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[104]50年前のチェコの秘密地下放送

金平茂紀 TBS報道局記者、キャスター、ディレクター

プラハの共産主義ミュージアムにて ソ連侵攻の展示ソ連侵攻の展示。プラハの共産主義ミュージアムにて=撮影・筆者

9月18日(火) 朝早く局に出て、雑務をこなす。今日中にやっておかなければ間に合わない件がいくつかある。「報道特集」の定例会議。午後、Mディレクターと打ち合わせ。北朝鮮取材の件でなかなか思うように事が進まない。胃が痛くなる。早稲田大学で秋学期の授業ガイダンス。教室に行ってみたら、人数が思ったよりも少ない。その後、神保町で打ちあわせ。

 加藤周一の名文『言葉と戦車』を、あさってからの旅行のために再読する。この文章は1968年の夏に書かれ、雑誌『世界』68年11月号に掲載された。何と言葉が輝いていた時代だろうか。こんなに内容と品格を備えた文章が当時、岩波書店の『世界』に掲載されていた。SさんからいただいたDVDの加藤周一氏の2008年インタビューをみて衝撃を受ける。

 浜尾朱美さんのお通夜・葬儀には出席できないのでもろもろの手配をする。局に戻って残務整理をしてから帰宅。夜中、あしたからのウィーン、プラハ小旅行のためのパッキング。あちらの天気はどうなのだろうか。あまり考えずに衣料をわさわさと詰め込む。

極限のテキストとしての地下放送

9月19日(水) 成田発の便でウィーンへ。小森陽一さんと同行旅行者たちとの小さな旅だ。仕事でお世話になっているかもがわ出版のMさんからのご提案があったのはもう数か月も前のこと。いろいろと考えた末にお引き受けしていた。成田発13時30分。その前に小森さんと短い鼎談。この旅行記を出版する計画があるので。旅の同行者は23人。その多くは小森さんファンではないかと思う。満席の機内で映画を2本見る。『クワイエット・プレイス』と、邦画『勝手にふるえてろ』。どちらも面白い。11時間20分のフライト。結局眠れず。どんな旅になるのやら。

9月20日(木) ウィーンのホテルで朝早く目が覚める。時差ボケだ。仕方なくそのまま起きている。朝食を一番で済ませる。どうやらこのホテルは日本人と中国人の団体観光客御用達のホテルのようだ。朝6時半からの朝食会場の客はほとんどが日本人と中国人観光客だった(自分も含めて)。沖縄・那覇のビジネスホテルの朝食会場の大多数が中国人観光客だった記憶がなぜかよみがえってきた。

 時差の関係でこちら時間の朝7時から始まった日本の自民党総裁選挙の模様をネットでみた。党員票では石破茂議員が健闘していた。つまり、自民党員の本音では、安倍総裁にもううんざりしているのではないか。まあ、それにしてもあと3年もこの政権が続くのか。

 ウィーン市内の観光。シェーンブルン宮殿、ホーフブルク宮殿。ヨーロッパにおけるハプスブルク家の壮大な歴史の一端に触れるコース。王宮と富。女帝マリア・テレジアやその娘マリー・アントワネット妃の数奇な運命。さらにくだって暗殺されたエリザベート妃ら、640年のハプスブルク家の治世の大河ドラマでも見せつけられているような気分になった。そしてこの圧倒的な権力と富の収奪。でもこのハプスブルク家の歴史を知らなければ、1968年のソ連のプラハ侵攻の際の市民の抵抗の深層にあるものはわからないのではないか。

加藤周一氏=1992年加藤周一=1992年
 加藤周一氏は、あの時、オーストリアのザルツブルクでオペラを楽しんでいたが、朝、ウィーンの自宅のテレビでみた「ソ連軍が私たちの領土に侵入した。これを世界中に伝えて欲しい」というプラハからのドイツ語の秘密地下放送をみて、決然と車を陸路、5時間近く自分で運転してプラハへと向かったのだという。

 Sさんからいただいた加藤周一氏の生前最後のテレビ・インタビューの番組に、その時の地下放送の映像が紹介されている。白黒画面の

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