のうち改憲を1面で見出しにとったのは毎日、読売、日経、東京の4紙。読売は「憲法改正、改めて意欲」といつもどおり政権の後押しが勇ましく、毎日と日経は「『次の国会に改憲案』」「『改憲に挑戦』」と首相発言のカギカッコ引用で客観に徹している。政権に批判的な東京は大きく「改憲加速」と打ち、コア読者は相当に危機感を煽られたことだろう。
朝日は1面では「圧勝できず」「石破氏善戦」という見出しどおりのトーンを前面に出し、改憲については2面で「さらに視界不良」として、本文も「来夏の参院選前に発議できる環境にはない」との観測を繰り返した(いずれも東京本社発行最終版より)。
見立てとしてどれが正しいのかはともかく、認識そのものに各紙の願望や焦燥が投影されているようで、読み比べてみると非常に興味深い。
内側の目から見れば、昨年5月に首相が改憲構想を公に示して以降、朝日の憲法報道は良くも悪くも「冷静」に推移しているように思う。報道姿勢について統一的な編集方針が示されたことはないが、一部の人たちには「首相が設けた土俵には乗らない」という意識があるようにも感じる。
安倍首相は投開票終了後、「憲法改正は最大の争点だった。結果がでた以上、一致団結して進んでいく」とあらためて改憲への意欲を強調した。一強のおごりへの批判票が予想以上にあったにしても、今後の政治日程からして発議がかなり難題であるにしても、首相は宿願に向けてアクセルを踏んでいくだろう。
一寸先は闇の政治の世界、実現可能性について予断はもてないが、安倍改憲案の行く末がどうなろうとも、論じなければならないことがある。それは、日本国民が70年近く曖昧にしてきた9条問題の核心である。
日本国憲法9条
1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
おさらいしておこう。
安倍首相は昨年5月3日の憲法記念日、戦力不保持と交戦権否認を謳った9条2項を維持したまま自衛隊の存在を明記するという改憲案を打ち出した。これに基づき、自民党憲法改正推進本部は今年3月、たたき台素案をまとめた。
自民党の9条改正案(「条文イメージ・たたき台素案」今年3月公表)
9条の2
1項 前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。
2項 自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
(※9条全体を維持した上で、その次に追加)
首相は「自衛隊の任務や権限に変更は生じない」「何も変わらない」と繰り返し強調。これに対し、立憲民主党や共産党は「集団的自衛権を容認した安保法制とその下での自衛隊の存在を追認することになり、活動への歯止めがなくなる」「1項2項が空文化する」と反発。また、憲法学者や法律家からも、「自衛隊の行動をどこまで認めるのかすべて法律に丸投げになり、2項が死文化する」(長谷部恭男・早大教授)、「何をやっても、どんな装備を持っていても憲法で認められる存在ということになる。政府と国会に白紙委任することになる」(阪田雅裕・元内閣法制局長官)などと疑問の声があがった。
こうした「『何も変わらない』はウソ」という反論は「護憲派」メディアに盛んに取り上げられ、すでに始まっている改憲発議阻止運動の拠り所になっている。ただ、安倍改憲案が国民投票で承認されようが否決されようが、9条問題の核心に何ら決着はつかない。発議が遠のこうとも、その事情は変わらない。
9条問題の本質は、9条を変えるか否かではない。「自衛隊を戦力として認知するのか、しないのか」「自衛戦争を認めるのか、それとも自衛を含めあらゆる戦争を認めないのか」。これに対する主権者の意思こそ、国民投票で真に問われるべきことではないか。
そう考える論者による著作や論考が、このところ次々と発表されている。山尾志桜里衆院議員の『立憲的改憲』(ちくま新書)など、党の立場を踏み越えて発言を続ける政治家の意欲作もある。
