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会津の歴史認識と山川健次郎

小宮京 青山学院大学文学部教授

会津戊辰戦史拡大会津戊辰戦史
 健次郎は晩年、『会津戊辰戦史』の監修に取り組んだ。これは会津の立場から、戊辰戦争の歴史を見直す書であった。

 最初に古河末東が原稿を完成させた。1922(大正11)年に、会津出身の有力者からなる会津会の幹事・評議員がその原稿の訂正増補を行うことを決定し、健次郎に監修を依頼した。健次郎は編集体制を整え、自身も「各種の参考資料を渉猟して校閲に遺漏なきを期」した。この作業は1928(昭和3)年末に一段落した(『男爵山川先生伝』451-3頁)。健次郎は1931(昭和6)年に亡くなり、2年後の1933年に『会津戊辰戦史』が刊行された。

 同書を紐解けばわかるように、随所に典拠が示されている。

 多くのページで引用されている「若松記」は、現在、会津若松市立会津図書館に所蔵されており、川口芳昭編『会津藩 幕末・維新資料集』(おもはん社、2005年)に全体が翻刻されている。

 「若松記」のように所在が明確で閲覧可能な史料がある一方で、所在すら明らかではない資料もある。時には「編者記憶」という典拠すら存在する(736頁)。一体どんな資料に依拠したのか知りたかったが、編纂資料の所在は良く分からなかった。

発見された健次郎の編纂資料

 筆者は近年、少なくとも『会津戊辰戦史』の編纂時に使用されたと思しき資料を、健次郎のご遺族のもとなどで発見した。そこには『会津戊辰戦史』校訂時の健次郎の考え方が伝わる内容も含まれている(小宮京・中澤俊輔「山川健次郎「遺稿」の基礎的考察」『青山史学』第35号、2017年)。

 一例をあげると、「小田の台なる火薬庫の爆破」という文章が存在する。これは戊辰戦争の際に、小田山にある会津藩の火薬庫を西軍(=新政府軍)に使用されないように、会津藩士が命を賭して爆破した、という伝承を紹介するものだ。

 『会津戊辰戦史』では、「此の日薄暮城兵火を小田村の焔硝庫に放ちたれば轟然として爆発し、黒煙一条天を衝くこと数百丈に及び、天地振動し其の音響遠く十数里の外に達し、彼我自失して砲声息むもの久しかりき」(568頁)と、爆破は会津藩兵との説を採っている。

 しかし未公刊の文章では、山川は「此等の烈士又将長の名伝はらず、爰に口碑を記すも其の真偽を保ち難し」としてその信憑性を保留している。ここからは編纂時に、山川がこの伝承に疑義を抱いていたことが分かる。

 それ以外の資料についても現在調査中である。調査が進めば、会津の歴史認識のもととなった『会津戊辰戦史』の編纂過程の一端が明らかになるはずである。

強靱な「勝者」の側の歴史認識

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筆者

小宮京

小宮京(こみや・ひとし) 青山学院大学文学部教授

東京大学法学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。専門は日本現代史・政治学。桃山学院大学法学部准教授等を経て現職。著書に『自由民主党の誕生 総裁公選と組織政党論』(木鐸社)、『自民党政治の源流 事前審査制の史的検証』(共著、吉田書店)『山川健次郎日記』(共編著、芙蓉書房出版)、『河井弥八日記 戦後篇1-3』(同、信山社)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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