メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

中島岳志の「自民党を読む」(2)野田聖子

切実な経験と政策が一体化し、政治家として素晴らしい。課題は弱い分野が多すぎること

中島岳志 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授

 野田さんは、多くの著書を出しており、主だったものだけでも(共著を含めて)9冊をあげることができます。彼女は政治家人生の節目で、自らの行動を振り返る著書を出版しています。そして、その人生のプロセスが、提案する政策そのものにつながっています。

① 『アイアム聖イング』 海越出版社、1987年
② 『改革という美名の下で』 海越出版社、1994年
③ 『国民のみなさまにお伝えしたいこと ホンネで語る政治学』 PHP研究所、1996年
④ 『私は、産みたい』 新潮社、2004年
⑤ 『だれが未来を奪うのか 少子化と闘う』 講談社、2005年
⑥ 『不器用』 朝日新聞社、2007年
⑦ 『この国で産むということ』(根津八絋と共著) ポプラ社、2011年
⑧ 『生まれた命にありがとう』2011年、新潮社
⑨ 『みらいを、つかめ』 CCCメディアハウス、2018年

 ①②③は政治家としてデビューしたばかりのころの著書で、政界に対する率直な疑問や違和感が綴られています。政界入りして真っ先に直面したのが女性議員への差別で、当選から時間がたっても「マドンナ議員」といわれることに苛立っています。

 マドンナ議員―――政治能力もない素人なのに、女性であるがゆえに当選できた国会議員。所詮、台所感覚を超えることなく、ブームに乗らなければ政界に登場することなどなかった、女性議員。暗に明に、マドンナ議員の呼称に、こうした侮蔑的な意味合いがこめられていることを、誰もが知っている。
 したがって、女性議員をこのように卑下した名前で呼びたがるのは、もっぱら男性であり、これを好んで使う女性にお目にかかったことはない。多分に、“女ということで、楽して政界入りした”的な男性のひがみや、より伝統的な日本男性の女性侮蔑が含まれた呼び方であるように思う。(②:161)

 この男性中心社会に対する憤りが、今日までの野田さんの政治人生を支えていると言っていいでしょう。彼女は「マドンナ議員」というレッテルを払拭しようと、政策面で努力を積み重ねます。

 そして政治家としていちはやく関心を寄せた「情報通信」分野で頭角をあらわしました。第二次橋本内閣で郵政政務次官に就任すると、情報通信技術(ICT)政策に携わり、国際経験を積みました。のちに「私は、パソコンを使うようになった国会議員のさきがけの一人ではないかと思います」と振り返っています(⑨:99)。

 そして1998年、小渕内閣の時に、郵政大臣に抜擢されます。37歳10カ月での就任は、当時最年少での閣僚就任として話題になりました。

不妊治療を契機として

 しかし、大臣を退いた後、若くしての出世によって、政治家としての「更年期」がやってきたといいます(⑥:16)。

 通常、議員の多くは大臣というポジションがゴールになりますが、それを30代後半で達成してしまいました。そのため「この後どうしよう」「このままでいいのか」というエアポケットに入ってしまったと言います(⑥:16-17)

 そんな時に出会ったのが、鶴保庸介・自民党参議院議員でした。彼女はあっという間に結婚を決め、新婚生活が始まります。

 野田さんは、子どもを授かることを望みましたが、なかなか妊娠せず、40歳を超えて不妊治療を受けることになりました。そこでの苦闘のプロセスを綴ったのが④です。この本は名著です。不妊治療の苦悩や葛藤、痛みが具体的に語られ、流産をした時の苦しみが赤裸々に述べられています。

 野田さんは、この経験を経たうえで、人口問題・少子化問題に本格的に取り組んで行きます。その成果として書かれたのが⑤で、少子化対策のあり方を本格的に論じると共に、問題の本質が理解できていない自民党の男性議員たちへの苛立ちが綴られています。

 そんな野田さんを、政界の突風が襲います。小泉内閣による「郵政解散」でした。彼女は郵政民営化法案に反対したため、自民党の公認を得られず、選挙区に刺客を送られました。それでも何とか当選し、2006年の第一次安倍内閣の時に自民党に復党します。

 その後、鶴保議員とは離婚。そのプロセスも⑥に綴られています。

 2009年の政権交代選挙では選挙区で落選しますが、比例復活によって議席を死守しました。ここで野党議員になった野田さんは、新しいパートナーと共に妊娠、出産に再チャレンジします。しかし高齢のため、自らの卵子を使った体外受精は難しく、卵子提供を受けることにします。

 2010年5月、アメリカで卵子提供を受け、体外受精を実施し妊娠。2011年1月に重い疾患をもった男児が誕生しました。このプロセスは⑧に詳しく書かれています。

 自民党の政権復帰後、野田さんは本格的に総理総裁に向けた準備を開始しました。今年の自民党総裁選に向けては、自らの政策をまとめた⑨を出版し、体制を整えて行きましたが、立候補に至りませんでした。

 野田さんの人生を知るためには④⑥⑧を読む必要があるでしょう。彼女が最も力を入れる人口問題・少子化対策については⑤⑦、現在の政策の概要を知るには⑨が適しています。

女性が子どもを産み育てやすい社会に


筆者

中島岳志

中島岳志(なかじま・たけし) 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授

1975年、大阪生まれ。大阪外国語大学でヒンディー語を専攻。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科でインド政治を研究し、2002年に『ヒンドゥー・ナショナリズム』(中公新書ラクレ)を出版。また、近代における日本とアジアの関わりを研究し、2005年『中村屋のボース』(白水社)を出版。大仏次郎論壇賞、アジア太平洋賞大賞を受賞する。学術博士(地域研究)。著書に『ナショナリズムと宗教』(春風社)、『パール判事』(白水社)、『秋葉原事件』(朝日新聞出版)、『「リベラル保守」宣言』(新潮社)、『血盟団事件』(文藝春秋)、『岩波茂雄』(岩波書店)、『アジア主義』(潮出版)、『下中彌三郎』(平凡社)、『親鸞と日本主義』(新潮選書)、『保守と立憲』(スタンドブックス)、『超国家主義』(筑摩書房)などがある。北海道大学大学院法学研究科准教授を経て、現在、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

中島岳志の記事

もっと見る