2月には、市民団体による模擬国民投票の企画も催された。「自衛隊は明らかに9条に反している」「必要最低限度なら合憲」「それも解釈改憲」「国民の大半は解釈改憲でいいと思っている。でも集団的自衛権は一線を越えている」「それは五十歩ならいいが百歩は駄目というご都合主義だ」――こうした緊張感に満ちた応酬が繰り返されるスリリングな内容のもので、従来の「護憲派」「改憲派」の内輪の集会とはまったく様相を異にしていた。
盛り上がりに欠くと言われ続けた今回の総裁選でも、9条問題の本質に触れる論争がなかったわけではない。
2項を維持する安倍改憲案を、石破氏は「(自衛隊は)必要最小限度の装備だから『戦力』ではないという考えは国民の理解を妨げるもので、国際的にもまったく通用しない」と批判、持論の2項削除論をあらためて展開した。これに対し、首相は「必要最小限という各国にはない制約がかかっているから、(自衛隊は)いわゆる軍隊ではない。実力組織」と従来の政府解釈を繰り返した。
こうした議論の中身の何が「本質」的なのか。少し解説が必要だろう。
9条は、いうまでもなく戦後日本最大のアポリアである。自衛隊が合憲か違憲かという問いは、まったく新しいものではない。日本人の8~9割がその存在を認め、長らく違憲と主張してきた共産党ですら「党としては違憲との立場を堅持するが、政府の一員となれば合憲と一定期間扱う」(志位和夫委員長)とするいま、政治的には決着のついた問題ともいえる。
しかしその「決着」はきわめて危うい土台の上のものだ。
憲法9条は戦争放棄を謳うが、1項の「永久に放棄する」の範囲については、大きく分けて①あらゆる戦争と武力行使を放棄している(1項全面放棄説)②「国際紛争を解決する手段としては」の条件があるため、侵略目的の戦争と武力行使のみを禁じ、自衛のためには認められる――との二つの学説がある。そのうえで、2項が一切の「戦力」の保持を禁じていることから、必然的に②の自衛戦争も否定されるという説(遂行不能説や2項全面放棄説)がある。
政府は1項の解釈ではほぼ②の立場をとり、2項で明確に戦力保持を禁止していると解釈しているものの、自衛隊は合憲としている。憲法前文の「国民の平和的生存権」や13条の「国民の生命、自由及び幸福追求に対する権利」は国政のうえで最大限の尊重を必要とされるため、それが根底から覆される急迫不正の事態には必要最小限度の武力の行使は認められ、その範囲内の「実力」ならば「戦力」にはあたらない、という解釈だ。
また、自衛権の行使として相手国兵力の殺傷と破壊を行っても、それは2項が禁じる「交戦権の行使」とは別の観念のものとしてきた。この他、2項冒頭に「前項の目的を達するため」とあることから、自衛目的の戦力保持は可能との解釈(芦田修正説)もある(多数説とは言えず、政府もこの立場はとっていない)。
政府が憲法制定時に個別的自衛権すら否定していたという説には異論もあるが、いずれにせよ、1950年の朝鮮戦争をきっかけに警察予備隊、保安隊を経て自衛隊が発足。保革対立で憲法改正が困難な状況下、政府は条文を一切変えることなく再軍備を進め、先述の解釈を積み上げて現状を追認してきた。
この政府解釈に対しては、現在約22万人の隊員、134隻の海上兵力、400機の航空兵力ほか最新鋭装備を備え、毎年5兆円での防衛費で維持される世界有数の軍事力を誇る自衛隊の実態と、あまりにかけ離れているとの批判が根強くある。朝日新聞が2015年6月に行った憲法学者へのアンケートでは、回答者122人のうち6割超の77人が、自衛隊は違憲もしくは違憲の可能性があると答えた。
自衛隊が通常の軍隊=戦力でないことの説明として、政府は、攻撃的兵器(大陸間弾道ミサイルや攻撃型空母など)を保有していないことを挙げ(「矛と盾」論)、合憲論の憲法学者は、自衛隊がポジティブリストで運営される準警察組織に過ぎないことを唱える。
ただ、こうした「神学論争」とも評されてきた国内の議論は、石破氏のいうとおり、国際的には通用しない。
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